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「隣の牧場に初孫が生まれました。奥さんが体が弱い人だったので村じゅうみんなで心配してたんですが、産後の肥立ちもよく母子ともに健康みたいです。爺さんってば頑張って厳しい舅の外面保ってきたくせに、産声聞くなり飛び込んできて嫁さんと孫抱いておいおい泣いたって話ですよ。産婆に叩き出されるとこ見とけばよかった」
「今真冬で外気温は氷点下なんですけど、このタイミングで心霊騒動とか逆に面白いですよね。この前村長の倅がいきなり近所のガキどもに強制召集かけて、20人規模でこっくりさん始めたんですよ。そしたらまあお約束通りコロシテヤルだの帰らないだのでみんな叫ぶわ発狂するわ、最後紙が燃え上ったときには言いだしっぺのクソガキも泣きながら失禁してましたね。まあ犯人オレなんですけど」
「兄貴に呼ばれて実家に戻ってきてます。そろそろ収穫期なので農家はどこも人手が足りないんですよ。まだ取り入れは始まってないんですけど、着色を良くするために太陽の当たり具合を調整したりとか、出荷用の袋の確認をしたりとか、そういう細かい作業をしています。代替わりしてから作り始めた林檎酒も割と好評みたいでてんやわんやですよ」
少年の声 / 飾られるもの
壁の向こうにロスがいなくなると微睡み、ロスの声で目を覚ます。そういう生活をアルバは送っていた。けれどそのサイクルが10に近づくほど回ったあるとき、覚醒した世界には音がなかった。ロス、おはよう、と声をかけてみても応えも軽口も返らない。そういえば最後に言葉を交わしたとき、ロスは少しばかり咳き込んで苦しそうに喋っていた気する。体でも壊してしまったのだろうか。
包囲し威圧する灰色と色のない天地。雪降り積む音すらない完全な静寂が、寝ても覚めても続いていく。
アルバの気分が憂鬱に陥りかけたそのとき、魔王さん、という幼い声が響き渡ったのだった。
「……あれ、なんか声違わない?風邪ひいた?」
「喉やられて声高くなる人間いるわけないでしょうが。耳孔内でカマドウマかなんか飼ってるんですか?」
「飼ってねーよ!それなら一体どうしたのさ」
「若返りました」
こいつは何を言っているんだ。
「何、どういうこと?魔法でも使ったの?」
「魔王さんと違ってショタコンじゃないので違います」
「ボクを馬鹿にしないと死ぬ病気なの?」
「まあ、死んだんですよね」
「……は?」
アルバは絶句した。死んだ?それならここにいるお前は何者だというのか。冗談のつもりだったのに本当にそんな奇病を患っていたのだろうか。しばらくぐるぐると考え込んでいると、小さな破裂音のようなものが聞こえた。それに続く空気の漏れる音はだんだんと大きくなり、やがて堪えようともしない哄笑であることがはっきりしていった。
「ぷ……くくくっ、あはははは!なに黙り込んでんですか。きっと凄い間抜け面なんでしょうねー顔見えないのがほんとに残念です。多分あなたが思ってるのと逆ですよ」
「逆ってどういうことだよ畜生が」
「あなたに会えなかったから死んだんじゃなく、死んだから会いにこなかった。そういうことです」
死んだことは訂正しないのか。病気で?それとも事故?生気に満ちた声でそれを告げる少年は幽霊か何かなのだろうか。やはり訳が分からない。
彼は愉快極まりないという口調のまま言った。
「死んで、あなたのために生まれ変わって、また会いに来ました」
「生まれ、変わって……?」
「言葉を話せるようになるにも夢見の魔法を使えるようになるにも時間がかかりますからね。オレがいなくて寂しかったですか?もしかして泣いちゃいました?」
「え、ちょっと待ってよ」
生まれ変わり?壁ごしに初めて会った時、ロスの声は二十歳そこそこの青年で、「彼」が現れなかった空白期間は数日といったところだった。可能かどうかは考えずに生まれ変わったという言葉を信じるにしても、これ程の僅かな間に病の影もない若者が死に、新たな肉体が少年にまで成長したというのはいくらなんでもおかしいのではないか。
そういうことを伝えたら彼の声は黙り込んでしまった。沈黙が訪れると、灰色の壁は圧迫感を増すようだった。
「えっと、ロス?……ああ、もう違うんだっけ」
「ロスって呼んでください。肉体の名前が何であろうと、オレはロスです」
「じゃあロス。一体どういうことなんだよ」
「……次元の狭間は時間の進み方が外界よりずっと遅いんですよ。前の『ロス』はここに8回現れましたが、あの間外では40年以上経っていた。衰え、死に、生まれ変わってここに来るまでの空白期間は10年強と言ったところです」
「うそ」
「それについても覚えてないんですか」
「……うん。前にも言っただろ。自分の名前と封印されてること、そのくらいしか覚えてないんだって」
ロスは時折、覚えていないのか、とどこか寂し気に尋ね、アルバはその度に、覚えていない、と答える。そのやり取りはそこで完結し、ロスは当たり障りのない日常について語りだすのだった。
アルバの内側はあまりにもがらんどうで、ロスに言われるまで何かを忘れていることにすら気付かなかった。この空隙は見えざる刃となって確実に彼を切りつけているのだろう。アルバの知らないアルバのために、ロスは苦しんでいる。
溜息が聞こえた。幼い少年には似合わない老成しきった音だった。
「あなたがオレの足ふきマットで風呂から上がる度に肋骨踏み折られてたってことも忘れてしまったんですね」
「記憶がなくてもそれが嘘なのは分かるわ」
「凄い脊髄ですね!」
「脳味噌入ってるから!」
少々息が切れた。
「ともあれ魔王さん、オレがいない間に何か変わったことはありませんでしたか」
「無かったよ。なんにも」
「それならよかった。オレの方は割と波乱万丈でしたよ――」
「ねえロス」
アルバは思い切って言った。
「外の話を聞くのは楽しいしお前には心の底から感謝してる。でも、ボクはお前が本当に話したいことを話してほしい」
「……何言ってんですか、魔王さん」
「ボクが忘れてしまっている色々なことを聞きたいんだ」
アルバにとっての十数日が彼にとっての数十年だったというのなら、ロスはどれほどの痛みに耐えてきたのだろうか。モノクロの世界に彩りと思い出をくれる彼はとても大切な人だったから、アルバはロスに苦しんで欲しくなかった。手渡せるものが何もないのなら、彼の背負うものを一緒に持ってやりたいと思った。
「そんな重いものなら、独りで抱えてちゃ駄目だよ」
聞いてるうちに何か思い出すかもしれないしね。精一杯明るい声を出したのに、返ってきた返事は何故かぶすくれたものだった。
「……あんたって相変わらずのクソ野郎ですよね」
「ひっど!」
「まあ、どうしてもって言うのなら気が向いたときにでも教えてあげますよ。ニート引き籠りにかけてやる精一杯の慈悲です」
「別に好き好んで職に就いてない訳じゃないから……」
「じゃあここから出て求職しましょうよ」
「無理なんだってば」
「そうでした」
また笑い声が聞こえた。今度は穏やかで子供らしいそれは、不可侵の障壁を超えてアルバのところまで流れ込む。どこかが少しだけ温かくなった。
「可哀想だから今まで通りお土産持ってきてあげますよ。壁と睨めっこして気が触れたあなたってのも滑稽でしょうけど、顔が見えない分面白さ半減ですから」
「馬鹿にしてるけどなかなかきついんだぞこの光景」
「単調で変化が無いからですよ。何か貼るものとか、ない、んですか……ってあれ、くそ」
幼い声が震え、二重三重にずれ始める。夢見の大魔法がタイムリミットを迎える前兆だった。
「今回はいつもより早いんだね」
「まだガキだから使いこなせてないんですよ。まあ、すぐに帰ってきますから」
向こう側の少年は消えゆく声でそう言った。アルバにとっては僅かに数時間後の未来だけれど、彼にとっては何年後になるのだろう。きっとそれは、この幼い声が低くなって、華奢な膝が、肩が、アルバの知らないところで軋みを上げながら育っていってしまうほどに長い時間だ。それでもきっとロスはアルバを覚えている。死んだくらいでは忘れなかった彼なのだから。
――ああそうだ、大事なことを言いそびれていた。
「ロス」
アルバは叫ぶ。
「また会いに来てくれてありがとう!」
応えはない。代わりに、がつり、という音がした。学習したロスは今回は床を殴ったらしかった。
彼が消えた空漠の世界で、アルバはひとり目を閉じる。
のっぺりとした不可触の絶壁。視界を覆い尽くすどうしようもない空漠に、ロスがくれた声を、言葉を、思い出を貼り付けてゆき、何もない世界を少しだけ飾った。