101号室 アンチピグマリオン2 忍者ブログ

101号室

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アンチピグマリオン2

 

 カナリヤは死ぬ。コマドリも死ぬ。ガチョウは気が狂って死ぬ。アヒルは行方不明。鶴は滑って死ぬ。ニワトリは怖くて二羽の鳥は二羽とも消える。ハトは戻らない。スズメは舌を切られる。

 大事な鳥は血塗れだった。ならば青く塗りつぶして、羽根を抜いて、籠に閉じ込めなくてはいけない。侵されず奪われないことを幸福と名付けるしかない。

 躊躇うな。

 

 

.独りぼっちのつくりぬし

 

 

 目に見える最初の兆しは一枚の古新聞だった。割れものか何かを買った時に梱包材に使われていたのだったか。何の変哲もないはずのそれを読んでみる気になったのは、アルバの顔がでかでかと印刷されていたからだった。アルバ、ストーンドラゴンを操り町を襲撃。覚えのある見出しだ。

「うっわーぶっさいくなツラ」

 実物より少しばかり幼い少年を見てロスは笑った。石竜の背に乗って、途方に暮れた情けない顔をしている。今では妙に頑丈になってしまってあまりこんな表情をしないので、ロスは多少の懐かしさを感じた。へっぽこ勇者は勝手にへっぽこという冠を脱ぎ捨てようとしている。握りしめられた新聞がくしゃりと音を立てた。

「ん?」

 本文の細かい文字を追っていた彼の目は12行目で止まった。何か違和感がある。彼はもう一度最初から読んで、突然出てきた「ジミナ村」という固有名詞が襲撃された場所を表しているということを理解した。ストーンドラゴンが襲ったのは一か所だけだったはずだ。小見出しや他の記述は全てオリジニアで統一されているようなので、恐らくは誤植であるはずだった。

 何となく読む気が失せたので、ロスは古新聞を丸めてゴミ箱に放り投げた。一発で命中したのは彼にとって幸運だったのだろう。ぐしゃぐしゃになった薄い紙の中で、滲みだすように文字が書き換わって行く様を見ずに済んだので。

 実体を持つのを猶予されたとしても、このころから破綻のにおいは漂い始めていた。

 

*

 

 残念なことに、予兆の後には本題が訪れる。

 宿で迎えた朝、ルキは満面の笑みを浮かべて部屋に戻ってきた。袖に隠れた小さな手は白い便箋を握りしめていた。椅子に座っているアルバは半分寝ているような顔をして少女を眺め、ロスはマグカップの中を掻き回していた。

「えへへ大ニュースだよー!ねえ何だと思う?」

「勇者さんが再度指名手配に」

「それは日常だよ」

「大事件だよ!?」

 アルバはゼロコンマの速度で反応した。瞬間的に目覚めた少年とは対照的に、ロスの頭にはぼんやりとした靄がかかったままだった。人の身では許されない無茶を続けているせいか、彼はここのところずっと調子が悪かった。目の前の喧騒をどこか遠い世界の出来事のように聞きながら、ロスは砂糖を足したコーヒーを啜った。

「その様子だといいニュースなんだよね。ルキの家族の話とか?」

「そうなの!なんと妹が生まれましたー!」

 がしゃん、という音がして、フローリングに叩きつけられたカップの破片の白とコーヒーの焦げ茶が散乱した。ロスは自分の手が激しく震えているのを感じていた。混乱が頭の中をひっくり返していった。せめて表情には出すまいと努力はしたが、呼吸が荒くなるのは抑えられなかった。

「おいロス!?大丈夫かお前、やっぱりまだ具合悪いんじゃ」

「大丈夫です」

 駆け寄って肩を抱くアルバの掌を感じながら、ロスはもう一度「大丈夫です」と呟いた。彼は懸命に自分自身に言い聞かせようとしていた。

 大丈夫だ。何もおかしいことはない。二代目が健在なのにこの少女が王位を継承したのは、きっと聞いたら笑ってしまうような馬鹿みたいな理由によるものだ。娘が処刑されそうになっているのに、あの子煩悩な父親が気配すら感じさせなかったのも。もともと存在していた登場人物が不意に姿を現したと言うだけだ。大丈夫。この世界には何も起こってはいない。

 ロスはいつものように捻くれたことを言いながらアルバの手を振り払ったが、少年は突っ込みも入れずに不安そうな目で彼を見ていた。暖色の部屋では時計が音を立てて時を刻んでいた。

 

*

 

 ロスの内心の努力を嘲笑うように異変は続いた。

 フェブルアール・ツヴァイという魔族から手紙が届いた。親し気とまではいかないが、数年来の知り合いのような調子でこちらの様子を尋ねてくるものだった。城で出会った王宮戦士の少年がアルバを師匠と呼んで飛びついた。ヤヌアの飼い猫の名前が突然変わった。フォイフォイの人見知りが完治していた。勇者アルバに関する記述の内に、いつの間にか「レッドフォックス」という単語が潜り込むようになった。ロスの故郷があったはずの場所には200年ほど前からジミナという名前の村が存在することになっていて、オリジニアは魔界に落とされていた。アルバが不自然なほどの速さで強くなり、腕に負った傷を自分の魔法で治療した。他にもあげればきりがない。ルキはともかくアルバも何一つ突っ込みを入れず、全ての事象をさも当然のことのように受け止めてしまっていた。世界の改竄に気付いているのはロスだけのようだった。

 知覚の中で、外で、あらゆるものが一定の雛形に従って置換されていく。ロスにとっては、知らないものに換えられていたほうが遥かにマシだった。

 文具会社に再就職したという旧友の言葉がロスの耳に蘇った。街角ですれ違い、近況報告をしてくだらない話で盛り上がった後の別れ際の一言。

「じゃあシーたん、トイフェルさんに会ったらよろしく言っといて」

 魔族とただの人間がどこで接点を持ったというのか。最後の音が終わる前にロスはクレアに背を向けていた。彼の髪の色が変わるのを見てしまったら、気が狂うのではないかと思った。

 

*

 

 見ることは信じることで、聞くことは定めることで、そして認識することは存在することだ。だからロスはアルバに言い聞かせつづけていた。お前は無力であるのだと、何もできないのだと、自分から離れられないのだと。

 もともと海綿か何かのように他人を容易く吸い込んでしまう少年をロスで満杯にして、どこにも行けないようにした。言葉のナイフで彼のかたちを切り出した。嘲り、からかい、弄び、そして祈りながら。アルバはアルバでありながら、ロスの望む何もできない子どもであり続けた。かくあれかしと願った通りの世界をロスは認識し存在させた。彼はそれを見つづけて信じつづけた。

 アルバの魔力の暴走によって世界は半壊などしていない。この後の未来においてそうなる可能性も一切ない。彼は永遠に失われたりしない。ロスは自分に何度も言い聞かせる。周囲には雑音が溢れている。理を捻じ曲げた代償の激しい苦痛だとか、限界を迎えようとしている並行世界が軋む音だとか。遠からずロスは死ぬだろう。それでも、この閉じた夢の中でアルバが笑っていることの方が重要だった。

 しあわせが欲しかっただけなのだ。誰にも奪われず、何も失くさずに生きていきたかった。生きていてほしかった。

 それなのに、どこかに走った亀裂からかつての真実が流れ込み、世界を上書きし始めていた。少年はどんどんアルバに戻っていく。戦闘能力が上がったこともいつの間にか魔力を得ていることも問題の本質ではない。彼の内面までもが書き換えられ始めていた。ロスが丁寧に削り取った部品を勝手に拾っては付け直し、逆に触らずにおいた部分を自分で根こそぎ斬り落とす。そうして、彼はあの結末への可能態目掛けて変わっていった。

 ロスはアルバを見る度に悪寒を感じるようになっていた。色々なものがぐちゃぐちゃになり、きつく握った拳で抱きしめたくなって、とにかく吐き気がした。心配そうに寄り添うアルバの瞳の色に怯えて、ロスは彼を縛るための言葉を投げる。それでも勇者はどこまでも飛ぼうとする。

 裏表紙の略地図が目に留まり、ロスは色鮮やかなガイドブックを手に取った。ファンシーかつヤバい例のマークで示されたランドin魔界から少し離れて、山岳を表す黒い三角形が記されている。真下には「勇者の洞窟」と言う文字が躍っていた。

 ロスはいっそ吹き出してしまった。テーマパークこそなかったが、それ以外の地理的要素の全てに見覚えがあった。間違いなくどこぞの勇者が月一の家庭教師に怯えていたあの洞窟だ。この世界に於いては誰が囚われているというのか?間違ってもクレアシオンではないだろう。彼は雑誌を床に叩きつけそうになったが、寸でのところで思いとどまった。

 投げ出されるように平積みにされたガイドブックは全部で5冊あった。そのうちの3冊の地図上には「勇者の洞窟」が印刷されていて、残り二冊にはそんなものは描かれていなかった。この世界にあってはならない筈のそこは60パーセントだけ存在しているのだ。ロスは少し迷ってから、書き換えられたものと書き換えられていないものを20パーセントずつレジに持って行った。

 己のうちの矛盾した思いに激しく急き立てられ、気を失いそうだった。

 

*

 

 魔界を流れる小川の上空には満月が昇っている。蛇行する水流に取り巻かれて聳える岩山は激しい凹凸によって複雑な影を纏っており、青白い月の光だけでは洞窟の有無までは視認できなかった。

 ロスは溜息を吐いた。彼自身、何が自分をここへと呼び寄せたのかはっきりとは分かっていなかった。あの岩の塊に穴が開いていたところで、どうせその中にはロスの探す人はいない。彼を彼でなくするために世界まで書き換えたのだから、正直言っていられた方が非常事態だ。だというのに、彼の足は歩を止めることなくゆっくりとした速度で前進を続けていた。

 視点が近づくにつれて陰影の見え方が少しずつ変わる。水の流れる音が聞こえる。ついに岩肌に触れられる距離まで辿りついたロスは、小さく力の抜けた笑みを零してから、洞窟など掘られていないそこに手を付いた。

「オレはなにやってんでしょうね、アルバさん」

 応えのない声が空しく響いた。

 宿に戻って明日の計画を立てよう。観光ガイドはひとつあれば十分だ。ロスは鞄を開いて雑誌を引っ張り出し、本当のことを書いてある方の一冊を捨てていこうとした。最初に取り出した方には勇者の洞窟が載っていた。もう一冊を手に取った。その地図にも勇者の洞窟は記されていた。

「……は?」

 二冊ともがロスの求める嘘を吐いていた。

 呆然と立ち尽くす青年の頬を低く唸る風が弄った。一瞬前までの世界には無かったはずの洞窟が、彼の目の前で真っ黒な口を開けていた。

 ロスは思わず座り込んだ。彼の両手で、二冊の雑誌は今や100パーセントの真実を告げている。

 認識することは存在することだった。

 

*

 

 ひんやりと重い空気が洞窟を満たしている。細い道の曲がり具合も粗く削った壁の色もロスの記憶にある通りだった。壁面のところどころに設置された金色の燭台の上では、まるでたった今火を灯したばかりとでも言いたげな長い蝋燭が燃えていた。

 錆びの浮いた鉄の棒が見えた。格子の内側にも途中の小道と同じように煌々と明かりが灯っていて、空っぽの檻の中を誰のためでもなく照らし出していた。

 牢の錠は外れていて、冷たい色をした扉はまるで招くように開いている。ロスは息を詰めて、一歩ずつ慎重に踏み出した。

 牢の中はなにもかもそのままだった。安っぽい金属でできた勉強机の天板には埃すら積もっておらず、付箋まみれの教科書はそのうち三冊が開きっぱなしになっていた。机と同じ材質の椅子は、ちょっとした中座の最中であるかのように軽く斜めを向いている。ロスはそれに腰かけた。教科書に紛れてノートが数冊あった。表紙には懐かしい字。開く気力は無かった。ここはあまりにも彼の気配に満ちていた。

 囚われの勇者はもうどこにもいない。彼を愛した元勇者も一緒に消え失せた。ここにいるのはヘタレ勇者とただの戦士だ。それこそが幸せのかたちなのだから、届かないものに手を伸ばす必要はない。ロスは自分に何度も言い聞かせた。

 彼の視界の端で何かが激しく輝き、物思いに沈む赤い目を刺した。

 鏡だった。

 楕円形をしたそれは大きさを見るに身繕い用のものなのだろうが、恐らくこの状態では目的に奉仕することはないだろう。一面に、異様なほどのヒビが走っていた。ロスはすぐに尋常でないものを感じ取ったが、魅入られたように目が離せない。気付くと彼は立ち上がっていて、鏡に向かって歩きはじめていた。銀のフレームの両脇では赤い蝋燭が炎を揺らめかせていて、その灯火に照らされた黒い姿が罅割れた欠片の一つ一つに映りこんでいる。ロスが近づくにつれ、鏡の向こうの男は大きくなる。あと数歩で顔が見える。ロスは今や明確な恐怖を覚えていた。だめだ、それ以上はいけない、だが、足は止まらない。首は動かない。目も瞑れない。そこにいるのは誰だ。文字を塗り替えられた本。名を塗り替えられた猫。魂を塗り替えられた男。存在を上書きされかつての真実が大文字で再来すること。ロスは背負ったバットに手を伸ばした。奇妙な違和感がある。まるで、野球も出来ないような少年時代を送った男が初めてそれを手に取ったときのような。違う。「それ」はロスではない。失くすわけにはいかない。見てはいけない。見ることは信じることだ。認識されたものは存在してしまう。ロスでない男が戻り、幸せな夢は終わる。また彼を失って、自分だけが残される。

 青年は鏡に向かって思い切りバットを振り下ろす。

 砕け散る音が世界に響いた。

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