101号室 ワンダーウォールを叩き壊す日 忍者ブログ

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ワンダーウォールを叩き壊す日6(完)


「……」

「……」

「……ロス」

 

彼の声 / 壊されるもの

 

 

 別れの言葉も告げられないまま少女の声は消え去って、彼の訪いはぱたりと途絶えた。ここにはなにもないし、なにも出来ることはない。そういえば空腹感すら覚えていないということに今更気づいて、アルバは少し笑った。流石は元勇者で現魔王だ。立派な化け物じゃないか。

 光のないこの場所にあって、瞼の裏はいつでもぼやけた色をしている。目を開いていようが閉じていようが何一つ変わらなかった。目覚めている間、アルバは一面の灰色の上に貼り付けた思い出を反芻し続けた。旅の光景。村の話。古い物語。少女の声。何度も何度も擦り切れるほどに思い返したというのに、記憶は少しも褪せることなく鮮やかさを保ち続けた。喜びと驚きと憧れと寂しさと罪悪感、アルバの胸を埋める全ては彼に渡されたもので出来ていた。

 やがて覚醒している時間は短くなっていった。空っぽの夢の中から引き上げられる度、アルバは己がまだそこにあることを思い出して驚く。魔王さん、と呼ぶ声がないのは大きな安堵を齎した。もう彼はアルバのために命をすり減らしてはおらず、どこかで静かに生きているのだろう。共に訪れる果てしない空虚には気付かない振りをした。これもやがて永い眠りが押し流してくれるはずだから。

 水面も底もない灰色の沼にアルバの意識は沈み込み、臆病な魂を道連れにしてどこまでもどこまでも落ちていく。肺の中に空気はなく、手には水を搔く力もない。灰色の壁に囲まれたささやかな世界は、そこで終るはずだった。

 けれど、また声がした。

 

「――アルバさん」

 

 初めて耳にしたとしても決して間違うはずのない、彼の声だった。

 

*

 

「愚鈍な豚もこうまで堂に入るといっそ感動的ですね。人のこと待たせといていつまで気持ちよく寝てるつもりですか」

 言葉が出なかった。

 何故ロスの声がするのだろう。走馬灯の一種か何かなのだろうか。幻聴。本物の彼が帰ってきてくれるはずがないことくらいはアルバにだって分かっている。怯懦によって砕かれた言葉の断片からだって、聡いあの男は真実を見出したに違いないのだから。返事をしたところで自分の頭の都合のよさに空しくなるのは明らかだったので、アルバはもう一度目を瞑った。

 ――バチバチバチィ!

「っひぃ!?」

 不意打ちで響いた放電音はとても心臓に悪かった。また何か壁にぶつけたであろう犯人は、涼しげな声で「やっぱり起きてるんじゃないですかー」だのと宣っている。どういうことだこれは。

「ロス、お前、なんで、」

 久方ぶりに発した声は見事なまでに擦れていて、舌も思うように回らない。言いたいことはたくさんあるにも関わらず、どれひとつとして言葉にならなかった。壁向こうの彼はアルバの焦りを鼻で笑う。

「オレがいなくて寂しかったですかアルバさん?泣いちゃいました?」

 意地の悪い声色には彼の血が通っていた。信じられない、都合のいい夢じゃないのか。呼吸音と心音がうるさい。

「最後に会いに来た直後になんの前触れもなく空爆が来たので、あの女子あっさり死んじゃったんですよね。その後はあれよあれよという間に戦線が拡大し、何回生まれ変わっても魔法使えるようになる前に殺されちゃいまして」

「惨たらしいことをさらっと言うよね」

「そのせいでしばらく来れなかったのは申し訳ないと思ってますよ」

「……謝るなよ」

 真に詫びるべきがどちらなのかは明らかだった。アルバは彼を騙し、優しさと命を搾取し続けていた。

 見限られたのだと思った。なのに彼はまた壁の外側に現れて、何も気にしていないような軽い調子で話しかける。思いつく理由はたった一つだった。再会の喜びと、そしてそれを上回る恐怖がアルバの指先から這い上がってきた。

「返しに来たんだろ?ずっと昔、ボクがお前に押し付けただろう魔力と記憶を」

「ええ」

 この壁を崩す鍵の半分を。

 返ってきたのは予想通りの答えだった。喉が痙攣して、意志とは無関係に乾いた笑いが漏れてきた。そうか、お前はそこまで。

「……ごめんね」

「それは何に対する謝罪ですか」

「全部だよ」

 最初から全部間違っていたのだ。覚えているよりも前からアルバは彼を利用し続けていた。

「記憶なんてものを押し付けたこと、命を削ってまで会いに来させたこと、お前の魂を縛って転生なんてさせたこと、『重くて嵩張って鬱陶しいもの』を突き返す方法に思い至ってからも黙ってたこと、気付いたお前が突き返そうとしたら世界を盾にとって拒否したこと。お前に出会ってからのなにもかも全部に謝らなくちゃいけない」

 ロスの優しさに付け込んでいた。齎される何もかもがとても優しくて、彼の去った後の空白と孤独が恐ろしくて、本当に彼を思うなら受け取ってはならないたくさんのもので灰色の壁を飾ってしまった。嫌われることも見捨てられることも怖くて何も言いだせなかった。そうしているうちに全てを理解してしまった彼は、魔王を世に放つことと引き換えにしてでもアルバの記憶を捨てようとしている。

「……忘れられたくなかったんだ。一生この壁の中から出られなくったって構わないけど、魔力を捨てて転生の魔法が解けたお前に忘れられてしまうのだけは怖かった。傍にいてくれなくていいから、ただお前にボクのことを覚えていて欲しかった」

 言葉にしてしまえば眩暈がする程に身勝手で、そして取るに足らない理由だった。こんなもののためにロスに苦痛を味わわせ続けていたのだ。アルバは強く目を瞑る。せめて少しでも彼の怒りが和らぐように詰って罵ってもらいたいとすら思った。

「――馬鹿じゃないんですか?」

 けれど、投げかけられた声はどうしたことか紛れもない喜色に満ちていた。

「自由意思で会いに来てるって前に言いませんでしたっけ?海馬に魚の小骨でもささってんですか流石ゴミ山さん」

「え、」

「それにね、記憶と魔力を返す方法なんて言われるまでもなく知ってましたよ。でも半泣きでオレに預けて封印魔法使ったあなたに免じて無理矢理連れ出さずにいてあげたんです。自分から鍵の話をしたときにはついに外に出たくなったのかとちょっと期待したんですが、まさか内心そんなぐちぐち思い悩んでたなんてねーうわーもう馬鹿の考えることってマジでおもしれー。いっそときめきそうですよ」

 そこまで捲し立ててから彼は声を立てて笑い始めた。アルバは思わず呆気にとられた。何故かやたらと愉快そうで非常に困惑する。

「あの、怒って、ないの?」

「自己封印するのを勝手に決めたこと以外は。割と幸せでしたし、それに、あなたの一番大事な人間は心が広いんですよ」

「……えっと、好きな子のこととかは」

「よくそんな話覚えてましたねクソ野郎」

 笑い過ぎてひいひい言いはじめていたロスはそこで一旦息を整えた。壁に遮られて見えはしないが、間違いなく涙まで出ているだろう。

「それじゃ、その点に関しては一切許してないです。この後一生かけて責任取ってください」

「ちょっと意味が分からないんだけど」

「返しに来たって言ったじゃないですか」

 ロスは続ける。

「壁を壊して次元の狭間を出ましょう。魔王なんて現れずとも世界はとっくに滅んでます」

「……は?」

「先の大戦で新兵器が飛び交い、人口はもとの二十分の一ほどまで減りました。環境は汚染され文明は崩壊し、これ以上は悪くなりようがない状態です。あなたが外出てちょっと暴れたくらいじゃ何も変わりませんよ」

 ロスの言葉には歌うような調子すらあった。そんな凄惨な環境で生きているくせにこいつはどうしてこんなに楽しそうなのだろう。アルバがしばし絶句していると、少し焦れたような声が聞こえてきた。

「出たくないんですか?次はいつ来れるか分かりません。ひょっとしたら最後のチャンスかもしれないんです」

「でも、」

 鍵を開けて壁を壊してしまったら。

「オレに会いたくないんですか」

「会いたいよ!けど」

「ここから出れば会えるんですよ。一緒に旅をして、二人で馬鹿をやって、隣で本を読んで、手を繋ぐことだってできるってのに」

 アルバが言い淀んでいると、壁の向こうから溜息が聞こえた。そして、それに続く轟音と雷光。放電音に混じる苦痛の声を聞くに、恐らく直接壁に触れているのだろう。アルバは焦った。

「おい馬鹿何してるんだよ!?さっさと手ぇ離せ!」

「くれてやった思い出べたべた壁に貼り付けてるくせに、人のお願いは聞けないってどういうことです。さっさと壁壊さないとオレが死にますよ」

「だってお前は忘れてしまうじゃないか!」

 アルバは泣き叫んでいた。壁を壊しここから出たとしても、魔力を失った彼はアルバを覚えていない。独りぼっちになるのが恐ろしかったから、アルバは迷いながらもロスの手を離せずにいたのに。

 それを聞いた彼は、魔力の雷に痛めつけられながら、それでも嬉しくて仕方がないというような音で笑ってみせた。

「何世紀もあなただけ見てたってのに、記憶を失くしたくらいで忘れられるわけないでしょう」

 でももし不安なら、とロスは言う。

「今度はあなたがオレを見つけ出して、全部思い出させてくれればいいじゃないですか。いつまでだって待ってますから」

 見たことも無いはずの彼の微笑が心のどこかに浮かび上がった。

 肩の力が抜け、横隔膜が揺れる。アルバもいつの間にか笑いはじめていた。

 そうだ、彼の言う通り、何も難しいことはなかった。ロスが忘れたってアルバは覚えている。それならアルバは決して独りになることはないし、もう一度初めからやり直すことだってできるのだ。最初の彼と自分がそうであったように。

「ありがとう、ロス」

 涙を拭ってから視界を覆う灰色に右手を伸ばす。温度のない雷に焼かれながら腕は壁の中に沈み込んでゆき、やがて指先が何か柔らかで血の通ったものに触れる。彼の手を握るとき、もう躊躇いはなかった。

「お前がいてくれてよかった」

 めきめき、という音を伴いながら、継ぎ目のない壁面に数多の亀裂が走り始める。

 そして、永い時の中でアルバを隔て、慰め、隠し、守ってきた灰色の壁は、叩き壊されるようにして崩れ去った。

 垣間見えた彼の瞳の赤を掻き消して、渦を巻く巨大な光がアルバの中に流れこんでゆく。滅んでしまった世界にかつての魔王が投げ出される。

 

*

 

 紫の空、高周波で泣き喚く鳥、奇怪な螺旋を描いて低く茂る木々。久しぶりの人の世界は確かにこれ以上悪くはなれないだろうという有様だった。腐った空気を肺いっぱいに吸い込む。馬鹿みたいに心が軽くて今なら空でも飛べそうだった。

 繋いでいた筈の手は空だった。構うものか、待っているというのだから探しに行けばいい。

 

 ロスともう一度友達になるために、アルバの旅が始まった。

 

 

***

 

 

「もしもし」

 背後からかけられた声に驚きつつ彼は振り返った。知らない声色だが誰だろう、こんな辺鄙なところに旅人でも訪れたのだろうか。

 人工太陽に照らされた狐色の髪の青年は、赤い双眸を喜びに輝かせて立っていた。やはり知らない人間だ。けれど。

「――やっと見つけた」

 頭を思い切り殴られたような衝撃と、泣きだしそうな嬉しさに同時に襲われる。

 かつてロスだった彼は、誰何するよりも先に青年に手を伸ばしていた。

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