[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
街に着いたのは翌日の昼前だった。宿の手配をさっさと済ませると、戦士は投げ遣りに呟いた。夜まで好きにしてていいですよ。オレちょっとやることあるんで。
いつもは荷物持ちだのエクストリーム犬の散歩ごっこだので疲れ果てるまで引き摺り回されるので、これはなかなか珍しい事態だった。あの男に自分を甚振る以外の時間の使い方があったことを喜びつつ、アルバはこっそり拳を握る。降って湧いた自由時間だが、成すべきことは決まっていた。
「こんなに早くチャンスが来るとは思わなかったなぁ……」
宿屋の窓から顔を突き出し、バリサンの最後の一本が見えなくなるまで戦士の背を眺めつづけた。念の為、さらに二十分ほど時間を置く。天井も降ってこないし朝食べた卵が腹の中で孵りヒヨコ的なものが口から飛び出すとかいうスプラッタホラーも今日はお休みのようだった。天はアルバに味方している。イケる。
恐る恐る戦士の持ち物を漁り、数枚が綴られたクリーム色の便箋と同色の封筒を取り出した。勇者付の王宮戦士には城への定期報告が義務付けられているので、その為の用紙だろう。これならばきっと、王様の元まで届くに違いなかった。
何をどう書けばいいのかはよく分からない。形式的なものも大事なのだろうが、そこで躊躇って失敗すれば間違いなくアルバの生存率は下がってしまう。それも、物凄い角度でがっくりと。
兎にも角にも、書くしかない。戦士の解任願いを。
「よっしゃ、頑張るぞ!って」
紙を見つけたはいいが、どれほど探してもペンが無い。ライティングディスクの上に備え付けられた羽ペンを借りることにしたはいいが、今度はインク壷が空だった。中々幸先の悪いスタートに、アルバは小さく身震いをする。こうしている間にもいつ戦士が帰ってくるか分かったものでは無かった。急いで、しかし焦らず、適切な判断をしつつも迅速に。
この場合の最良の策は何だろう。入っていないと噂の脳味噌ががりがり音を立てるようだった。
「……宿の人から借りよ」
アルバは無難な人間だった。
*
「すみません。すみませーん!」
つい先ほど、戦士と連れ立って宿に入った時には女将さんが立っていた筈のカウンターは、しかし今は空だった。奥を覗き込んで声を張っても誰一人出てくる気配がない。何かあったのだろうか?気にならないではなかったけれど、アルバの抱えた問題も一刻を争うものであって寄り道と脇見は命取りなのだった。宿帳の横に筆記具が無いことを確認し、少年は街に繰り出した。
財布を戦士に握られているとは言え、小銭の持ち合わせくらいはある。ペンくらいなら買える額だった。道行く少年に雑貨屋の場所を聞き、三本目の路地を右に曲がった。秋の風が寒々しい音を立て、枯葉を舞い上げてはくるくると落下させていた。
がたつくガラス戸をあけて店内に入ると、アルバの他には客はひとりだけだった。古臭い店だから仕方ないのかなあと同情めいた思いを覚えて、予算ぎりぎりの値段の、ちょっとだけお高めなペンとインクを手に取った。それから会計に向かった。
修羅場だった。
「おい急げまだかよ!?」
「静かにしてよね、バレたらどうすんの」
低い声で囁きあうのは男女ふたり。女の方は金庫に手を突っ込んでは中のものを袋に移し替え、肩幅の広い男はぎらぎら光るナイフを握って仁王立ちしている。その足元では、猿轡を噛まされて蓑虫みたいに縛られた老人が震えていた。
咄嗟に棚の影に隠れた。肩当てが擦れ、高く積まれた梱包材ががさりと小さく音を立てる。アルバは必死に息を殺した。
何が起きてる。状況を総合的に考慮に入れて判断すると、あれは多分、強盗。どうすればいい。相手の視界に入らないように注意しながら顔を出し、様子を窺った。ナイフの刃は分厚く、男の首も腕も丸太のようで、相手は二人いて、こちらはひとりだけ。
ここにはいないもう一人をまた呼びそうになる。また唇を噛む。惨めな暗い森でも似たようなことをしていたけれど、今度は少しばかり事情が違った。人の絶望した顔が大好きと笑うあの口が、珍しく真剣ぶった調子で紡いだ言葉。アルバの耳の奥で反響し続けるそれは、こういうどうしようもない場面に限って呪いのように音量を上げるのだった。
――頼るより頼られる存在にならなくては。
「……ボクは、勇者なんだから」
口に出した途端、脚が戦慄き、心臓がばくばくと音量を上げた。やるしかない。
深呼吸をひとつ。汗塗れの掌を滑らせながら、手の中の蓋を反時計回りに捻る。そして、動いた。
「きゃあっ!?」
包装紙のロールが連なる棚を思い切り蹴り飛ばす。軽い金属製のそれは簡単にバランスを失い、周囲のものを巻き込みながら女の背へと倒れ込む。甲高い悲鳴を耳にして、男の注意が逸れた。その一瞬を突き、インク瓶をその顔面へとぶん投げる。視界を奪われた強盗が狼狽の声を上げた。岩みたいな手が緩んでナイフが落ちる。拾う。店主を引き摺って距離を取る。それから、もうひとりいるはずの客に向かって声を張った。
「強盗です憲兵呼んでください!早く!!」
三秒遅れて走り出す音が聞こえた。庭用ホースを眺めていたおばさんの足が速いことを祈りながら、老人に巻きついた乱雑な拘束を切り裂いていく。奪取したナイフは初めて扱う形をしていて、だから手元に集中しすぎたのだろう。周囲への注意が疎かになっていた。強盗犯がすぐ近くにいるにも拘らず。
「……っの野郎!!」
後頭部に重い衝撃。床に叩きつけられて息が止まり、殴られたことに気付いたのはその後だった。
両目を黒インクで塗り潰された男は未だ視力が回復していないようで、しばしばと強い瞬きを繰り返しながら何度も頭を振っている。声の出処に向けられた闇雲パンチのうち一発が、ちょうど命中してしまったらしかった。ブラックアウトしそうになる意識を気力だけで繋ぎ止め、アルバは巨漢を睨みつける。憲兵はまだ来ない。痛いし怖いし泣きそうだし漏らしそうだし鼻の辺りが鉄臭くぬるぬるするしで踏んだり蹴ったりだけれど、逃げる訳にはいかない。身を起こす。ナイフを捨て、代わりのものを左手に握る。大ぶりに繰り出された拳を今度は避けて、そして、
「くらええぇ!!」
男の股間にペンを突き刺した。
詳細は割愛するが、とりあえず、勝った。
*
憲兵が到着するより先にアルバは逃げた。事情聴取なんてどれほど時間が掛かるか分かったものではなかったので。
お礼がしたいと引き留める店主に「じゃあペン下さい」と言って(デリケートゾーンに刺さったことのない新品の)筆記具を手に入れたはいいものの、インクの方を買い忘れた。もう他の店を回る気力は無かった。噴水の縁に腰を下ろし、殴られた頭にそっと手を当てると、大きなたんこぶが出来ているのが分かった。また胃が重くなる。項垂れた拍子に、一度は止まった鼻血がつうと流れ出すのを感じた。
「……もう血文字でいいか」
ポケットの中を探る。四つ折りにしていた筈の便箋と封筒は先の乱闘でぐちゃりと潰れてしまっているが、用を為さないという程ではない。というか、ここに赤黒い字で嘆願が記されていたら物凄く心に響くものがあるのではないかとさえ思い始めた。こちらの窮状を正しく伝えられる上、無視したら呪われるかもという恐怖を煽ることも可能な素晴らしい作戦じゃないか。もうこれで行こう。うん。ボク天才。
色んなところがじんじんと痛んだ。零れ落ちる血液にペン先を浸しながら、アルバは自画自賛によって何とか精神の平衡を保っていた。
助けてください、戦士を変えてください、もう限界です、勇者No.45アルバ・フリューリング。そんな感じの文言を震え霞む筆記体で記し、瀕死の勇者は立ち上がる。
重く暗く、地の底まで落ち込んでいきそうな彼の心とは裏腹に、人々はきゃらきゃらと声を上げて騒ぎ笑っている。泣くのは郵便局に辿りついてからにしようと前を見据えて、そうしたらまた大惨事。
竜巻が起きていた。