[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
剣を振るう腕がもう上がらない。回復。追いつかない。太腿を抉られた脚を根性だけで動かして土埃を立てる。目が眩んだオークは戸惑って動きを止め、その一瞬をついてアルバは倒れ込むように一歩踏み込む。体の回転だけで横薙ぎに斬りつけると、醜い化物は断末魔を上げて消え去った。朦々たる煙が晴れる。新手はいない。アルバはひとつ息をついて、そのまま倒れ込んだ。
第一話:なぞの転校生
灰色の髪に薄氷の瞳。かつかつと白墨が黒板に描く名前は、あからさまに冷たい色をした少年には似合わないものだった。
「アルバ・フリューリングです。よろしく」
そう名乗った声にも怜悧な貌にも大した感慨は浮かんでいなかった。すかした奴だなあ、という同族嫌悪めいた感想を抱きながら眺めていると、教壇の脇に立つ彼と隅の席で頬杖をつくシオンの視線がかちあった。アルバは何故かひどく驚いたような顔をした。
父親と母親が仕事の都合で海外に転居し、彼だけがこちらに住む叔父の世話になることになったのだという。時期はずれの転校生は体温の低そうな顔かたちと第一印象に反し、妙に人好きのする性格をしていた。打てば響きボケれば突っ込みからかわれれば怒ってみせるがすぐに流してへらへら笑う。小型犬のような少年だった。そのため、整った容貌にも関わらず女子からの黄色い声はほとんどなかったが、代わりにすぐにクラスに馴染んでしまった。趣味はギターとプラモデル。前の学校では陸上部で、ここで何をするかはまだ決めていないという。バドミントン部のエースが拝むようにして何か言っている。アルバが笑うと深いえくぼが出来た。
シオンはひとり、輪から離れたところで彼を見ていた。
何というか、ちぐはぐな人間だった。狼の皮と愛玩動物の魂。人の輪の中で自然に笑って見せてはいるが、それが逆に不自然なのだ。立ち上る違和感がシオンとアルバの間に一線を引かせる。それなのに、シオンは彼から目を離すことができなかった。
*
その日、シオンの昼食はコンビニのハムサンドだった。昨日は遅くまで家を片づけていたため、朝練前に弁当まで作る気力がなかったのだ。欠伸を垂れ流しながら、彼は面倒ごとばかり運んでくる父親を呪っていた。何が悪魔召喚だそれでも理系教員か恥ずかしいからマジでやめろ。本校教諭との親子関係を周囲に隠蔽し続けるのはなかなかに骨が折れた。
夏風吹き込む渡り廊下の先には木造の旧校舎が佇んでいる。かつての正面玄関から数えて二つ目の教室が旧1ーBだった。曰く付きの、人の寄りつかない場所。
が、その日は事情が違った。埃っぽい教室内には先客の姿があった。アルバは入り口に背を向け、窓の外を眺めながら焼きそばパンをかじっていた。
「……勇者ですかあんた」
「うっおお!?」
少年は椅子から転げ落ちるほどの勢いで振り向いた。完全に気を抜いていたらしい。切れ長の瞳は驚愕に見開かれていた。
「めっちゃびっくりしたわ!いきなり声かけんなって」
「いやこっちがびっくりなんですけど。なんでこんなとこにいるんですか」
「なんか一人でゆっくりご飯食べたい気分でさ。ここなら誰も来ないって聞いたから」
「誰が言ってました」
「アレス先生」
シオンは軽い頭痛を覚えた。完全に悪意によるものだ。それも、アルバとシオン双方に対しての。
「その様子じゃ人が来ない理由は教えてもらってないんですね」
「え、まあね」
「出るからですよ」
「……は?」
「幽霊が。だから勇者だって言ったんですけど」
ただでさえ色素の薄いアルバの顔から、さらに血の気が引いていった。物理教師のにやにや笑いが脳裏に浮かぶ。シオンは溜息を吐いた。
「かつて激しいイジメに耐えかねた女生徒がこの教室で自殺したそうです。それ以来夜に昼に血塗れの少女が現れるようになり」
「え、ちょっやめ」
「窓の外を繰り返し落下しながら切り離した上半身だけで教室内に突入し執拗に好きな色を訪ねつつ教壇を十三段に増やし掃除ロッカーに潜んでみたりバナナを半分だけ食べてみたりする傍ら冒涜的な声で『てけり・り!』と唱えるとか」
「混ざりすぎて逆に怖くなくない!?」
「ちなみに噂流してんのはオレです」
「完全にデマじゃねーか!何がしたいのお前!?」
「人避け」
言ってしまってから、ああ余計なことを漏らした、と思った。どこぞのセールスマンの如くするっと心の隙間に入り込んでくるので忘れていたが、シオンとアルバが差し向かいで言葉を交わすのはこれが初めてなのだった。よく知りもしない相手に弱みめいたものを晒すのは憚られた。しかし、今のシオンには取り繕うほどの気力もなかった。
「……昼休みの教室ってうるさいじゃないですか。たまにあの中で過ごすの嫌になるくらいダルいときがあるんで」
「世渡り上手っぽく見えて意外と違う感じ?」
「世渡り下手なら今頃不登校ですよ」
アルバは黙って気遣わし気な視線を向けてきた。澄み渡る色の目には存外温かみが通っていて、シオンは言い表しがたい充足感を覚える。もっと早く話していればよかったと思った。もっと彼をよく知りたいとも。見覚えのないはずの少年に、シオンは何故か奇妙な懐かしさを感じていた。
止まったままの時計が4時5分を指す中、昼休みの終わりを予告するチャイムが鳴った。二人して立ち上がったその時、シオンはアルバの左手を見た。彼の掌はシオンと同じ形に節くれだっていた。