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好きですと告げたらひと月待てと言われた。三日で決めろと言ったら二週間が提示され、市場の値引き問答のような茶番と暴行の末猶予期間は十日に決まった。顔面を腫らし血塗れで牢屋に引っ込むアルバは色恋沙汰から最も遠いいきものであり、どうしてあんなもん好きになったのだろうとシオンは頭を抱えたのだった。自問した途端30項目ほどの自答が返ってきたのですぐに考えるのをやめたのだけれど。
「シーたんお疲れ……お疲れ!?何その返り血何人殺してきたの!?」
「いやあオートHP回復って予想以上に手強いもんだな。こっちの拳も疲れた」
「アルバくんどんまいだわー。戦果は?」
「第二形態倒してないからまだお預け」
「大魔王からは逃げられないんじゃないの」
「寧ろ大魔王が逃げた」
「マジかよバグじゃん」
「虫けらみたいなツラしてな」
「それがいいくせにー」
けたけたと笑う様に苛ついて脇腹を小突くと、クレアは大袈裟な声とともにのけぞった。乾き切っていなかった血糊が服にこびり付き、スプラッタが伝染した。
シオンは溜息を吐いた。十日。中途半端な期間は彼の精神に突き刺さっていた。思いを口にした時から家庭教師が立ち去るその瞬間に至るまで、アルバの表情に一切の嫌悪は見当たらなかった。拒絶はおろか戸惑う素振りすら見せないまま、しかし受け入れることもせずに猶予期間を寄越せと言う。真意を測りかねたシオンの胸中には焦りと期待と恐怖が混然一体となって黒く渦巻くものが蔓延り、壁際ハメ技ループコンボが常ならぬキレを見せてしまったのだった。ちなみに死体蹴りもした。
「ま、約束した以上は待つさ」
怒涛の数年間のうちに溜めこんだものを溢れさせたのがシオンの勝手であるならば、差し出されたそれへの応答を決めるのは他ならぬアルバの権利だった。常識と結婚でもしているようなあの勇者が同性からの好意をどのように扱うのか、シオンには分からない。受け止められたとしても捨てられたとしても、それが彼の選択であるのなら甘んじて受け入れるつもりでいた。後者だった場合、受容に相当の苦しみが伴うであろうことは、一応のところ理解はしていた。
*
十日間は溶けるようにして流れて消えた。次元を切り裂く便利アイテムことプラスチックのホイッスルを吹くと、いつものようにルキが穴から現れる。回を重ねるごとに胴の伸縮性が上がっているようだった。腕を上げたなと褒めたら右腕の長さを三倍にされた。違う、そうじゃない。
「アルバさんのとこでいいの?今回は早いんだね」
「抜き打ちテストだよ」
「抜き打ち……抜き打ちなんだ。バレてる気がするけど」
「は?」
「うちの図書館に入り浸って凄い勢いで勉強してたもの」
今回の宿題は質より量といった具合で、魔王城書庫に世話になるような高度な問題は出していないはずだった。首を捻りつつも、シオンはゲートへと飛び込んだ。
洞窟の前でルキに別れを告げ、慣れ親しんだ狭く薄暗い道を行く。冷たい空気に頬を撫でられながら、シオンはじんわりと汗をかいていた。自分を罪人に擬える趣味は無かったが、魂の生殺与奪権は実際に譲り渡されてしまっているのだった。必要以上に大きな足音を立てぬよう気を付けながら、錆びの浮いた格子の前まで辿りついた。ランプの投げる影に気付き、被収監者が顔を上げる。箔押しのハードカバーや朽ちかけた巻物に囲まれたアルバは、寝不足の顔のままちいさく笑って名を呼んだ。
立てつけの悪い扉を引いて、檻の中に身を潜らせる。一歩二歩と距離を詰め、手を伸ばせば触れられるほどのところまで近づいた。アルバは立ち上がり、シオンと視線を合わせた。逃げる素振りは全く無かった。
「約束の十日です」
「そうだね。何とか間に合ってよかった」
何を間に合わせたというのだろう。疑問を口に出すことも、求めた返事を急かすことも出来なかった。アルバの周囲で魔力が励起され、抗う間もなくシオンは光に襲われた。
「……っ!何だこれ、何を、!?」
全身が熱かった。頭の天辺から順繰りに侵され干渉されていく感覚があった。痛みは無かったが、その代わりとしてもあまりに重いものがあらゆる場所を駆け巡った。耳の奥で蠅と虻と蜂が互いの身を喰らい合いながら末期の痙攣を続けていた。
絶叫も出来ないほどの衝撃が過ぎ去り、ホワイトアウトした視界が徐々に色彩を取り戻していった。変わらず目の前にいるアルバは何故か嬉しげに目を輝かせており、シオンは胸にこみ上げる場違い極まりない愛しさを呪った。
「やった!割と不安だったけどちゃんと成功したっぽいね。ボクだってやればできるじゃん!」
「一切の断り無くひとに不安ぶつけてんじゃねえよ引き千切るぞ」
花が咲いたような笑顔、それを支える顎へと渾身のハイキックを叩き込んだ。馬鹿はいつものように吹き飛んで倒れて床に後頭部を強打する――ことは無かった。潰れた蛙の声と共に少々よろめき、それだけで終わった。痛みに顔を歪めながらも、アルバは立ってシオンを見ていた。
何かがおかしかった。体に力が入らない、という訳でも無い。一回り小さくなってしまったような奇妙な虚脱感があり、地を踏みしめる足の裏にすら違和を感じた。間違いなく先ほどの魔法のせいだった。
「……あんた、オレに何したんですか」
「何って、」
その時、ついにシオンは気付いてしまった。身体部位のうち特定の一部分が異様に重い。シオンがシオンである以上そこに比重が割かれるべきではない個所がとても重い。揺れている。これは。
「性転換を」
胸があった。
とりあえず喉目掛けて短剣を投げた。
「うっおあっぶね!やめて動脈あるとこはヤバいから!!」
「お脳に血液行き渡ってないならそこの血管いらないと思いますよ」
「肉体言語の前に話し合おう!?」
「さっさと戻せ」
「無理」
もう一本投げた。至近距離であるにもかかわらずあっさり受け止められ、シオンは舌打ちを零す。その眼光に怯んだようで、アルバは軽く泣いていた。疼く嗜虐心と混乱と怒りはどこまでも加速を続ける。
「その、お前が十日とか言うから男から女に変えるとこまでしか習得できなかったんだってば!リスクは分担しようよ!」
「この状況は想定外の想定外の想定外くらい想定外なんですけどなんでオレがその責任を負わなきゃいけないんです?胸も尻も出るとこ出ちゃいましたねえあなたも出るとこ出ましょうか」
「ほ、法廷は嫌だ」
「黙れ既決囚」
女の腕であっても顔面ストレートは効くらしい。鼻骨を砕く感触が拳に響いたが、飛び散る鼻血もシオンの心を晴らしはしなかった。案の定、即座に回復魔法の光が見えた。
「なんでこんな真似し腐ったんです」
「お前が好きとか言うから」
「お手数ですけど人語で説明して頂いていいですか原生生物が」
「ボク人類だけど!?」
回復が完了したらしく、アルバが身を起こした。言葉を続けようと口を開けたが、流れ込んだ鼻血に噎せたらしく何度か咳き込んだ。囚人服の袖口で顔の下半分を拭った彼は、いささか狼狽えることもなくシオンを見ていた。
「だってさ、魔界でも人間界でも男同士って結婚できないじゃん。法律より性別の方が変えやすそうだなーって思ったから」
「……えーっと」
元青年は眩暈を覚えた。自称人類の操る言語は少々独創的すぎて翻訳に時間と精神力を浪費する。性別を変えたのは結婚するため。結婚。結婚は人生の墓場。いやこれは多分違う。何故結婚する?哲学者になるため?部族社会同士の交流維持を目的とした交換経済の一種?持参金殺人?
嫌な感じの文言が飛び交う中に一つだけ光を見出してしまい、シオンはいっそ途方に暮れた。飛び付いたら負けとすら思えてきたが、そもそも性転換をかましてくる時点でアルバの方が反則負けからの無期限出場停止だろう。自棄だった。
「お断りはされてない、ってことでいいんですかね」
「うん」
本当にあまりにもどうしようもないほどにどうすればいいのか分からなくなったので沈黙していたら、あろうことか全ての元凶に心配されてしまった。大丈夫、どこか痛いの、という不安そうな声に虚ろな返事を投げる。お前のせいで心と頭がとても痛い。これは喜ぶべき場面なのだろうか。話し合いも無しに役割分担決めやがって独裁者か貴様はという文句さえ飲み込み切れたなら、多分。
現実との折り合いが付くに従って、徐々に胸の鼓動が早まっていった。震える手を伸ばして、アルバの頬に触れた。振り払われることは無かった。
「……なんでオレの方取り替えたんです。自分じゃ駄目だったんですか」
恨み言のような、負け惜しみのような声が出た。それがまた癪で、シオンは唇を噛みしめる。アルバは苦笑しながら言った。
「だって、お前がボクを好きなんだろ」
「間違っても女役をやりたいっていう意思表示ではなかったんですが」
「そういうことじゃなくてさー。なんていうんだろ、そうだなあ」
睨みつける赤に突き刺されるのも気にせずに、アルバは優しげに答えた。
「ボクもお前を好きになりたかったから」
脊髄に氷を差しこまれたようだった。血液が逆流し始める音が聞こえ、シオンの世界は色を失くした。
直観に遅れて意味を理解した脳味噌が吼え始めた。殴るしかなかった。どれほど非力にされてしまったとしても、手に力が入らなかったとしても、シオンはアルバを殴らなくてはいけなかった。
捨てないために取り換えてしまうなんて、あんまりではないか。