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あの日腹を殴った手がボクのものだというのなら、今剣を握っているのもボクの手なのだろう。左手に――彼の右手側にあるボクの左手に意識を集中する。掌には何がある。空?……違う。硬いものを握っている。自分の喉に突き付けた剣の柄を。取り返した!
剣を握りこんだまま「ロス」の米神を殴りつけ、一瞬怯んだ隙に当て身を食らわせ押し倒す。地面の草はそよぎもしないのに、馬乗りになったボクの妄想には相変わらず体温があった。
「その剣をどうしますか、勇者さん」
彼は僅かな抵抗すらしなかった。凪いだ目でボクを見上げ、ひどい毒を包んだ問いをひとつだけ投げてくる。
剣をどこに向けるのか。
ボクは現実と向き合わなくてはいけない。戦えることを認め、甘えを捨てて、ロスを助け出さなくてはいけない。妄想のなかに置き去りにした経験を取り返さなくてはいけない。独りで立ち上がって歩き出さなくてはいけない。強くならなければいけない。変わらなくてはいけない。
――ボクは、「ロス」を殺さなくてはいけない。
間違いなく彼も理解している。その上で剣を持ち出して、ボク自身の手でケリを付けさせようとしたのだろう。
前へ進むために選ぶべきものはたった一つ。手の中には剣がある。組み敷いた彼はボクを置いて行った人と同じ姿をしていた。
眼を閉じる。歯を食いしばる。鼻の奥が、痛い。
ボクは剣を投げ捨てた。
「……は?あんた、何して」
「っできるわけないだろ!この馬鹿!!ふざけやがって馬鹿!!」
ボクは泣き叫んでいた。視界が熱く滲み頬の上を水分が伝う。しっちゃかめっちゃかだった。なんでこんなことしなくちゃいけないって言うんだ。ふざけんな!
「ボクがお前を殺せるわけないだろうがお前もボクならそれぐらい分かれよ!脳味噌入ってないんじゃないのか大馬鹿野郎!!」
「……勢いのある自虐ですね」
「ロス」は溜息を吐いた。おそらく苦笑を浮かべている。先ほどまでの張り詰めた雰囲気は最早どこにもなかった。
「自分で仰った通り、俺はあなたです。あなたの大事なお友達じゃあない。何を躊躇ってるんです?自己愛強すぎなんじゃないですか」
「お前はボクを助けてくれたじゃないか」
ぼろぼろと涙が零れた。みっともないと思っても涙腺が壊れてしまったようで制御が効かない。そのうち鼻水まで垂れてきた。
光が照らすと宝石のように輝く目。鋭く閃く言葉。ボクを殴り、けれど助けてくれた手。イマジナリーフレンドの血肉を形作り、すぐにでも頽れてしまいそうな脆いボクを支えてくれていたのは、紛れもなく彼の記憶だった。
「お前はロスの思い出で出来てる。お前はボクの大事なもの全部なんだよ。あんな思い二度と嫌なんだ、もうロスを失くしたくない!」
涙で目が曇り過ぎて何も見えなくなってしまった。きちんとそこにあるのか不安で仕方がなくなって、ボクは彼を搔き抱く。大切な妄想はまだ消えず、ボクの全身に温もりが伝わってきた。
失くすわけじゃないですよ、という言葉が聞こえる。分かっている。あるはずのないものが姿を消して、ボクの中に戻ってくるだけなのだ。だからと言って彼の姿をした思い出を貫き殺すなんてことは、ボクには出来なかった。
涙と鼻水を擦り付けながらしゃくり上げていても、彼は怒りも罵りもしなかった。それどころか背中に手を回し、宥めるように柔らかなリズムを刻んでくれる。そのうちもう一方の手はボクの頭をくしゃくしゃとかき回すようになった。
しばらくして、すぐ横からまた溜息。記憶と寸分たがわぬ声で「ロス」が低く呟いた。
「……俺の中にこんな思いがあるってことは、本物を見てたあんたはちゃんと分かってたわけですね。分かったうえで、知らない振りして欲しがってるのも見通して、忘れたことまで忘れてた。酷い人だな。本当に酷い。ロスが哀れすぎるだろう」
「……え?」
抽象的すぎる独白にボクは疑問の声を上げた。応えはなく、代わりに抱きしめる力が強められる。
「特別サービスです、俺を返してあげようじゃないですか。……但し一つだけは持って行きますよ。あと慰謝料ってことであんたからも一個貰っていくんで」
「何言って、」
なあに、ロスとあなたが頑張ればそのうち取り戻せますって。
謎めいた言葉を聞いた瞬間、ボクは頭痛に襲われる。
大きなものが、大量のものが、一気に入ってくる感覚。作り変えてしまっていた記憶が剥ぎ取られ本当の熱と質感を取り戻し、ロスのふりをしたアルバが本来のボクに置換されていく。気にも留めていなかったロスの些細な言動がなにもかも鮮明に再生される。彼がいないまま回る世界がボクを巻き込む。流れ込んで満たされていく。けれど、それは同時に紛れもない喪失だった。
待ってよ、さよならしたくないんだ。独りぼっちにしないで。
彼が消えてしまうのが悲しくて、ボクはまた泣いた。
飽和した意識が夜に融けていく。鼓膜より内側のどこかで、頑張れよアルバ、という声が響いた。
*
「アルバさん、ねえアルバさん!起きて!お願い!」
悲鳴のような声でボクは目を覚ました。空はもう明るく、風が草原を吹き渡っている。
隣には泣きそうな顔をしたルキがいた。長い髪は乱れ、服も寝間着のまま。目覚めたら消えていたボクを案じて必死に探し回ってくれていたのだろう。
ボクは笑い出してしまいたいような気分になった。何が独りぼっちだ。手を繋いで買い物までしてくれる魔王さまが一緒にいるっていうのに孤独なフリしやがって。そんなこと言ってるやつにはきっと脳味噌が入ってないに違いない。
意識を取り戻したボクを見てルキは安堵を浮かべたが、すぐにハッとした顔になった。アルバさん、首どうしたの、と言う彼女の言葉に昨日のことを思い出し、傷に触ってみる。乾いた血が瘡蓋になっていた。
「何かあったの?大丈夫なの?」
「……大丈夫だよルキ。きっと、これからはすべてよくなるから」
やっとボクは起き上がった。散々泣いたせいか頭は嘘のようにすっきりしている。
色々なことを思い出した。やるべきことは心に刻んだ。彼と彼の記憶に報いるために、ボクはしっかり前を見据え、強くならなければいけない。
伸びを一つ。
――首に巻くのは多分似合ってなかったから、今度からはベルトにでも括っておこう。
そう思って、右手の赤いスカーフを強く握った。
***
無意識の暗い水槽に投げ落とされたひかるもの二つ。
確かに受け取っていた恋心と、名づけを間違った淡い愛情。