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燃え尽きる寸前の最後の輝きの如き赤と、それに混じって筋を引き揺らめく白。魂と犯した罪を焼くように揺れる小ぶりな花弁は男の左胸にあって、物言わぬ炎のように鎮座していた。それを認めたシオンは少しばかり眉を顰めた。
「……ボタンホールにチューリップっていうのはあまり見かけない趣味だが」
「墓に供えたのから一本抜いてきたんです」
赤いチューリップが誕生花だったみたいなので、と言う男の口調はどこか投げやりで生気を感じさせないが、かつてのような吃音は消えていた。他者を拒絶してまで守るべきものをもう抱えてはいないと言うことか。渦巻く瞳の魔族は虚ろな表情でシオンの向かいの椅子に腰を下ろし、組んだ指先の上に顎を乗せた。
「コーヒーでお願いしますね」
「持て成されるような身分だと思ってるのか」
「当然でしょう。オレもう人生から卒業したつもりでいたってのにあなたのせいで戻ってくる破目になったんですよ」
「説明責任ぐらい果たせクズが」
それでもシオンは立ち上がり、勝手知ったるキッチンへと向かった。カップ二つと砂糖壷を手にした彼は数分で戻ってきた。
「インスタントに電気ケトルの湯とか、ほぼドブ水じゃないですか」
「嫌ならお前の頭から注いでやるよ」
「……いただきます」
かつて城の執事長だった男は物憂げに瞬きをして、それから角砂糖を一つ入れる。ミルクを探すように視線が彷徨ったがシオンはそれを無視した。かちゃり、かちゃりとスプーンが陶器のカップを叩く音。砂糖を拡販しているというよりも、コーヒーカップの中に渦巻きを起こして手遊びをしているように見えた。
シオンは自分の分には手を付けず、目の前の男を睨み続けていた。突き刺さる視線に観念したのか、トイフェルはようやく手を止めた。
「今更何を説明しろと言うんですか」
「全部だよ」
溜息。トイフェル・ディアボロスは頭痛でも堪えるように蟀谷を揉んだ。
「全部……ですか。オレとアルバさんが過ごした数年間のことを」
彼の口元が笑いとは言えない奇妙な形に歪む。シオンは表情を変えない。
「――我々が殺したアルバ・フリューリングの全てを」
***
待ち合わせ場所に指定された軽食店で蜜豆を突いていたら、向かいに座っていたクレアが突然立ち上がった。不覚にも少々びっくりしたので足払いをかけ、それからシオンも振り返る。待ち人は驚いたような顔をして、それでも足を止めることなく駆け寄ってきた。
「相変わらずのサド野郎だなお前……」
「久々のご挨拶がそれですか。通報しますよ」
「やめてもう囚人服は嫌」
格子を隔てずに彼の姿を見るのは実に半年ぶりだった。オレンジの上着、茶色の髪、色を誤魔化した黒の双眸。身長はそう伸びていないようで、追いつかれかけていたシオンは内心ホッとしていた。
「……なんか前見たときより窶れてません?チャバネゴキブリマンの口に合わない城の飯って凄いですね」
「各方面に失礼すぎるわ!」
かつてと変わらない勢いある突っ込みに思わず笑みを零すと、つられたように彼も微笑む。
「とにかく会えてよかった。久しぶり、シオン」
「釈放おめでとうございます、勇者さん」
城の牢から解放されて、シオンの勇者がそこにいた。
その時になってやっと足元で音がした。椅子を巻き込んで倒れていたクレアは尻を擦りながら身を起こし、屈託のない笑顔でアルバに手を伸ばす。
「アルバくん久しぶり!オレもいるからスルーしないでね」
「いやなんかもの凄い勢いで薙ぎ払われてたから声かけていいもんかと」
「通常営業なんで大丈夫です」
「日常生活がブラックだ……」
「ところでさ、店の入り口で怯えてる黒服の人ってもしかしてお連れさん?内気すぎて迷子センターのお姉さんにも話しかけられない幼女みたいに震えてるけど」
「えっ?……ってうわああ何してんだあの人!」
慌てたアルバが走り出したので、シオンもそちらの方向を確認する。オレンジの背の向こうには寝乱れたような黒髪と、見知った顔があった。あの男は確か。黒ジャケットの男といくらか言葉を交わしたアルバは、彼の手を引いてテーブルへと戻ってきた。
「……トイフェル・ディアボロス?」
「い、いえあの……ふひゅ……」
「あー魂の魔法使いさん!その節はどうも!」
「ひぎぃい!あ、あうぅ……」
「とりあえずかけて下さいよー。何か食べます?甘いものとか」
「え、あああ、や、らめれす……」
「なんかエロ同人みたいなことになってますけど」
「クレアさんやめたげてー」
涙目で固まるトイフェルを庇うようにアルバが立ち位置を変えた。それを見たシオンはなんとなく不愉快になる。成人式十回は余裕で終えてる歳なんだから自分のことくらい自分でやれコミュ障が。
「なんで執事長がここに?ドビーは悪い子ごっこか何かですか」
「違うから!それにもう『元』執事長なんだよね」
「ついに靴下貰っちゃったと」
「そのネタやめろよ……栄転?いや左遷か、とにかくボクについてきてくれることになったの」
「は?」
ついてくるってどこに。連れションか。ストーカーか。やっぱり通報すべきか。真剣に葛藤を始めたシオンをよそに、ああ、そこから説明しないとだね、とアルバは軽い調子で続けた。
「これからは国の依頼でクエストをこなしていく。今は南の洞窟でスライムの亜種が出たらしくて、城下町を出たらそれの討伐に行くつもりでいるんだ」
「血税で己のフェチズムを満たしに行くと」
「討伐!ボクが強くなったのお前だって知ってるだろ!」
「……魔力はどうするんです」
「魔法の使い方は牢である程度勉強したよ。まあ、座学だけど。制御に関してはトイフェルさんが補助してくれるから大丈夫」
魔界に移住して家庭教師付きでみっちり勉強させるって計画もあったらしいけど、とアルバは苦笑した。なんだそれは。無辜の身でありながら地下牢に封じられ、異界への移送を免れたと思ったら今度は飼い殺し。しかも魂の魔法などと言うハイリスクな首輪まで付いているなど、へらへら笑っている場合じゃないだろう。シオンは目の前の馬鹿をぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、彼の僅かにこけた頬のラインが目について、握った拳を解いてしまった。
「それでいいんですかあんた」
「勇者はみんなの希望なんだぜ?それに、好きでやってることなんだから」
躊躇いなく言いきったアルバに、それ以上言い募ることは出来なかった。
それから少し他愛のない話をして、アルバは元執事長の手を引いて去って行った。その顔に張り付きっぱなしだった笑顔のせいで、シオンの胸には黒い澱が淀んでいた。
「……結局誘えなかったね、シーたん」
「どうせまた断られただろうよ。こうなったら向こうが泣いて頼んでくるまで待つさ」
いつか彼が勇者であることに疲れ、誰かの何かではないただのアルバになるその時まで。シオンは目を瞑った。
勇者アルバの活躍は目覚ましいものだった。西で魔狼の群れが出たと言っては駆けつけ、東にドラゴンが出現したと言っては剣を振るう。尾鰭どころか牙と羽根まで付いていそうな噂を聞くに、どうやら魔法もある程度は使いこなせているらしい。アルバは国中を、やがては国境をも越えて駆け回った。魔王は消え力ある魔族は送還されたにも関わらず、どうしたことか世界には強力な魔物が現れ異変は起こりつづけている。人々が不安に震える中にあって「勇者」は一筋の、だが何にも代えがたいほどの光だった。
皆がアルバの名を呼び世界は彼を必要とした。まさしく彼は希望だった。
「アルバくん相変わらずスゲーな。また新聞載ってるし」
「3面?」
「いやいやトップ。ケルベロスやっつけたって」
「イヌ科同士仲良くやればいいのに」
「牢屋出てそろそろ一年だけどほんと時の人だなあ。シーたん待ってていいのー?誰かに取られちゃうよー?」
「うっせえ」
裏拳を入れるとクレアは鼻を押さえて沈んだ。
不快でないと言えば嘘になるし、いっそ魔界に閉じ込めて自分が家庭教師にでもなんでもなってやればよかったとさえ思うこともある。それでもあの雑草勇者の選択を尊重してやりたかった。
アルバが幸せならそれでいいと、シオンはそう思っていた。
***