101号室 お前の妄想はチラシの裏にでも書いてろ 忍者ブログ

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お前の妄想はチラシの裏にでも書いてろ

 

 両の親指を筋繊維の隙間を抉るようにして突き立てて、ひとさしゆびの中手骨で喉仏を押し込む。ごりり、という嫌な音はどこから響いてくるのかは知らないけれど、思わず息を飲むとまたその動きが喉を蠢かせて新鮮な痛みを運んでくる。空気を求めて口を開けば涎が溢れ出て、ひゅは、というようなへたくそな笛みたいな喘鳴が漏れた。そのまま解体を始めてもおかしくないような第一指とは対照的に、頸の後ろに回された計八本の白くながい指の群れは存外に優しい。激しく締め付けるでもなく爪を突き立てて肉を抉るでもなく、ただ力が分散しない程度に添えられている。逃がさないようにと。縋りつくように。じっとりと噴き出してゆくボクの汗は、きっと彼の掌を通して、もっと内側に、血に、肉に、骨に、或いは魂にまで浸みこみ始めている。戦士がそれを嫌がるそぶりも見せないので、ボクはいっそ叱ってやりたくなることすらあった。

 致死の行為をこうして細々と描写できるのは、ボクが並はずれて頑丈だからというわけでも、ましてや苦痛性愛者だからというわけでもない。単に慣れているからだ。

 勝てそうもないモンスターに斬りかかって行ったりとか、崖の上から飛び降りようとしたりとか、ボクが無茶をすると、戦士は物凄く機嫌を悪くしながら、何も言わずに手当をしてくれる。そしてその後ボクを地面にぶん投げて、上から圧し掛かるようにして首を絞めはじめる。最初の頃はわけが分からなくて、解放されてからぎゃんぎゃん泣いて文句を並べたてては若干機嫌の直った戦士に蹴りを入れられていた。けれど、いかにボクの脳味噌が干からびた海綿の如くにすっかすかだったとしても、同じ暴力に二桁回晒されていれば流石に学習もする。具体的には、ああこれから絞められるのだなという雰囲気の察知とか、抵抗は無意味どころか有害だという悟りへの到達とか、より苦しくない体勢の会得とか、あとは苦痛を生み出す状況を観察する精神的な余裕の獲得とか。

 赤やら白やら黒やらあまりよろしくない感じに明滅する視界の中心で、戦士はいつもひどい顔をしていた。怒っているような、蔑んでいるような、追い縋るような、泣き出しそうな、安堵するような、どこか遠くを見るような。色んな物を詰め込み過ぎてぐっちゃぐちゃになっているけれど、とりあえず被害者であるボクより死にそうになっているのは確かだった。そんなに辛いならやめればいいのに。

 音量を増していく耳鳴りに塗れて、彼が口の端を歪め、鋭く尖った犬歯でその薄い唇を噛みしめるのが見えた。ああ今日はここまでか。意識が落ちなかったことに軽く安堵していると、頸部にかかる圧力が一気に減少した。予想はしていたが体は対応しきれず、ボクは激しく咳き込み、鼻孔の方まで涎を逆流させて更に噎せた。肺めがけて流れ込む酸素のお陰でどんより曇った空も輝いて見える。今日も世界は美しい。

「きったない」

 寝ころんだまま肩で息をしているボクを見て、戦士が嗤った。口のまわりがびしゃびしゃのままなのを言っているのだろう。ボクは手袋のまま適当に濡れている辺りを擦って、掠れる声で「お前も」とだけ言った。噛みしめられた唇の薄い皮膚が切れ、戦士の口の端に一粒だけ赤い滴が膨らんでいた。短い言葉の意味をきちんと拾った彼は、零れ落ちたボクの唾液にまみれて「きったない」ままの指先で、乱暴にそれを拭った。

 呼吸が整ったあたりでボクは身を起こした。すると、戦士が無言で正面に座り、鞄から引っ張り出してきた湿布と包帯を膝の横に置く。無言のまま為される手当てまで含めて、これは一種の様式美となりはじめていた。湿布の冷たさは好きだ。体温の低い彼の手が、それでもきちんと温もりを持っているのだと教えてくれるから。手持無沙汰なボクは、人形のように整った戦士の顔と、剣胼胝と傷を纏いながらもどうしたことかうつくしいその白い手をぼんやりと眺めていたが、そのうちふと目の粗い包帯のロールが痩せ始めているのに気付いた。だから、いつもはしないような、どうしようもない上にどうでもいいような質問をしてみることにした。

「お前はボクの何が気に入らないの」

 ボクの首(恐らくはもう湿布の下に隠れてしまった赤黒い手形)をまんじりともせず見つめていた彼が、その真紅の瞳でボクの目を覗き込んだ。綺麗だとは思ったが、質問を質問で返されるのは気分が良くない以前に落ち着かない。黙っていると、戦士は舌打ちをした。

「あなたがあなたであることが気に食わないんですよ」

「大変だなあ」

 それじゃあ彼は四六時中ボクの首を絞めたくなる衝動と闘っているということなのだろうか。難儀な男だ。そのうちストレスで死ぬんじゃないのか。

 戦士の瞳が石を投げ込まれた水面のように揺れた。そこは残念ながら澄んだ湖でなくて血の池なのだけれど。

「あとは、あなたがあなたでなくなろうとするのが」

 何を言っているのかはよく分からないが、何が言いたいのかは何となく察した。本当に面倒くさくて可哀想な人間だと思った。ボクはどう足掻いたってボクでしかない。他の誰かに、例えば彼にだってなることはないというのに、いい歳してもそれが分かっていないだなんて。

 底なし沼に頭から突っ込んででも目を逸らしたいようなものなんて、ボクはまだ知らない。知りたくはないし、見えたとしても知らんふりをする程度には強くて優しくない人間でありたい。そうでもしないと包帯が勿体ない。

 戦士が得たもの。戦士が得られなかったもの。戦士がボクを通して得たがっているもの。ごちゃごちゃどろどろしていて訳が分からないが、せめて肉体言語ではなく口で伝えてほしいと思った。

 改めて彼の顔を眺めた。綺麗なひとだ。薄い皮いちまい剥げば肉の塊になるのに、それでも綺麗なひとだ。ボクは彼の足首を掴んで引っ張り上げるために一番適切な言葉を探した。ちょっとくらいえげつない方がいいか。

「ねえ、戦士」

 長く、濃く、黒々とした睫毛を連れて、瞼が閉じて開いた。このささやかな動きで彼の瞳に、彼がボクを映すその場所に涙が行き渡ったのだと思うと、説明しがたい情動が背骨を駆けあがってきて、痛む首筋のあたりでちいさく爆ぜた。

「首絞めオナニーって趣味悪いと思うよ」

 グーでぶん殴ってきた彼は怒りに顔を歪めていたが、眼の中からは、あの悪夢に揺蕩って遊んでいるような色は消え失せていた。

 ぶっ飛ばされながら、ボクは小さく呟く。ざまあみろ。彼には聞こえなかっただろうが、別にかまわなかった。届けたい人間には届いたのだ。ボクの中に誰かを見ている彼、それを見ているボク自身に。

 ボクは自由帳じゃないのだから、そんなに好き勝手書かれて引きちぎられてたらたまったもんじゃない。

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