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墓地が無料急いで死ね


「っひいぃ!?」

 虚仮脅しや嫌がらせではなく完全に当てるつもりだった。けれどロスの拳は子どもの顎を抉ることはなく、いとけない曲線を描く皮膚をかすめるだけで宙を穿つに止まった。無言で睨みつけると、後ろに倒れたアルバが目を見開くのが見えた。溜まった涙が一粒落ちた。

「なんで避けるんですか。想定した手応えがなかったせいでオレが転んで怪我を負ったとしたらあなたに責任が取れますか。取れませんよね。黙って殴られてくださいよ」

「殴るのがそもそもおかしいと思うんだけど……」

「もっと痛いことする前に意識飛ばしてやろうっていう慈悲です。余計なお世話でしたね」

「もしかしてボク死ぬの?」

「あはは」

「否定しろよぉ!!」

 ロスは笑った。笑い事ではなかったが、笑った。血管とはらわたの隙間を縫うようにしてどす黒い蛇が這いずりまわっていた。肉に染み込んだ猛毒は脳味噌だか魂だかまで辿りついて、代謝されることもなくひたすらに濃度を増し続けている。視界がちかちかと瞬いた。つめたい興奮と、怒りと、そしておそらくは数滴の恐怖が混ざった気味の悪いものが、吐き気に仮託して外に出ようと暴れているのだ。看過し得ない事態だった。全てアルバのせいだ。だからロスはこの少年を殺さなくてはならない。

 大股で距離を詰めると、アルバは後ずさって逃げようとした。安宿の薄汚れた壁に背が当たり、彼はみっともなく息を飲んだ。溢れ出してしまいそうになったので、ロスはもう一度笑うことにした。

「あの、あのさ、なんでそんなイライラしてるの?昼にあんみつ食べてる時はあんなに機嫌よかったくせに」

「勇者さんが呼吸してんのが目についたので」

「生まれてこの方休むことなく息し続けてるけど!?」

「それがよくないんですよ」

 生きていることは変わることだ。遠ざかることで忘れることだ。包摂し得ない他者である限り、ロスの掌はアルバの温度を取りこぼし、アルバのひとみは逸らされる。別れは約束されていて、受け取ったものの質量を直視するならばそれは甘受すべき痛みなのだろう。けれど、まだ身の内でしぶとくも脈打ち続ける柔らかな部分が、耐えられないと絶叫する。血を流す。己で己の傷を抉って、消えないようにと細工する。追い縋ってしまえ、打ち明けてしまえ、犯して暴いて縛ってしまえと耳の奥で歌い続ける。おぞましい器官を切除するほどの力もなく、ロスという名前の戦士は二律背反の中で中途半端に首を吊る。タイムリミットがあるのだから、死ぬにしたって急がなくてはならないのだ。殺すにしたって。

 このどうしようもない状況を、あるいは病状を、何とか片づけることのできるたった一つの手段があった。ロスはそれを知っていた。腰を抜かした少年に右手を伸ばし、胸倉を掴んで引きずり上げる。血と肉の重さがあった。蹴り殺される犬のような怯えた目が、哀れみを請うまろやかな黒が、滲みながらロスの輪郭を撫でた。あなたは死にます。青年は口の中で呟いた。絞り出された愉悦は誤魔化しようもないほどに薄っぺらく、むしろその後ろのものに目の裏を突き刺されそうになってしまった。

 少年の頬にはばらの色味が散っていた。少し日に焼けた肌は幼さの残り香をまとい、半開きのくちびるからは乳の色をした前歯とあかい舌先が覗いている。高くも低くもない鼻の少し先で、湿り気を纏った睫毛が幾度か震えた。

 この生命のうごめきを止めてしまえばいい。憎々しい子どもの人でなしの勇者の存在する地平を自分の隣から内側に変えてしまったならば、もはや失うことはありえない。とうの昔に去った彼らと同じ場所に、もうひとつだけ冷たい死体を格納する。それは二度と目を開けず、決してロスを見ないものだ。絶対に届かないからこそ、心安らかに愛してやれる。応えを返さぬものは嘘を吐くこともなく、また、ロスの言葉も嘘にはならない。思い出を食いつぶす方法ならば父を見てよく知っていた。

 左腕を伸べた。この弱々しいいきものならば、きっと片手で絞め殺せる。はやく。手遅れにならないうちに。

「ろす、」

 まなざしがあった。頭の天辺からつま先までを貫いて、内側のものを全て搔き出して日のひかりの元で検分を始めてしまうような真っ黒な目があった。見るなと叫びそうになって、それなのにどこかが歓びで融けはじめた。押す力と引く力が拮抗して腕が動かなくなった。

「死にそうな顔だけど大丈夫」

 お前がそれを言うのか、という言葉を閉じ込めるために、ロスは血が出るほど唇を噛まなくてはならなかった。身の内に燻るものが炎であると認めた途端、それに焼き殺されることを知っていた。宙ぶらりんの左手を彼の背に回してしまえば息が止まるのは分かっていた。事態は殺すか殺されるかというところまで至っていた。

 昼間見た、パンケーキを口に運ぶへにゃりと崩れた顔が脳裏に浮かぶ。あれをなんとかしなくてはいけなくて拳を握ったはずなのに、結局何ひとつ打ち砕けてはいなかった。勝目のない殺し合いに巻き込まれたことを悟り、惨めさのあまり笑うことすら出来なかった。

 子どもがまた彼の名を呼んだ。近いうちに殺されるのだろうと思った。墓を建てなくてはならなかった。

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