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ルキとボクと戦士のロスが一緒にいた時間っていうのは意外と短いのだけれど、そのわずか一掴みほどの内側では、まるで煮詰めて濃縮されたみたいにしていろんなことが起きたのだった。今から話すのは、その中でも結構印象深かったエピソードとその後日談。
話すことしか出来なくて、放すことすらできないおはなし。
*
街を目指して歩くうちまた日が傾き始めた。ボクもいい加減旅慣れてはきていたのだけれど、悲しいかな、てきぱきと自主性を発揮するよりはアゴでこき使われるスキルの方が上がってしまっていた。その日もまた戦士に言われるがままに野営の準備を始めたのだった。
パーティメンバーが増えたのだから必要な食糧も増えるに決まっている。狩りを手伝おうか、と申し出たところ、鼻で笑われた。いつも通り薪拾っててくださいめっちゃ邪魔です。辛辣なお言葉に対して何か文句を返した気もしたけれど、正直予想通りだったのもあってそのあたりのことはよく覚えていない。ただ、その日に限ってあいつは妙な顔をしていたのだった。何にも考えていないと評判のこのボクが気にする程度には。
ルキと二人して薪枝を積み上げ、風向きを気にしながら火を点けた。そのうち手に兎を二羽抱えたロスが帰ってきたので夕飯の準備が始まった。いつもは大抵一羽だけだったのだけれど、流石に三人所帯には量が足りないと考えたらしい。
ちょっとあっち向いててねと少女に告げ、地面に横たえられた兎の耳に手を伸ばした。と、既に一羽目を捌き始めていたロスが何故か胡乱気な眼差しを投げてよこした。何するつもりですか。声は疑惑に満ち満ちていた。何をするというか、状況を鑑みたら答えはひとつしかないはずなのだけど。首を傾げていたらまた疑問文が積み重ねられる。そんなこと、あなたに出来るんですか。
そこでボクはようやく気付いた。こいつと旅をするようになって一年近く経つが、目の前で動物を捌いたことは一度も無いってことに。馬鹿にするなよ、とだけ答えたんじゃなかったかな。その頃には既に山育ちなのはバレてしまっていたけど、自分で言うのはちょっと恥ずかしかった。我ながらとてもガキっぽい。
昔からの習慣通り、最初に手を合わせた。きちんとした人はきちんとしたお祈りをするらしいけど、ボクはただ掌を重ねて目を瞑るだけ。神様に向かって唱える文句なんて忘れてしまっていた。
それから兎の手首と足首にナイフを入れて毛皮を剥いだ。腸を傷つけないように気を付けながら腹部に切れ込みを入れ、内臓を取り出す。尻尾と肛門も綺麗に取り除いた。皮が繋がったままの首を刎ねたら、下に敷いていた麻布に赤い飛沫が飛び散った。頚骨は固いので、このくらいしないと切断できないのだ。丸焼きならこれで大体完成だけど、ふたつのものを三等分するっていうのは存外難しい。どう分けようかなあと悩んで、とりあえず一番食べ出のある部分を切り分けることにした。大腿骨の膨らみに刃を突き立て、ぬらぬらと肉色に光る左脚を斬り落とした直後、ボクは手首を掴まれたのだった。
「指、切ってますよ」
ロスの視線を追ってみれば、ナイフを持つのとは逆の方、右手人差し指の第一関節の辺りに薄く線が入っており、どうやら兎のものでは無いらしい赤い玉が浮かんでいた。ああやっちゃったな、どうしよう、一度手を洗った方がいいのかな。考えているうちに、ぬめぬめでべとべとで血みどろの指先が温度の低い掌に包み込まれた。同じ作業をしていたはずで、実際に似たようなものに塗れているくせに、やけに綺麗に見える白い手だった。
昨日だか一昨日だかまで出し惜しみし続けていた魔法が光となって指先に染み込んだ。痒みにも似た僅かな痛みはすぐに欠片も残さずに消えてなくなった。なのに、ロスはしばらく手を離そうとしなかった。まるで縋りつくようにして。
変だな、とまた思った。ルキが合流したあたりからずっと、ロスは落ち着かない雰囲気を纏っていて、ひととの(具体的には、ボクとの)距離の取り方がおかしなことになっていた。
震えもしないし走り出しもしなかったから気付かなかったのだけれど、こうして後から考えてみると、あれは怯えていたのだと思う。
後ろから追って来るものではなくて、自分自身の足が向かう、その先にあるものに。
*
その晩、ボクは肩に痛みを感じて目を覚ました。両腕の付け根が地面に縫い付けられたみたいに重くて、痛くて、動かない。異常事態の癖にまだ重い瞼を押し開けると、決して星の色ではない射殺すような赤色が目前の上空でぎらぎらしていたのだった。とても怖かった。
何をやらかしたんだっけ、何をされるんだろう、色んな思いがぐっちゃぐちゃになって混乱に混乱を重ねた挙句、ボクは何故か笑い出しそうになった。ひくひく痙攣する喉が勝手に息を吸い込んだその時、ルキが起きますよ、と存外に静かな声で言われてしまって、中途半端に溜めこんだ空気は飲み込む羽目になったのだった。
星はたくさん出ていたし満月も近い夜だったのに、空からの光は残らず馬乗りになった黒い背に遮られていた。白い顔のパーツを照らすのは小さく燃える焚火しか無くて、そのせいであいつの目は余計に血の色を濃くしていた。
忘れていたわけがないし、忘れたいなんて思ってもいなかったんですけど。準備を始めないといけないですね。もうすぐいらなくなるものには違いないんですから、今の内に少しだけ貰ったとして大勢に影響は無いでしょう。
捲し立てる言葉は説明みたいな振りをしているくせに何一つ理解させてはくれず、どちらかというと言い訳のような響きばかりが耳に付いた。声は落ち着いているのに、口調はやけに焦っていた。自分より追い詰められている人間を見るとひとは冷静になるというのは本当だった。ボクはただ、どうしたの、とだけ聞いた。ロスはボクを思い切り、今まで見たことも無いような凄い顔で睨みつけて、その後から追い掛けてくるものを押し込めるように唇を噛んでしまった。そして、貰います、と呟いた。
命令形でも疑問形でもなくて単なる確認の形だった。意味が分からずぽかんとしているボクの肩からロスの左手だけが外され、今度は心臓の上に重みを感じた。ぼう、と、回復魔法とは違う色の警戒色みたいな光が灯り、それから内側が微かに軽くなるようなすかすかした感じがやってきた。
ひゅ、と息を飲む音が聞こえた。気付くと上半身に掛かる重みは無くなっていて、でもあいつはボクの腰の辺りに座り込んでしまっているので体を起こすことは出来ない。どいてくれるよう頼むために口を開いた。その状態で、ボクはまた何も言えなくなった。
ロスは脚を持っていた。
太腿からつま先まできちんと揃った裸の脚が、まるごと一本。踝の付き方から左脚であることが分かった。空に蹴りを入れようとしているようで、なんだか滑稽で、訳が分からなくて気持ち悪くて恐ろしかった。まだ筋肉の付き切っていないそれは、膝のあたりでぱっきりと色を変えている。脛の方は日焼けして健康的な色を晒しているけれど、上半分は布に遮られていたのか生白い。嫌になるくらい見覚えがあった。ボクの脚だった。
どうして叫びださなかったのかは自分でもよく分からない。パニックで目を回しながらも、どうやら自分の胴体と左脚は未だ連結を保っているらしいということ(ロスが座り込んでいるせいで目視することは出来なかった。痛みは無いし、血は出ていなかったし、膝から下が意図した通りに動いているっぽかったので、これは千切れてないんだと自分に言い聞かせつづけていた)だけは確認出来た。じゃああっちのあれは何なのだろう。ボクの左脚はいつの間に量産型になったのか。
全ての元凶であるところのロスにとってもこの状況は予想外だったようで、口を半開きにしたまま茫然とそれを眺めていた。そして突然、目を瞑った。ああ、そうか。左手では駄目だものな。低い声。そうしたら、ボクにくっついていない方のボクの脚はだんだんとおかしな様相を見せるようになった。
透け始めたのだった。
夜のつめたい空気の中にこどもの輪郭が徐々に溶けて、それに遮られていた筈のロスの身体が、赤いスカーフが露わになっていった。十秒かそこらのうちに、オリオン座に向けられていた親指の爪までが残らず全部消えてなくなってしまった。
ボクは何も言えなかった。だって、突然自分の脚が現れて、それがまた突然消えたのだ。何を言えというんだろう?呼吸の仕方を思い出そうと頑張っているうち、先に動いたのはロスだった。
「これは夢です。全部忘れてください」
そう言って、震える指先でボクの瞼を閉じてしまった。
*
翌朝は酷いものだった。全部忘れろと言った男は何かあった様子を隠そうともしないし、ボクはボクで朝の挨拶もまともにできず盛大に舌を噛んで流血した。パーティ加入二日目のルキに心配されるほどの有様。険悪と言うよりは双方疲れていた上、事態を消化し切れていなかったというところだろう。
もう少し頭の整理がついてからきちんと話を聞こう。そう決めていたのに、「もう少し」には時間が足りなかった。ボクらはその日の昼に投獄されて、ヤヌア・アインという名前の魔族に出会ってしまった。
気付いた時にはもう遅く、事態はボクの手を離れていたということ。物語は一本道の上を滑らかに進み、掌に残ったのはスカーフだけ。投獄されて、恩赦を賜り、脚に違和感を覚えるようになったのはその後だった。
左脚を引き摺っている、とある日ルキに指摘されてしまって、流石に気のせいでは済ませられなくなった。痛みは無かったのだけれど、何というのか、異様に長い気がしていた。こどもの身体には不釣り合いなほどに。
次の街で医者に掛かってみたら、成長期にはよくあることですの一言で片されてしまった。片足だけ妙に伸びるってそんなによくあることなのだろうか。ちょっと首を傾げつつも、とりあえず右側を頼りにして、およそ片足で歩くような日々が続いた。
そのうち膝がみしみし軋むようになり、全身がまともに釣り合った丈に伸びて、左脚のおかしな感じは無くなってしまった。
そのせいで、殆ど忘れていた。
*
家庭教師はいつも酷い。その日はとりわけ辛かった。
拷問と罵倒と嫌がらせのお陰でカリキュラムが全然進まず、双方息を切らしながら時計を見たらなんと日付が変わっていた。いつからそこにあったのか、テーブルの上には置手紙。ルキの筆跡は本人にふさわしく可愛らしい丸文字なのだけれど、書いてある内容が結構辛辣だった。明るくなってからもう一回行くので日が昇るまで勝手にやり合ってろ的な。一度迎えに来て声を掛けたにも関わらず、生き延びようとしたり嬲り殺しにしようとしたりで必死なボクらの耳には届かなかったとか、多分そういうことだろう。そりゃあ怒るわ。
一気に白けてしまって、二人して溜息を吐いた。どうすんの。聞いたらシオンは無言で背を向け、それから人のベッドに潜り込んでしまった。呆気に取られているうちに毛布が引き上げられる。どう見ても寝る気だった。何してんのお前、と言ったら、寝るんですけど、とのお答え。やっぱり見ての通り寝る気だった。
ボクのベッドなんだけど。つまりはオレのものですよね。ジャイアンかよそれ一台しかないんだってば。じゃあ床で寝ればいいじゃないですか。この寒いのに。土下座したら隣空けてあげてもいいですよ。翌朝物言わぬ死体になってるとかそういうオチだろ。
絶望的な遣り取りの末、諦めて床に布団を敷いていたら物凄い舌打ちが飛んできた。やっぱり寝ている間に肉体をあれするつもりだったらしい。鬼かよ。
ランプを消して、主要な臓器を守る為に縮こまりながら、寝た。いつベッドの上から爆発物を投げられるか分からないと思うと気が気じゃなかったけど頑張って寝ようとした。勿論無理だった。
この季節になると、洞窟内部の冷え込みは結構なものがある。煎餅布団で寝ていると猶更、低いところに蓄積された冷気が体の芯まで浸みこんでくるような気がした。何度も何度も寝返りを打っているうちにベッドの上からは微かな寝息が聞こえてきて泣きたくなった。あいつには良心の呵責と言うものがないのか、そう思ったとき、何かおかしな物音がするのに気付いた。
そっと身を起こして耳を澄ました。がさがさ、ごそごそともがいているようなその音は、どうたら勉強机の下あたりから発生しているらしい。シオンの鞄が置いてある辺り。もしかして、鼠か何かが紛れ込んだのだろうかと気になった。
氷みたいな床を歩いて、他人の荷物に手を伸ばした。見つかったら間違いなく楽には死ねないので、持てる全ての慎重さを使いながらチャックを引いた。
そうしたら、中から脚が飛び出した。
裸の脚が一本だけ、小さな鞄の何処に入っていたやら、ぽんと飛び出してきたのだ。そいつはどうやら内側からぼんやりと光っているらしく、真っ暗な中でもはっきりと輪郭を見て取ることが出来た。突然の怪現象に呆気に取られていたら、脚は何故かボクに向かって体当たりを始めてしまったのだった。
大して痛くは無かったけれど本当に意味が分からなかった。「うひょう」だか「おわあ」だかそんな感じの声が出てしまい、シオンが寝ていることを思い出して慌てて口を押えた。
脚。まるごと一本の左脚。異様な事態は初めての出来事では無くて、一年数か月という時間に埋もれていた記憶が一気に鮮やかさを取り戻す。足首を掴んで引っ張り上げて眺めれば、日焼け跡までそのまま。あの夜、ロスがどこからか引っ張り出したボクの左脚に間違いなかった。
ばたばたと往生際悪く足掻く姿が不気味で、思わず握る力を弱めてしまった。そうしたら脚はまんまと逃げ出し、懲りた様子も無くこちらへのダイレクトアタックを再開した。肉も骨も見えない腿の付け根を向けて、只管にボクの左大腿部へと突進を繰り返す。まるで、元の場所にくっ付こうとしているみたいに。
だけど、当然、そんなことは出来やしない。ボクにはきちんと自分の脚が生えているので。十回も同じことを繰り返してから、向こうもやっとそれに気づいたらしく、しゅんと項垂れて小さくなり、動かなくなってしまった。その遣り口には覚えがあって、胸がじくんと痛みを訴えた。ロスにおんぶに抱っこされていたころの、何も出来ないボクそのものだった。
脚はあらゆる意味で何も変わらず、何も成長していなかった。きちんと目を凝らして眺めてみれば、それがどうやら魔法によって形作られているらしいことが分かった。術者は考えるまでもなく一人だけ。彼は何がしたかったのだろうなあ、と思った。三代目魔王ルキメデスに出会って、こどもの手の動きに怯え、左脚を切り出して冷凍保存してしまった男は。
そこでやっと、シオンの左手と左脚が他より濃い肌色をしていることを思い出した。その部分を失って継ぎ直された日、シオンの少年時代は死んだのだった。
漏らした溜息が凍りつく寸前のような色をしているのを見て、また体感気温が下がったのを感じた。怒るのが一番正しい選択肢だというのは分かっていたはずなのに、ボクは何故だか泣きたくなった。
あいつはボクの左脚で歩きたかったんだろうか。左手に紋章を頂いた時からクレアシオンは立ち止まることを許されず、けれど長さの違う脚では上手く進むことすら出来なかったのだろう。片足で歩くこどもはきっと何度も何度も転んだに違いない。ボクみたいに。
擦り傷が治らないままの大人は、あの日、ボクを見て何を思ったのか。タイムリミットの存在を示されて、こどもをやめようとしているボクを目の当たりにしたあの夜に。寒かった。とても寒くてとても寂しかった。
ボクはシオンの勇者になって、あいつの友達になった。その為に強くなったのだからあらゆる意味でハッピーエンドだ。けれど、それ以外はもう無理なのだろう。かつて当然のようにそうであったものに、ボクはもう二度となることが出来ない。
弱くてダメダメで何もできないこどもだったころのボクを、きっとロスは好きだったのだと思う。左脚と一緒に失くした色んなものを好きでいるようにして。切り取られた左脚は二度とボクのものとはならない。あいつの左脚はどこかに消えて、探したって見つかりはしない。少年時代というものは必然的にそういうものであって、だからこそどうしようもなくて、悲しくて、忘れることも許してはくれないのだった。
所在無げな左脚をどうしてやろうか少し悩んで、結局元の鞄に突っ込んだ。おさなごころの断片に多少の魔力を加えれば、それは不気味なパーツから小さな結晶体へと形を変えた。きらきらとした輝きもチャックを閉めれば見えなくなってしまった。
ベッドの上からくしゃみが聞こえた。こちらに背を向けて眠るシオンは、寒さに耳を真っ赤にしている。掛布団の余分は無いが寝具は二組外に出ており、ついでにボクも体が冷え切っていた。このままだと凍えて死んでしまいそうなくらいに。
床に敷かれた布団から毛布と羽毛布団を剥ぎ取って、ベッドの上に更に積み重ねた。隣に身を潜り込ませた振動で目を覚ましたらしい男が何か混乱した声を上げていたけれど、そんなことは気にしていられないほど寒かった。とても寒くてとても寂しかった。
再起不能一歩手前くらいまでボコボコにされたのは翌朝のこと。あんなものを後生大事に抱えている奴に出来るのはその程度だったし、片足でもこどもでも無くなったボクに出来るのも、その程度だった。