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目を覚ますとそこにいた。
腐葉土と湿ったにおいに満ち満ちた森は暗かった。鬱蒼と茂る木々は種類も様々で、触れればそこから崩れ落ちそうな朽木の根元に小さな若い芽が伸びていた。いくつもの枝葉の上を滑ってきたであろう古びた水滴が、ようやく自由落下することを許されて、クレアシオンの頬へと滴った。雨を思い出させる冷たさだった。どういうことだ、と呟いた。
クレアシオンは封印されたはずだった。ルキメデスと共に永久に眠っていなければならないのだった。それなのに、何の手違いが起きたというのか。魔王まで目覚めていないことは祈るしかない。どうやら中途半端にしか魔力が戻っていないらしく、自分の居場所を特定することすら叶わなかった。
立ち上がり、伸びをする。背中がばきばきと酷い音を立てた。行くあても無かったが、とにかく水の音がする方へと歩き出した。
しばらく歩くと一跨ぎ程の細い小川が見えた。ちいさな背中がひとつ、そこにしゃがみ込んでいた。蹴ったらあっさり水の中に落下した。
「うえええ!?」
「見事なウォーターハザードだな」
「お前が悪意持って池ポチャしたんだろうが!っていうか誰!?」
少年の手から離れた水筒が水の流れに運ばれていく。拾って手渡すと、彼は一瞬虚を突かれたような顔をして、ずぶ濡れのまま礼を言った。クレアシオンは彼が馬鹿であることを確信した。
「こんな森の中で何を?首吊りと服毒どっちだ」
「自殺志願者じゃないから!薬草摘みに来たんだよ」
「薬草?」
「えっと、もしかしてこの辺の人じゃないの」
無言で頷く。そっか、と応えを返した少年は、やっと小川から這い上がる。間の抜けたくしゃみをして、木陰に置いてあった背嚢から手ぬぐいを取り出した。
「ボクはアルバ。ここから少し行ったところの町に住んでるんだけど、最近めんどくさい病気が流行っててさ」
「その薬になる草がここに生えていると」
「うん。……多分」
「曖昧だなおい」
「だって前に流行が起きたの百年も前なんだよ……。勇者クレアシオンが魔王を倒した百年前。知ってる人間生きてないんだって」
ひゃくねんまえ、と呟いた。勇者と魔王が封印されてから外界ではそれだけ経っていたらしい。長いような気もしたし、短いような気もした。クレアシオンが知っている人間も、恐らくは残っていないのだろう。魔族はどうだろうか。あの金髪の男は一体どうしているのだろう。気にはなったが、20にもなっていないだろう人間の子に問うたところで答えが返らないことは分かり切っていた。茶髪の少年は、やたら大きな目をぱちくりと瞬かせた。
「お前は?どうしてこんなところにいるの」
「知らん」
「……え?じゃあ今まで何してたんだよ」
「寝ていた」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を出されたところで本当に眠っていたのだから仕方ない。こちらの時間で百年間、魔王を封印したときから今に至るまで寝返りも打たずにぐっすりと。夢を見たような気もするが覚えていなかった。どうせ意味も中身も無い悪夢だろう。
少年は胡乱気に、これからどうするの、と言った。どうしよう。クレアシオンは眉間を揉んだ。一度封印魔法を解除して魔王の所に行って再封印して、というのがベターだろうか。考え込んでいると、妙に力のこもった声が聞こえた。
「あのさ、ボクと一緒に来てよ!ひとりよりふたりの方絶対いいから、ね」
「突然強引になるなよ気持ち悪い」
「だって命は大事にしなきゃ駄目だろ!」
寧ろこちらが樹海の落し物だと思われているらしかった。勇者はとりあえず殴った。
*
「待って待ってはやいよお前急ぎ過ぎ」
「悪いな脚の長さを考慮に入れてなかった。裂くか」
「なんでボクの肉体を調整する方向なの!?」
「お前のためだよ」
「一瞬でばれる嘘吐かないで!」
少年の声が森に響き、少し谺してから消えた。クレアシオンが振り返ると、思いの外距離は開いている。想定よりも体力が無かったのか、アルバは息を切らしつつ歩いてきた。
「おいドクズ」
「名乗ったよね?そんな名前じゃないって知ってるよね!?」
「荷物貸せ」
「嫌だ燃やさないで」
「持ってやるっつってんだよ」
え、と言って固まった少年に舌打ちを投げてから駆け寄り、背嚢をひったくった。然して重くはなかったが、まあ手ぶらの方が幾らかマシだろう。僅かに触れた腕は酷く熱を帯びていた。
クレアシオンが少しだけ歩調を落としてやると、隣に並んだアルバはやたらと楽しそうに話しかけてきた。どれだけ勢い込んで喋っているのか時々はぁはぁと呼吸が乱れるのが滑稽だったので、そっと足を掛けたら見事にすっ転んだ。非常に愉快だった。
ひとと話をするのも百年振りなのだから仕方ないと、クレアシオンは誰にともなく弁解をした。少なくとも、彼は百年振りだと思っていた。
二人は小川の流れに逆らって進んでいく。目的の薬草は上流の沢に群生しているのだという。
*
アルバの様子は時間を追うごとにおかしくなっていった。呼吸の不規則さが増し、明らかに熱が出ている。指摘したところ「お前が川に突き落としたからだろ」と喚いたが、クレアシオンの知っている風邪は半身の麻痺や幻覚症状を伴うようなものでは無かった。町のみんなの役に立ちたいという本人の熱意に押されてしたいようにさせていたが、これ以上は流石に拙いのではないか。休んでいろと告げようとしたその時、アルバが声を上げた。
「あった!」
少年の視線の先で揺れる赤茶色の草を勇者は知っていた。静止する間もなくアルバは走り出す。そして転び、そのまま起き上がることが出来なくなった。
「……畜生が」
苦々しい声が漏れた。アルバを苛む症状と立ち枯れたような薬草、そして百年前という言葉から、クレアシオンは町を襲ったという病魔の正体を理解した。
虫だ。それらは肉眼では見えないほど小さく、人の体内に入り込み血流に乗って全身を巡る。ルキメデスが作り出し、笑いながら人間界にばら撒いた寄生虫が再び猛威を奮っていたのだった。薬草は解毒剤というより強力な虫下し。それも、ここまで症状が進んでしまえば最早意味がない。
抱き起した少年には意識が無く、まだ柔らかな頬は涙と汗で湿っていた。
彼を救う方法をクレアシオンは知っていた。遠くないいつかに今が代入されるだけであって、悲しむべきものでも躊躇いを覚えなくてはならない事項でもない。それなのに、何故か鉛のような溜息が漏れた。
光が差す。時間が戻る。少年の呼吸が穏やかになる。
掠れる声で届かない別れを告げてから、勇者クレアシオンは白い眠りの中に帰った。
何の意味もない出来事だった。
何も起こらなかった。