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雨漏りというやつは割と深刻な問題だ。寒い、音が気になる、そして床が腐る。気付いたら早いうちに対処しなければならないが、この家で暮らしている人間を考えるに結局自分が働くことになるのだった。屋根に上ったシオンは片手で板を押さえ、もう一方の手で金槌を振り下ろす。そこに父親の頭があると想像したらちょっと気が晴れた。
かん、かん、と音を立てて木材が釘を呑み込んでいく。突然声を掛けられたのはその時だった。
「あの、お仕事中ごめんね」
そこには茶髪の少年がいた。年のころはシオンより少し上くらいだろうか、割と可愛らしい顔立ちだ。秋も半ばを過ぎて風は冷たくなりはじめているのというのに、右肩をむき出しにして素肌に白いキトンのようなものを羽織った格好をしている。彼はシオンに真っ直ぐ目線を合わせるとよく通る声で話しかけた。
ふよふよと宙に浮きながら。
「オリジニアってここでいいのかな?」
愛想よく笑う少年の背では、一対の白い羽根がぱたぱたと羽ばたいていた。
思わず金槌でぶん殴った。
*
「やっちまった……」
シオンは頭を抱えた。あまりにもアレがアレだったので一切の手加減なく槌を振り下ろしてしまった。骨とより柔らかいものを打ち砕くおぞましい手応えは未だ残っているし、凶器には血と、あとちょっと言いたくない感じのものが誤魔化しようもないほどにべっとり付着している。クレアにだって見舞ったことのない本気の一撃を頭部にクリティカルヒットさせてしまった。
先ほどの事態は最悪の白昼夢だったのではないか、という最後の望みを胸に、シオンは彼が墜落したところ、裏庭のささやかな花壇のあたりをおそるおそる見下ろす。
血の海だった。
殺ってしまった。どうしよう。どうすんだこれ。殺人?この歳で前科持ち?あの親父これからどうやって生きていくんだ執行猶予は付くのか。いやでもあの状況で手に金槌があったら誰でもこうするのではないのだろうか。なにせ相手が空飛ぶ半裸マンだ、身の危険を感じるのが普通だろう。正当防衛、そう、これは正当防衛だ。変態という社会に対する罪の擬人化は存在自体が急迫不正の侵害なのだから防衛行為が多少限度を超えても仕方ない。よしオレ無罪。ことが大きくなる前に埋めてこよう。
シオンが裏山の土を肥やしに動こうとしたとき、変態の死骸が光に包まれた。
ぱあああ、と清らかな輝きが満ちていく。同時に、垂れ流された諸々が逆再生のように彼の内側に吸い込まれてゆき、最後には陥没していた頭部も傷一つない綺麗な形を取り戻した。何というか、グロ凄い。
眼前で繰り広げられたちょっとよく分からない事態に硬直していると、ううん、という呻き声とともに変態が身じろいだ。
「ぐ……一体何があったっていうんだ……」
状況を把握できていないらしい彼が辺りを見回す。大きな目が屋根の上に向けられる前に、シオンは咄嗟に凶器を隠蔽した。ヤバい。関わったら負ける。
「えっと、キミは……」
「……ようこそ オリジニアへ!なにもないところだけど ゆっくりしていってね!」
「え、ありがとう、ところでボクさっき」
「ようこそ オリジニアへ!なにもないところだけど ゆっくりしていってね!」
「いやあの」
「ようこそ オリジニアへ!なにもないところだけど ゆっくりしていってね!」
「会話のキャッチボールしてもらっていい!?」
変態の癖に突っ込みスキル持ちだった。
「町の入口に立ってるNPCじゃないんだから!なんでそんなにあからさまにやり過ごそうとしてんの!?」
「お前の家には鏡がないのかコスプレ半裸野郎」
「露出狂の類じゃないって!」
「まさかそのねちょねちょした肉体を脱ぐと本体のハンサム顔が?」
「お前の目にボクどう映ってるの!?違うってば!」
半泣きになりながら変態は叫んだ。
「ボクは天使!天使のアルバ!」
「……なんでやねん」
意味が分からな過ぎて出身でもない方言で突っ込んでしまった。どつく代わりにぶん投げてしまった金槌はアルバの頭頂部にヒットし、既視感あふれる血の海からのぴぴるぴるぴるぴぴるぴー。
*
「分かったぞお前だな!さっきボクのこと落としたのもお前だろ!?」
「頭かち割られて恋に落ちるとか……」
「多義語を最悪の意味で捉えるのやめて!天使を殺して平気なの!?」
「人を殺していなかったと思うと我が身が愛しくて」
「自己中!!」
屋根から降りたシオンはアルバをじっくり観察してみたものの、きゃんきゃんと喚く自称天使には神々しさの欠片も感じられない。つつけばビビるしこちらの言動にいちいち大きな反応を返してくるし、変態金持ちのペットと言われた方がまだしっくりくる有様だ。異様なのは白鳥から外してきたかのような白い羽根と、先ほど二度も見る羽目になったスプラッタ体組織回収劇だけだった。
「……天使って言われても全然それっぽくないんだけど。輪っかは?後光は?」
「ボク下っ端だからああいうエネルギー要る演出してもらえないんだよ……」
「降臨の音楽は」
「担当楽器カスタネットなんでソロは無理」
「石をパンに変えたりとかは」
「人はパンのみに生きるもんじゃないよ!」
「もうやめちまえよお前」
もしかしてこの羽根も生えてるんじゃなくて外付けなのではなかろうか。シオンは手を伸ばし、アルバの滑らかな肩甲骨のあたり、翼の付け根に触れる。
そして思いっきり引っ張った。
「いでででででもげるもげるもげる!!やめてこれ結構大事な器官だから!羽根ないと神様パワー借りれなくなっちゃうから!」
「もともと借りれてないんだから別にもいでよくない?」
「微塵もよくないよ!?」
引っ張っても取れない。そして目を見開いて絶叫し始めたところを見るに痛覚もあるらしい。シオンは感動しつつ勢いよく手首を捻った。
「ぎゃあああああ!!」
苦痛に歪みぐちゃぐちゃになった顔はなかなか好みだった。
「痛いやめて鬼かお前!そうだ奇蹟、奇蹟見せてあげる!だから離して!」
「あ、もしかしてあの脳漿逆再生ショー?」
「もっとマイルドなやつね!」
渋々手を離してやると、自称天使はえぐえぐと涙を拭い、洟を啜ってから居住まいを正した。赤くなった目尻を見てシオンの嗜虐心は疼きだしたが、真面目ぶったツラが面白かったので多少は我慢してやることに決める。
アルバは目を瞑り、口の中で何やらごにょごにょと呟いている。眼球を覆う瞼の曲線と僅かに震えるおさなごの如き睫毛に、シオンは何故か神性の残滓のようなものを感じた。
瞼が開く。黒い瞳がこちらを見る。
その瞬間、シオンの体が輝きだした。
「えっおいなんだこれ」
「よっしゃやっと成功した!神の恩寵でしばらく身体機能大幅アップだよ!」
「失敗重ねてるものを無断で人に使うなボケナス!」
「ぐわっぷ!?」
どうしようもない天使にボディーブローを決めると拳越しにパキパキ妙に軽い音が伝わってきた。神の恩寵によりアバラは飴細工の如く砕け散った。
*
滅茶苦茶になったであろう脇腹を押さえつつ、それでもアルバは身を起こした。そして吐血。神の恩寵(物理)で内臓もやられてしまったらしい。
「もうやだ凄いお腹痛い……悪魔の所業だよ……」
「無様だなあ」
「犯人お前!」
「回復すればいいのに。さっき二回もやってただろ」
「あれ死なないと発動しないんだよ……」
「マジかよ可哀想に」
「なんで金槌構えてんの!?そういう優しさいらないからね!?」
「工具箱にノコギリとツルハシもあるけど」
「バリエーションも求めてねーよ!!」
そしてアルバは呻きながらまた頽れた。自分の叫び声が腹に響いたらしい。アホである。
それにしてもよく泣きよく喚く奴だ、正直ゾクゾクするので家で飼いたくなってきた。天使って何を食べて適温はどれくらいなんだろう。月幾らかかるのかな。シオンが収入と相談し始めたとき、アルバが掠れた声をあげた。
「と、にかく、ここがオリジニア、でいいんだよね?三回も言われたし、嘘じゃないんだよね」
「オレが嘘を吐くような人間に見えるの?」
「うん」
頭を踏みつけた。
「いぎぎぎぎ!!」
「間違いなくオリジニアだよ。オレの家はかなり外れの方だけど、道沿いにしばらく北上すればもっといっぱい家が並んでるし店や宿も小さいのならある」
「ぐぐ……そっか、ありがとう」
「アルゴラグニア?」
「痛めつけられてることに礼言ったわけじゃないから!」
また涙声になってきたので流石に足をどかしてやった。シオンは苦痛に緩急をつける派だったので。怯えた目の天使は血やら泥やら涙やら鼻水やらにまみれもうぐっちょぐちょである。いい眺めだった。
「うううまだ何も仕事してないのにこんなボロボロとか……」
平常時から使い古しの雑巾みたいなツラだろ、という言葉が出る前にシオンはひとつの疑問に行き当った。仕事?確かに天使と言うからには読んで字の如く神の使いなのだろうが、こいつに何が出来るというのか。
「お前一体何しに来たの」
幸せでも届けに来たのだろうか。そういうことならシオンは今幸せいっぱいなのだが。
尋ねられたアルバは酷く答えにくそうに視線を彷徨わせ、あーだかうーだか唸っていた。彼は今度こそ両の足でゆっくりと立ち上がって、白くはなくなった衣服を申し訳程度に払う。数秒の逡巡。
「お前は冷酷非道で残虐極まりない嗜血癖すらある人間だけど、何故か目は綺麗だから、多分根本的には、優しい子、なんだよね……うん……」
それにまだ子どもだし、とアルバは己に言い聞かせるように呟いている。まさかショタコンだったのか。シオンが密かに戦慄している中、アルバは意を決したように少年を見た。
「出来る限り遠くまで逃げるんだ。仲いい子とかみんな連れて」
「は?」
天使は言う。
「ボクはこの村を滅ぼしに来た」