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「バレンタインデーは根強いですよ。2月14日は未だに製菓会社の搔き入れ時で食品コーナーがドピンクですもん。あ、オレですか?誰にも渡してはいないんですけど逆に大量に渡されちゃいました、羨ましいでしょう童貞野郎。最近は逆チョコだの友チョコだのと女性が貰えるような習慣もあるみたいでめんどくさい限りです。お返し?しませんよ受け取らずに突っ返しましたから」
「裏庭の赤い薔薇が盛りです。自分で植えたわけじゃなくても、手を掛けた花が綺麗に咲くと嬉しいものですね。夢の中まで持って来れたら三本くらいお裾分けしてあげても良かったんですけど、流石にそれは無理でした。ところで薔薇の花言葉って色々あるの知ってます?薔薇の枝だと『あなたの不快さが私を悩ませる』って意味らしいですよ。いや別に魔王さんに言ってるわけじゃないんですけどね!」
「あー……すみません、ちょっとボーっとしてました。うちの国も戦争に参加しちゃいましてね。戦線は遠いし女子供が動員されるような状況はまだ来てないんですがちょっと今後の情勢が読めません。もう戦ってない国数えた方が早いくらいの殺伐っぷりですよ。妙な新兵器も開発されたし、そのうち世界が滅んじゃったりして」
少女の声 / 守るもの
息苦しい日々が続いた。あれからまた月日が流れロスの声色は何度も変わったが、アルバは未だ抱え込んだ秘密を告白出来てはいない。どちらを取るか決められずともせめて告げるべきなのだろう、けれどそうするにはアルバのこころは弱すぎた。だから、灰色の壁に守られて口を閉ざし続けることを選んでしまった。何も話さないまま謝ってしまいたいとすら思っていた。どんな応えが返ってこようと何も変わらないというのに。
「魔王さん?聞こえてます?」
「あ、うん大丈夫。戦争ってどういうものなんだろうと考えてたんだけど想像もつかなくて」
「無い脳味噌回しすぎるとそのうち爆発しますよ」
「ご心配ありがとー」
高く甘やかな少女の声であっても紡がれる言葉の辛辣さは同じだった。
18人目にしてロスは初めて女性となった。転生に関してはある程度条件を絞り込めていたのに、今回はそれが失敗したらしい。積み上げてきた男性としての記憶の分言葉遣いや挙措といった点で苦戦する「彼」は面白いというか可愛らしくすらあったが、それが楽しめたのは最初の一回だけだった。二回目の前回からは女性ならではのえげつない下ネタを混ぜてくるようになり、アルバの精神は今までと異なった方向に削られるようになった。どれほど頭が良かろうと顔がよろしかろうと、性格はそれに見合った美しさにはなってくれないらしい。男だったらまだしも女性でコレだと色々と角が立つのではないだろうか。
「お前、嫁の貰い手あるの?」
「セクハラですね訴えますよ。あと嫁には行きません」
「婿取り?」
「結婚しないっつってんですよゲロ豚」
「あーそっかあ……ずっと奥さん貰ってたんだもんな」
肉体がどうなろうと自分はロスだ、とは彼自身の言葉だったか。今までずっと女性を恋愛対象としてきたのだし、それなら突然男を好きになれと言われても厳しいものがあるかもしれない。が、投げつけられた反論は何故か地の底から響くような声色だった。
「……それ本気で言ってます?オレ今まで結婚してたことないんですけど」
「え?……え、マジで?」
「死ねよクソ野郎」
記憶を辿ってみると、近所の人々や両親、兄弟について語られたことこそあったものの、彼自身の子や配偶者についての話題はなるほどただの一つもなかった。違和感の有無とか云々以前に、そもそも全く気にしていなかったのだと思う。アルバは自分の感性が少々心配になった。
「え、あの、何かあったの?宗教上の理由とか好きな子が」
いるとか、という言葉は充満した放電音にかき消された。巨大な障壁いっぱいに走る白い雷光を見たのはいつ振りだったか、拳を痛めた悪態が聞こえないということは殴る代わりに何か投げつけたらしい。壁に守られていなければ間違いなくアルバの急所にクリティカルヒットしていただろう。
「してたことないってことは、もしかして一人目の時点からずっと同じ人を……」
爆撃に近い着弾音と再びの雷が壁を揺るがす。何よりも雄弁な肯定だった。
余裕綽々で上から目線の嘲弄癖というロスの性格を考えると、この一途さは意外なことだった。最初のロスがアルバの前に現れてから人の世界ではどれほどの時間が経っているのだろう、恐らく百年や二百年で足りるものではないはずだ。相手の女性が生きているかどうかすら分からない。そして、その人が魔界にいようと土の下にいようと、ロスが叶わぬ想いを背負い続ける破目になった原因の所在は明らかだった。
「……ごめんね」
「許さないので謝らないでください、あなたの肋骨を叩き割れないのが非常に口惜しいです」
当然だと思った。人ひとりの魂を縛りつけるということの本当の重みをアルバはこのときまで理解していなかったのだろう。長い時と多くの人の上を通り過ぎたロスは一人ぼっちではなかったかもしれないが、きっとそれよりも深く孤独だった。もう眠らせてやれ、と天秤の右手が言う。それは出来ない、と左手が答える。壁に隠れた表情は見えない。
「変に同情すんのやめてもらえます?好きな子に花贈ったことも無さそうな鈍感クソ野郎の癖に。あなたが思ってるほど不幸せじゃないですから」
少女の声は未だに鋭い棘に塗れていたが、何故か同時に温い湿り気のようなものをも帯びていた。慰めてくれているのだろうか。
どうしようもないくらい優しい人だった。だからこそアルバはロスを手放すことが出来ず、結局彼を苦しめてしまう。彼が彩りをくれた壁の中に重く黒い罪悪感が降り積もっていく。窒息してしまいそうだった。消えてしまいたいと思った。
「花ではないけど、贈り物ならしたことあるよ」
喉から出た声は喘鳴に近いものだった。溢れてしまった言葉は止まらず、卑怯だと分かっているのにアルバのこころは逃げ出す準備をやめてくれない。彼に嫌われるのも彼を傷つけ続けるのも恐ろしかったが、それ以上に秘密を抱え続けることに限界が来ていた。自分の名前、封印されていること、その他に覚えていたもう一つ。
「――鍵を渡したんだ」
もう取り返しはつかない。
「鍵、ですか」
「そう。一つの鍵を真っ二つにしたうちの半分、ボクの持ち物の中で一番きれいなものを、一番大切な人に押し付けた」
巨大な灰色の錠前が決して開かないように。開けようなどと考えることも無いように。
喉が焼けつくように乾く。唇の震えを止めようとしていたら歯を立てすぎたのか血の味が広がった。きれいなものがどんな色をしていたのか、大事な人がどんな顔をしていたのか、そういう細かな諸々をアルバは何も覚えていない。けれど、その正体と現在の持ち主に気付かずにいられるほどに幸せな頭をしているわけでもなかった。
きっとなにもかも理解したのだろうロスは、それでも何も言わずにいた。
「……ごめんね」
彼の命と心を削る「重くて嵩張る鬱陶しいもの」の処分法にはとっくの昔に気付いていた。その上で、アルバはただ自分のためだけに口を閉ざしたのだ。許されるわけがない。ロスには復讐する権利すらあった。
アルバは掌を見る。所々に胼胝のある手は、彼から多くを奪い取ってきたというのにも関わらず、どうしたことか未だ血流を止めていなかった。
やがて、壁の向こうの少女が口を開いた。
「魔王さん、ここから出ませんか」
平坦な声には意図的に感情を殺したような響きがあった。予測されていた二つのうちより鋭い選択肢がアルバに突き刺さる。けれど、天秤の左側にはもっと重いものが乗っていた。
「戦争中に魔王が戻ってきたら、それこそ世界が滅んじゃうよ」
「そんなもの滅べばいい。あなたを勇者と祀り上げたくせにすぐ掌を返して魔王呼ばわりして、挙句自分自身を封印させた世界じゃないですか。憎んだっていいくらいだ」
「……そういうのはよく分からないんだよ。何も覚えていないから」
嘘は吐いていなかったが、ありのまま本当のことを告げられるほどの強さもなかった。だからアルバは逃げた。
そうですか、とだけロスは呟く。
彼女は二度と現れなかった。
長い長い沈黙が落ちていく。見捨てられた世界は静寂で満たされている。
大切な人の思い出を抱えた少年と、彼から世界を守る灰色の壁だけが、ただひたすらに存在し続けていた。