[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
幸福な家庭はどれも似たようなものだが不幸な家庭はそれぞれに不幸である、というのは至言だと思う。家庭を世界と置き換えたところで何らの問題はない。幸福とは不幸の欠如という否定的な状態でしかないが、それに対して不幸は能動的で多様で、何より痛みを連れてくる。父に殺される子、子に殺される父、身代わりになる親友、千年の孤独、奪われた両親、引き裂かれる兄妹、叶わない恋、そして何も救えない無力さ。ひとつの不幸に捕まるたびに人はそれぞれの声色で悲鳴をあげて泣き叫ぶ。そうして初めて人生と言う劇はプロローグを終えるのだ。
ただ泣き続けているだけであっても構わない。枯れ果てる喉の紡ぐ言葉は悲壮を通り越して時に滑稽だ。だがより好ましいのは不幸のどん底から再びの幸福を目指して足掻く様だろう。一度失ったものは簡単には戻らない。時の不可逆性という摂理に打ち勝つためには何かしらの犠牲と苦しみが不可避となる。それがまた新たな不幸を生んで、物語は美しく回り続けるのだ。
この世の悪の最たるものこそ退屈だ。退屈はあらゆる知性を殺す。生き続けるためには刺激が、痛みが、物語が必要不可欠だ。古代から悲劇は喜劇の上に置かれた。ハッピーエンドのお話だって始点と終点の間にはいくつもの喪失と絶望が繰り返されるではないか。観客は悲劇を求めている。それこそ悲劇的なほどに渇望してやまないのだ。暗い影なく永遠に続く幸福など恐怖以外の何物でもない。魔王は世界の要請だ。勇者は次の不幸を生み出す機構だ。いつの時代だって変わらない。
一つの炎が消えたなら次の炎を。一つの悲劇が終わったなら次の悲劇を。平穏な日々はやがて訪れる大いなる痛みの伏線でしかないのだ。我々は物語が再び動き出すのを心待ちにしている。
そういう意味のことをやさしく噛み砕いて言ってやったのだが、勇者は口を開けたままぽかんとしていた。
アルバさんアホ面丸出しやんー。エルフが笑うとアルバはあわてて顔を引き締める。
「……お前が何言ってるのかあんまりよく分からないけど、やっぱり不幸よりは幸せな方がいいと思うよ。この世界は物語じゃないし、そこで生きてる人は役者なんかじゃないんだから」
ボクもお前も同じようにね。
そう言って、牢獄の中の少年はいとも容易くエルフを観客席から引きずりおろして見せた。
(打ち砕かれた観劇者の傲慢)