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首のある男の話

 王が気付いた時には、彼の周りに人間は一人しかいなかった。
 城門を守る衛士と食事を運ぶメイドとを見分けるのは簡単であった。服装を見ればよい。外形的で類型的な区分は常に明確であって、見失うという心配がない。或いは見失われる恐怖も。故に彼は名声を望んでいた。英雄の王と呼ばれたかった。
 執務室に通ずる白い廊下の向こう側から、二つの人影が歩いて来る。ゆったりとしたローブと中肉中背の体つきから判断するに、恐らくどちらも文官であった。王の姿に気付いたのか、彼らは壁の際に身を寄せ、深々と背を折り曲げた。通りすがり様に挨拶を投げると、二人のうち背の高い方が少しばかり角度を緩め、王様、このような場でお伺いするのは失礼と存じてはおりますが、と前置きしてから言った。
「先日奏上致しました法律案にはお目通し頂けましたでしょうか」
 期待と焦りの入り混じった声には聞き覚えがあるような気もしたが、結局思い出すことは出来なかった。間の悪いことに王は今一人だった。少々の逡巡の後、老人は率直に尋ねるという選択をした。背の高い男は、短くも重い沈黙を落としてから、失望の色をあからさまに己の名前を口にした。王権派の中核を担う古参官吏だった。
「お、おお、あれな。まだ詳しくは見ておらんがいいものだと思うぞ。ご苦労であった」
 不自然なほどに歩調を上げ、王はそそくさとその場を去った。長い緋の衣を踏みつけ蹈鞴を振んだが、首のない男二人がどのような表情でそれを見ているのかは分からなかった。

「おや、王様。いかがなさいました」
 樫の扉から顔を覗かせた大臣は、眉を下げて立ち尽くす老人を怪訝そうに見つめ、それから私室へと招き入れた。
「仰って頂ければこちらからお伺いしましたのに」
「お前の顔が見たかっただけだ。人を遣るほどの用事でもなかろう」
 流麗な蔦模様の施されたソファに身を埋める。骨ばった肉体と大きすぎるローブが、柔らかな綿に飲みこまれてゆくのが感じられた。王に落ちる不安げな影を、大臣はいつも通りの柔和な顔で眺めていた。
 気付いた時には人間は一人だけだった。いつからそうなったのか、何がきっかけだったのかを王は最早覚えていない。衛士もメイドも執事も姫も皆一様に変わりなく首が無かった。彼らは王を見ず、王の言葉を聞かず、自らの意思で王の名を呼ばない。王のことを考える頭も持ってはいない。バケモノの癖に人間のように振る舞って我が物顔で城を闊歩しているものだから、老人は時折耐え難いほどの恐怖と孤独を感じるのだった。大臣だけが首から上を持っていた。
 今お茶を、と背を向けた彼を呼び止め、己の正面に座らせた。無言でまじまじと見つめているとほんの一瞬奇妙な微笑が現れたが、それだけだった。王は大臣の顔を見つめる。彼の目は柔らかく細められており、年齢の割に滑らかな皮膚も、整えられた口髭も薄いくちびるも僅かに尖った耳も数年前と同じままにそこにあった。何故か深い色をした安堵が溢れ、王は静かに溜息を吐いた。首無しの魔物の蔓延る城にあって、この大臣だけはいつまでも変わらず人間であるのだろう。それは老人にとっての救いであった。
 マイン・フェンフはそれを聞いていた。王様、と彼を呼び、痩せこけた頬のあたりを見つめた。
 死に急ぐ鼠を見るような、優しく、温かく、慈愛に満ちた眼差しだった。

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