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見えない目には意味がなく、見えないものはそこにない。では見て見ぬ素振りの目の玉と見えないことにされた諸々はどう折り合いを付ければいいのだろう。クレアには答えの持ち合わせがない。
「よっこいせ」
寝転がってガイドブックを読んでいたら、サイドチェストの上のランプが突然消えた。驚いたクレアが目を遣ると、隣のベッドに腰掛けたシオンが何やらごそごそとやっている。どうやらコンセントを抜いたらしかった。
「この世界のテクノロジーって一体どうなってんだろうなー」
「うるせえ黙って無限大な夢広げとけ」
愛しい思いも負けそうな凍てつく声で宣いつつ、寝間着に着替えた親友はごそごそと鞄を漁っている。数秒の後に取り出したのは、学術書くらいの黒い台座に瑕一つないガラス板が填めこまれた、術具か装置のようなものだった。明らかに鞄の口よりサイズがでかいことに関しては、クレアは見て見ぬ振りを決めた。
「えーっと、シーたんそれ何」
「モニター」
「何見るの」
「監視カメラの映像」
「……どこの?」
内部に収納されていたらしいコンセントを引き伸ばし、空いた差込口に挿入する。シオンの指が台座の側面を撫でると、低く唸る音に続いてガラス板が薄く発光し始めた。好奇心のままに覗き込んだ瞬間、クレアの呼吸が止まった。そこには見知った姿があった。
「勇者さんのとこの」
涼しい顔をした親友は、悪びれる様子もなくそう言った。
*
「シーたん、あの、それ」
「あれ、言ってなかったっけ。この前付けたんだけど」
「言ってないし聞いてないし聞いてたらちゃんと止めたよ!?ねえシーたん一個ならまだ引き返せるよさっさと止めよう」
「死角がないように防水防塵型のを12機ほど設置したんだが」
「うわあああ手遅れだったあああ」
「うっさい叫ぶな隣から苦情が来る」
首筋に手刀を食らい、クレアは悶絶した。痛みとそれ以外の理由からぼとぼとと涙が落ちて止まらない。ごめんなさいアルバくん、オレは無力です。シーたんは一体どこに行こうとしてるんだろう。内心で呟いて、それから更にアレな可能性というか危険性に思い至った。防水?なんで水を防がなきゃいけないの?
「シーたん、えっと、風呂とかトイレは……」
「付いてるに決まってんだろ」
「見てんの!!?」
「見てねーよ。変態じゃあるまいし」
マジかよ変態じゃないんだ。寝る前に永眠するのは嫌だったので、クレアは心の声を呑み込んだ。間違いなく夢の中で消化不良コースだった。
明晰で怜悧で悪辣ででも根は優しいというある意味分かりやすい親友は、しかし彼の友達兼相棒兼勇者兼ナニカというたったひとりが絡んだ途端に理屈をぶっちぎった暴走野郎に変身する。とても冷静に発狂しているものだから周りは気付きすらせず当の被害者も慣れで流していると来れば、彼を止めるものは最早存在しなかった。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。医者と親友が挙って匙の遠投大会を始めるレベルだった。
クレアは頭を抱えた。心因性の頭痛がちょっとずつ忍び寄っていた。辛い。
「……そもそもさ、何のためにそんなもん付けてんの。何を心配してるのシーたん」
「別に何も」
「うん?」
また予想の斜め上空を音速飛行していった。クレアの胸には既に敬意のようなものさえ生まれ始めていた。てっきり見てない隙に他の男なり女なりに取られるのが嫌というアレな感じのアレかと思っていたらまさかの無因性。それはそれで別方向のヤバさがあるが。
シオンの指が踊る度、画面を流れる映像が切り替わり、異なる角度と表情のアルバが早回しで流れていく。右上の辺りに小さく描かれた数字の羅列は今から二時間ほど前の時刻を表していた。
「念のためだよ。あの人がオレの目の届かないところで生きてんのが気に食わないし、あとまた見てない隙にデカくなられても嫌だし」
「なかなかレベルたけーなサーキット何周目だよ」
ひと月目を離した程度ではそうデカくはならないのは明らかなのだが何が彼の認識力を殺したのだろう。勇者っていうのは病気か何かなのかもしれない。
「あとは課題サボんないようにっていう威圧効果もあるな」
「鬼教師……、ってあの、シーたんちょっと待って」
「何だよ」
赤い目に見据えられて、クレアの背筋には冷たい汗が一筋伝った。風呂入ったのになあ。明日の朝入り直した方がいいかもしれない。明日が来ればの話だが。
「オレ頭悪いから変なこと聞いても怒んないで欲しいんだけどさ、」
「おこだよ(激怒)」
「怒んないでって!!あの、その威圧云々ってさ、アルバくんがカメラの存在知らないなら意味なくないかなー、って……」
「激おこぷんぷん丸(殺意)」
「どんだけ表現カジュアルにしたところでカッコの中で台無しだぜ!?」
「馬鹿に馬鹿にされたら流石にキレるわ。知らせてるに決まってんだろ」
「んんんんんんんん??」
一時間前のアルバは勉強机の前で大きく一つ伸びをした。課題が一段落したらしい。斜め上からの映像が正面からのものに切り替わり、色の違う目がモノクロの光の奥に瞬きを繰り返していた。触れるか触れないかの微妙な間隔を保ったまま、白い指が画面の上をなぞった。微かに震えているようだった。
「そもそもそんなにステルス効果高いカメラ使ってないし、稼動音も結構うるさいんだよ。というか設置するとき本人の目の前で配線繋げたぞ」
「…………それはえーっとあの」
冷や汗は滝に変わっていた。
「アルバくんは、その、完全に合意の上で自分の生活シーたんに公開してるってことでいい、のかな……?」
「そうなるな」
重心を保てなくなり床に崩れ落ちた。心の中に湧き上がる黒ずんだもやもやに名前を付けるとしたら、多分、恐怖だった。全部見なかったことにして聞かなかったことにして忘れてしまいたい。どっちもめっちゃ怖い。クレアの様子に怪訝な目を向けながらも、シオンは言葉を続ける。
「流石はド変態、猥褻罪での服役歴は伊達じゃないってことだな。見ちゃいけない部分からは目を逸らしてやってる訳だから手間賃貰っていいくらいだよ」
「シーたんお前もちょっと目を離した隙に戻って来れないとこまで行っちゃったんだな……」
「あ?」
「ごめんその目やめて殺さないで」
なんでお前ら付きあわないの、とは聞かない。以前酒の席で似たような話をしたら三時間ぶっ続けで語られたので。曰く、勇者さんは神聖にして不可侵であり持てる最大の友愛と尊敬と愛着と悪意と侮蔑と嘲笑と日々のストレスをぶつけ煮えたぎる油に沈め縄で縛り針に座らせ肋骨を折って足蹴にしてから極々稀に優しくすべき大事な大事な玩具なのだから間違っても劣情の対象にしてはならない、云々。何をどう拗らせたらこうなるのかは相変わらず微塵も分からないが、クレアは一つだけ確信した。やっぱり勇者は病気だ。
それにしても、と思う。シオンの頭が手遅れなのはよくよく分かったが、アルバの方は何なのだろう。特に何も思ってない人間に私生活全公開しているなら本当にアレがソレで、要するに家庭教師より病院を必要としている感じなのかもしれない。普通の子だと思っていたが、拗らせ男の話やら今回の件やらのせいでクレアの中での実在性すら危うくなりはじめていた。あととても怖かった。
ふと、シオンが柱時計に目を遣った。あまりに滑らかな視線の逸らし方に寧ろ多大な違和感を覚え、クレアはモニターを覗き込む。何事だろうかと眺め、そして、後悔した。
哀れな機械は数十分前のアルバの姿を映しだしていた。そこにあったのは機械の向こうを見通すように必死に目を凝らす少年であり、男の名を呼び続ける唇の動きと愛を告げる声なき声だった。全て見て見ぬ振りで捨て置かれたものだった。