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万全の準備を整えて襲撃したにも関わらず牢屋の中は空っぽだった。勇者さーん、と呼んでみるも応答は無く、シオンの声が虚しく響き渡るだけ。ベッドの下やら机の引き出しやら便器の中やら考えられる場所は全て探したが、アルバの姿はどこにもない。
「……どこ行きやがったあの野郎」
足を踏み入れた時点では争ったような形跡はなかった。門番のツヴァイが何も言わなかったあたり、恐らくは転移魔法でも使ったのだろう。目的地も目的も全部纏めて不明ではあるが。
胸に兆す不吉な予感から目を逸らしつつ、シオンは牢を後にした。
* * *
一番近い町は洞窟から十数キロの位置にある。嘗ては宗教の一大中心地として栄え、今となっては歴史的建築物の威容によって潤っているという観光都市。当然人通りは多く、望む人物を見つけ出すのは容易ではなかった。私が魔力感知できればよかったのにね。ゲートを開いたときに零された言葉を思い出す。ぺたりと羽を萎れさせたルキの頭を、シオンは黙って撫でてやった。悪いのは彼女ではなく、突然失踪した勇者だ。
橋の前を通ると、草臥れた服を着た初老の一団が屯していた。ありがたいだの今生の宝だのという言葉を聞くに、どこかの農村から巡礼に来た連中だろう。少しばかり視線を上げて河向こうを眺める。大きく広がる翼廊は目の覚めるような真っ青な屋根を被っており、その後ろには天を貫く巨大な尖塔が二本屹立している。長い歳月を通り抜けた教会は、まるで永遠のようにして佇んでいた。
街は喧騒と笑声に満ち満ちていた。平和だった。争いの影も無かった。
彼が、いなかった。
そう思った瞬間、急激に疲労感が襲ってきた。脚が急激に重くなり、酸欠みたいに頭の奥が痛み出す。探しても見つからないなんて慣れ切っていたのに、寧ろそうであることが当然の世界で生きてきた筈であったのに、随分と腑抜けてしまったものだ。思わず苦笑が漏れた。
人通りの少ない路地裏とは言え、道の真ん中に座り込んでいる訳にもいかない。シオンは酷く緩慢な動きで、すぐそこにあった喫茶店へと足を踏み入れた。
そうしたら、いた。
「あれ? どうしてお前ここに」
囚人服の上に上着を羽織った勇者はオムライスを食べる手を休め、シオンを見詰めつつ小首を傾げた。殴りたかった。
「……トリックオアトリート!!」
「四日遅いしなんでそんなデカいカボチャ持ち歩いてんのそして何故ボクに被せようとするの!?」
「時期をちょい外しして油断させたところで呪いのアイテムぶつけてやろうっていう茶目っ気です」
「呪い……呪いってまさかこれ外れなくなるやつ……」
「ご名答」
「何が悲しくてジャックオランタンに転職しなくちゃいけないんだよお……ていうかまさかその為だけにここまで来たんじゃないだろうな」
違う、と言いかけて、やめた。そう言うことにしておいた方がシオンにとってはいいのかもしれない。今後どうなるとかどうしたいかとか、そういう類の全てを無視するのならば。溜息で以て様々なものを誤魔化押し遣って、青年は言葉を繋いだ。
「……脱獄かましてのほほんと飯食って、あんたこそ何がしたいんです」
「えー、ああごめん、その、教科書一冊燃やしちゃったから買い直しに来たのと、あとオムライス食べたくて」
「買い出しも食事のメニューも頼めば何とでもなるでしょうに」
「そうなんだけどさ。かっちり火が通ったやつがよかったの」
お城から届くのっていつも半熟だからさ、めっちゃ美味しいんだけどたまに飽きるんだよね。勝手なことを宣いながら、アルバは薄焼き卵を切り崩す。シオンが睨みつけるのもどこ吹く風という表情で、銀の匙を口に運んだ。
「ここは魔界ですよ。勝手に外に出て、良からぬ輩に因縁でも付けられたらどうするつもりです」
「実際に付けられたのであのようにしました」
指差す先に視線を遣ると、やたらと肩幅の広い男が三人ばかり、気を失って壁際に積み重ねられていた。スライム一匹に瀕死まで追い込まれたダメダメ勇者は一体どこに行ってしまったのだろう。逞しくなっていくのは喜ばしいことであるはずなのに、何故か喉奥が締め付けられるような苦しさを感じた。彼が先に進むごとに、勇者になるごとに、遠ざかるごとにシオンの吸い込む空気はどんどん薄まっていく。にも拘らず、アルバの方はそんな様子も見せないで楽しそうに生きている。
「……牢屋は、窮屈ですか」
酷く恨みがましい声が出て、頭を抱えたくなった。アルバは怪訝な貌で瞬きをひとつ落とす。
「窮屈に決まってるだろ。あんなとこ好きな人間なんていないって」
「じゃあ、なんで一緒に来ないんです。魔力制御ならオレが居れば何とでもなるってのに」
「メンバーにボクがいる限り、そのパーティは『勇者ご一行様』にしかなり得ない。お前とクレアさんの望む旅はそんなもんじゃないだろう」
「オレやクレアの都合じゃなく、あなたはどうしたかったのかって聞いてるんですよ。世界を回るのには飽きたんですか」
オレはもういらないんですか、という言葉はギリギリで飲み込んだ。それはよくないものだった。アルバはロスの為に一年走り続けた。疲れてしまうのも当然であって、シオンには責める資格はない。そんな内心を知ってか知らずか、少年は呻りながら鼻の頭をぽりぽりと搔いた。
「あのさ、またボクの伝記が出るんだって。王様監修の馬鹿みたいなやつじゃなくて、ちゃんと事実に即した感じの。お前のとこにも取材とか来てると思うんだけど」
何を言い出すのだと思いつつも、シオンは小さく頷く。人間界の出版社から手紙が送られて来てはいたが、返事を書かずに放置していた。
「割と大きいとこだからたくさん売れると思うよ。今度はきちんと勇者アルバの隣には戦士のロスが立っている。ボクたちはふたりで旅をして、ルキに出会って、そして魔王をやっつけた」
ボクとお前は物語になるんだ。アルバはそう言った。
「ボクたちは物語になり、いつかは伝説になるだろう。そして、希望として人々の中で生き続ける」
「……何が言いたいんです」
「永遠に一緒だし既成事実出来ちゃったねってこと」
脚の震えによって、自分が立ちっぱなしだったことに気付いた。椅子を引いて向かい合う位置に座ると、アルバは自然な動きでメニューを手渡して来た。
「このタイミングで本格的に脱獄したら出版も立ち消えになっちゃうだろうからね。外堀はがっつり埋まったし、月一で会いに来てくれるし、今はこれでいいや」
「……これからは」
「その時になったら考える。約束なんて無くたってボクはお前の勇者で、友達で、お前のなんだから」
アルバは笑った。とてもいい笑顔だった。
色々なものが色々と筒抜けだったことを今更理解し、シオンはテーブルに突っ伏した。真っ赤になっているであろう耳を見られる訳にはいかなかったが、手遅れだった。ああそうか永遠に一緒か、自分は外堀を埋められていた訳かと、脳味噌がぐるぐると回り続ける。この鈍感クソ野郎に重石を付けて沈めようとしたことは幾度となくあったが、どうやら人のことを言える立場でも無かったらしい。笑えてくるような、泣きそうな、死にそうな、物凄く嬉しいような、名状しがたい気分だった。
「何か食べないの」
平然とした声でアルバが言った。全部理解した上でやっているのだと思うと本当にどうにかしてやりたかったけれど、今のシオンではどうにも出来なかった。足元のカボチャを蹴ったら壁に積まれたチンピラに命中したらしく、悲鳴がひとつ上がった。
ひとくちください、と言うと、スプーンが差し出される気配があった。狭苦しい店の中には少し昔の流行歌が流れていて、二人分の永遠を高らかに歌っている。