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「終わんない……もう駄目腕もげる……」
アルバは机に突っ伏した。6時間ほど休みなくペンを動かし続けたために首から肩、それと腰がごきごきに凝り固まっており、身じろぐだけで油が切れた機械のように軋む。こんなに辛ければ確かに仕事もしたくなくなるだろう、とどこぞの執事長に同情しかけたが、ヒールをかけてやった後彼が気持ちよさそうに熟睡してから帰ることを思い出したのですぐにそれを打ち消した。寝間着持参してくる時点でサボりたいだけだわあの人。
ワックスで磨かれた樫の天板は程よく冷たく、触れる頬から熱とやる気を奪っていく。オーバーヒートした脳はもう休ませてとしか言わなくなっていた。ちょっとだけ、ちょっとだけ寝てさっぱりした頭で宿題終わらそう。仮眠明けたらめっちゃ頭よくなってて何もかも解決する気がする。
天井を衝くような教科書の山に触れないよう慎重に手を伸ばし、アルバは机の隅にあった目覚まし時計を取る。午後十時。課題の残り具合と見直し及び予習にあてる時間、あと掃除のことを考えたら3時間がリミットだろうか。どれが不十分でもうちの家庭教師は殺し屋に変貌するし、その上授業中は精密作業レベルの集中力を要求してくるというのだから恐ろしいことこの上ない。明日の日付を塗りつぶすカレンダーの赤黒いマルがアルバの苦しみを嗤っていた。辛い。
がしゃん。
……がしゃん?あれもしかしてうちの目覚ましこんな音だったっけ?牢屋の中だからベルの音が格子戸開くような感じで聞こえるのかもしれないってそんな馬鹿な。
背中に物凄く嫌な汗をかきながら目をやると、家庭教師ヒットマンことシオン先生が鉄格子の内側に立っていた。
*
「来ちゃった☆」
ダブルピースまで付いたいい笑顔だった。彼女かよ。
「え?えっえええ!?なんでお前もういるの!?」
「貴様の絶望に染まった顔を見るために」
「ご覧の有様だよ満足したなら一度お引き取り願えますか!」
非常事態に眠気は引っ込み代わりに頭痛と恐慌が襲ってくる。途中式すら完成していない応用問題、付箋が一つもない教科書、そこかしこに散乱した文具と辞典、そして寝る気満々で目覚ましセットしていたアルバ。状況を総合的に判断したら散弾銃ゼロ距離ルートだった。これは確実に死ぬ。
追い詰められた小鹿の如きアルバをよそに、シオンは何か考え込んでいる様子だった。
「奥歯をいくか……?いや爪の間に針っていうのも……」
「すみません拷問はやめてくださいお願いします」
「ギリギリまで課題に手を付けられない病気が治るんだから安いもんじゃないですか。俺実は教育的指導ってやつに憧れてたんですよね!」
「体罰ってレベルじゃないからね!?」
距離を取ろうと後ずさりしたらそこはもう壁だった。物理的な逃げ場はない。話題をそらさなければ物言わぬ肉塊になることを悟り、アルバは腹を括った。
「し、シオンはなんでまたここに来たの……?」
「家庭教師」
頑なだった。殺す気だ。
「いやいつも普通に当日来るじゃんお前。どうして今回に限ってこんな早く現れたのかなーって」
「あーそれはですね……」
シオンが珍しく言い淀んだので、何か複雑な事情でもあるのだろうかとアルバは少しばかり身構える。彼らの旅に暗い影が差すのなら、何としてでも取り除かなくてはならない。
「ぶっちゃけ下半身の問題ですかね!」
「は?」
トイレにでも行きたいのだろうか。
思ったことをストレートに言ったらシオンも右ストレートで返事をくれた。
*
「クレアには今胸キュンぞっこんマジLOVE2000パーセントなある女性がいるんですけれども」
「あーうんそっかえっと、もしかして文通してるっていう相手の人?」
「なんで知ってるんです今から目の前の馬鹿にあることないこと吹き込もうと思ってた俺のワクワク感を返してください!あいつが呪いとしか思えないような醜悪怪奇青汁ポエム送りつけた件を三割増しで語ってみせて相互不信の芽を育もうと画策してたのに!」
「後半たしかお前の犯行だよね!?」
「クレアの内心を代弁しただけです」
「それで何故青汁が……」
いろいろ心配になってきた。クレアさんの精神衛生は大丈夫なのか。胃腸とかやられてないといいんだけれども。
「とにかくその子からクレアに今晩お招きがあったらしいんです。くっついていくほど俺も野暮じゃないんでどこで時間潰そっかなーと考えてたんですけど、ちょうど明日カテキョの日だったんで思わずアポなしで突撃しちゃいましたてへぺろー」
「お、おう……」
とりあえずクレアのお嫁さん探しが順調なのは喜ばしいことだ。アルバは何となくほっとして、この前はクレアさん来て今度は代わりにシオンかーと呟いたところ何故か思いっきり顔を顰められてしまった。どれだどの文言が気に障ったんだ。
「というわけで今晩よろしくお願いしますね」
「あ、え、ごめんやっぱ泊まってくんだよね?」
「俺に野宿しろと仰るんですかこの鬼畜野郎」
「いやそうじゃなくて」
課題の追い込みがかけられないのも物凄く困る点ではあるが、今のアルバには宿泊客を迎えられない別の理由があった。シオンにバレると間違いなく馬鹿にされるので黙っていたのがまさかこんなタイミングで言う破目になるとは。アルバはかなり焦っていた。
「寝床がさ、ないんだよね」
「予備の煎餅布団があったはずでしょう。あのめっちゃべったりしたやつ」
「なくなっちゃいました」
「は?」
「布団燃やしちゃった……」
*
家庭教師がいるうちに火球を発生させる魔法を成功させられなかったアルバは、次回までの必須課題とされたそれに必死で取り組んでいた。自分の髪の毛を焦がしたり床にでかいクレーターを穿ったりという生活に直に響くタイプの失敗をいくつも乗り越えた末、ようやく目標の位置に炎が生まれたときの喜びは大きく、思わずガッツポーズで飛び跳ねてしまった。その腕が机の上のランタンを薙ぎ払い、床に零れた油に引火してプチ火の海が出現するなんて予想だにしないで。
延焼した炎はアルバでは制御しきれず、汲んでおいた水も早々に使い切ってしまった。このままではまた前科が増えてしまう。追い詰められた彼の目に映った物こそ、例の布団であった。
「バタバタやって空気遮断したらなんとか消し止められたんだけど、布団は見事に焦げちゃって」
「アホか」
「返す言葉もございません」
項垂れるアルバにシオンは消しゴムをぶつけた。デコの真ん中に命中し、アルバは仰け反った。
「ん?それが3か月前なんですよね。この前のカテキョの時、執事長が入り浸って昼寝していくとか言ってませんでしたっけ」
「あの人ボクの寝床勝手に使ってくんだよね」
「ベ、ベッドに男を連れ込む勇者……」
「おいやめろ」
「月刊アルバがR-18特殊性癖の棚に移動ですね!」
「ただでさえファンレター届かなくなったんだから追い打ちかけないで!」
今度は直に消しゴムを擦り付けてくるシオンを躱しながら、アルバは涙目で訴えた。
*
「じゃあ俺もあなたのベッドがいいです」
「じゃあって言われても今度はボクの寝るところが無いんだけど」
「床」
「家主に対して微塵の遠慮もないよねお前!」
今の時期微妙に寒いんだから風邪ひいちゃうよーと泣き言を言ったところ思いっきり鼻で笑われた。シオンはさっさとパジャマに着替えた上ナイトキャップまで着用してしまっている。そんなに準備がいいなら寝袋も持参してきてほしい。
「寝ないで宿題終わらせればみんなハッピーになれますよー。こうやって俺と駄弁ってる間にも貴重な時間は刻一刻と失われあなたの生命の灯火は掻き消えようとしているわけですし」
「仮眠を取らせてください先生限界なんです……」
「勇者さんの集中切れるタイミングで登場しようとずっと洞窟入口で待機してたっていうのに俺の努力を無にする気ですか?」
「あっやっぱりあれわざとだよねー」
相変わらず人を甚振る方向に努力を惜しまない男だった。いつものテンションで突っ込むにはもう気力が足りず、アルバはかなり投げやりな感じに応えを返した。
んじゃ生死をかけた死闘頑張ってくださいねーと言い残し、死刑執行人は人の寝床に潜り込んだ。鬼か。
心労で眠気と関節痛が一気に戻ってきたアルバの目にはいつものベッドが天国に映る。柔らかいマットレス。ヒメちゃんがくれた枕は低反発で凝り固まった首にも優しい一品だ。シーツは昨日替えたばかりなのでお日様のにおいがしてとても気持ちいい。ひたすらあそこで寝たかった。
……もうどうにでもなーれ。
正常な判断能力を失ったアルバは、玉砕必至の作戦に一切の躊躇いを覚えなかった。
*
「シオンさんちょっと詰めてねー」
「あ?」
「寝る」
「永遠に?」
「その前にボクはベッドで寝たいの。どの道死ぬなら気持ちよく眠ってから死ぬ」
「俺ここで寝てるんですけど」
「だから詰めろって言ってんじゃん」
そう言いながらシオンを壁際に押し付けるアルバの目には全く光が無かった。追い込まれすぎて精神が割と大事な一線を越えてしまったらしく、思い切り腕を抓られても全く怯まない。腐ってないゾンビみたいな勇者様にシオンは結構な恐怖を覚えた。なんだこれ俺犯されるんじゃ。
意味不明な事態にフリーズしたシオンをよそに、ベッドの片側にある程度のスペースを確保したアルバは満足げに一つ頷いてそこに身を滑り込ませた。シングルベッドに体の出来上がった男二人が詰め込まれたこの状態はかなりきつい。むき出しの岩肌に背中をぶつけられてシオンは我に返り、ようやく自分が置かれた恐ろしい状況を理解する。この馬鹿はどうやら一緒に寝る気でいるらしい。
「おい蹴落とすぞゴミ山」
「そしたら今度はベッド燃やすし。シオンも寝るとこ無くなるよ」
対話が不可能なところまで振りきれている。実力行使を試みても、長い旅を通じて無駄に頑丈になっていたアルバはベッドヘッドとシオンの腕を引っ掴んで踏ん張ってしまった。本当に頭に来る。なによりこのクソみたいなシチュエーションにも拘らずアルバとの接触にうっかりときめいている自分自身を締め上げたい。
シオンの隙をついてサイドボードに手を伸ばしたアルバは、滑らかな艶のある蝋燭を取り出し、枕元の小皿に置いてから魔法で火を点けた。それを見たシオンはやっと一筋活路を見出して嬉々と口を開く。
「机と壁の照明点けっぱなしですよ。さっさと立て消火しろそしてベッドを明け渡せ」
「はい消えたー」
アルバが指を鳴らすと辺りは一気に暗くなる。なんでこんな時だけ無駄に器用な真似するんだ劣等生の癖に。シオンは苛立ち紛れにアルバの腹を殴ったが、睡眠欲の奴隷はやはり呻きもしなかった。
頭の上ではたった一つ残った灯火が揺れている。穏やかなオレンジに照らされたアルバの頬がシオンのほんのすぐ傍にあった。触れればきっと柔らかく、温かいのだろう。彼の命と同じように。
シオンはついに諦めることにした。
炎を見つめるシオンを見てアルバが話しかける。ベッドの占有戦争に勝利し気が緩んだのか、打って変わって眠気丸出しの間延びした口調だった。
「それいいよねー。アロマキャンドル。ルキに貰ったの。安眠効果だって」
「ロマンチックすぎて今にも発狂しそうなんですけど」
同じベッドで体を寄せ合って、枕元にはキャンドルひとつ。実情がみっしり地獄でも言葉だけ見れば完璧だ。皮肉気に呟いてみせるとアルバは小さく笑った。
「そのうち好きな子とこうなれるといいね」
それだけ言い残し、シオンの勇者はついに睡魔に連れて行かれた。
狭いし暑い。そして横の馬鹿があまりに無神経なのでシオンは寝る気になれなかった。何が悲しくて当の好きな子とこんな有様になっているんだろうか。
一番欲しいものが目の前に無造作に落ちている。だというのに、充足感と苛立ちで張り裂けんばかりに高鳴る鼓動も唇に吸い寄せられる視線の意味も、この絶望的な唐変木にはひとかけらも伝わらないのだろう。こうまで徹底した生殺しを決められるくらいならもういっそのこと。
ある種の空しい願いを込めて彼はキャンドルを眺めていたが、やがて諦めて炎を吹き消す。
今は黙って隣の体温を感じつつ、余計なことを吹き込んでくれたクレアをどうシメるか考えることにしよう。それと出来の悪い生徒に対するペナルティについても。
僅かに残った花の香りが二人を一緒に包んでいた。
***
「ただいまシーたん!一月ぶりのアルバくんどうだったー?」
「枕を共にした。あと首だけ出して穴に埋めて放置してきた」
「うおおお意味分かんねえけどスゲー!俺の方は家族ぐるみで歓迎されてさー旦那さんには秘蔵のお酒まで貰っちゃった!」
「は?旦那?」
「あの子あんな若く見えて子供3人もいるのな!めっちゃびっくりしたわー。また来てねって言われたから今度はシーたんも一緒行こうぜ!」
「なんでそんなにメンタル強いんだお前」