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この国にも冬が来る。豊かな実りの匂いは風の中から薄らいで行き、代わりに現れたのは人々を追い立てるが如き冷たさだった。煌々と焚かれた火と視界に染み込む緋の絨毯が玉座の間を温めていたが、ふと訪れた王の私室は少しばかり事情が違った。入室を許す言葉に扉を引いたマインは、身を刺す寒さに驚いて一瞬立ち竦む。使用者に見合わず趣味よく設えられた室内では、窓から吹き込む風に弄ばれて薄っぺらなものがいくつか舞っていた。虫食い跡すら残る黄葉が一枚、彼の頬にべたりと貼りついた。部屋の主はと言えばそんな事態には目も向けず、痩せた体躯と朽木の如き頸を懸命に伸ばして外の世界に乗り出していた。今にも窓から落下して、ばらばらに砕けてしまいそうだった。どれほど醜かろうと老いていようと、この男はその蒙昧と哀れさで以てどこまでも籠の鳥なのだった。
マインはケープの合わせを搔き抱き、少しだけ大きく足音を立てながら王の元へと歩み寄った。王権色のマントは出会った頃より更に面積を増したように見え、それは即ち包み込まれる肉体の側が年月と共に干乾び衰え縮んでいるということに他ならなかった。
「お風邪を召されますよ」
王はマインを見なかった。一際強い西風がマントの内に入り込み、深紅の裾が黒ずくめの大臣を掠めた。それだけだった。
「王様」
「……ワシの娘は、一体どこにいってしまったのだろうなあ」
寒気に晒されていたせいなのか、消え入りそうな、心細げな声がそう言った。この城の中には最早彼と血を分けたものはいなかった。娘に受け渡しそびれた愚かさがこの老人をひとりにし、ついでに墜落死の僅かに手前で馬鹿な鶏の物真似を強制していた。王の瞳が白く濁り始めていることをマインは知っている。同時に、たとえそのような病変が無かろうと彼の目が役に立たないことも。ずり落ちかけている王冠が気になるのか、骨と皮ばかりの黄ばんだ手が頻りに頭を押さえていた。それでも身を戻そうとは考え至らないらしい。マインのはらわたの底に、融けた飴のようなどろりとしたものが渦を巻いた。それは間違いなく愉悦だった。
彼は更に数歩進み、王の隣から手を伸ばしてゆっくりと窓の硝子を下げた。王は焦ったように体を引き、やっと視線をマインに向けた。
「日暮れも早くなってまいりました。夜風は毒ですよ」
「しかし、ヒメが帰ってくるやも」
「トイフェルを遣りましたから、万事心配はございません」
それに、たとえ城を出たところで、あの方は変わらずあなたの娘ですよ。そう付け加えると、老人はあからさまに安心して、長い息を吐いて見せた。マインはいつもと同じ顔で笑った。
「あなたが王であることと同じようにね」
発言の意図を取りかねたのか王は少々怪訝な顔になったが、結局は褒め言葉として受け取ったらしく嗄れた笑い声をあげた。結合物すら欠いた出来損ないの脳味噌が、ちいさな頭蓋の中でどろどろと流動するのが見えるようだった。マインは更に愉快になった。
老人は彼の王だった。その卑小と暗愚と驕慢と虚栄と幼稚と衰亡の全てで以て。多くの悪徳が萎びた肉と皮膚を動かす度、マインは恍惚をも伴った愛おしさを覚えるのだった。
突風がまた窓を揺らしたが、最早室内には入り込めなかった。