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冷蔵庫を開けると丸一個のキャベツが目についた。挽肉も買ってあったはずなので、今夜のメインはロールキャベツに決めた。付け合せは何にしようか。
主婦めいた思考を巡らせながら、シオンはひとつ溜息を吐く。
彼が閉じ込められてから二月半ほどが過ぎていた。
*
ある朝目覚めるとシオンは別に毒虫にはなっていなかったが、知らない部屋に寝かされていた。清潔でふかふかの大きなベッド、モノトーンながら温かみのある調度で整えられた寝室。窓からはやわらかな日差しと風が滑り込み薄いレースのカーテンを揺らしている。昨夜の記憶を探ってもこんなところに繋がるものは何一つない、というか夕方あたりで突然途切れている。まさか拉致でもされたのか。混乱と警戒によって一気に目が覚めると同時に、部屋の扉がきいと開いた。ひょこんと顔を出したのはアルバだった。
「あっおはようシオン!大丈夫?吐き気とかしない?」
「吐き気を催させるような真似したわけですかあんたは」
「いやあの、あんまり強くない薬使ったんだけど合う合わないはあるだろうし」
「……次は法廷で会いましょう」
家庭教師という名の地獄を乗り越えたアルバは今や勇者として世界各地で活躍しており、正面から戦いを挑んだところで勝てる見込みは薄い。冷静に状況を判断したシオンは窓から飛び降りようとした。失敗した。
「……は?」
長閑な鳥の声はクリアに響いてくるし網戸だって開いている。それなのに、透明で温度のない何か固いものが存在しているらしく、窓枠の外に出られない。拳を叩きつけてもがつりという音すらせずに衝撃を吸収されてしまった。
「結構強力な結界張ってあるから部屋からは出れないよ」
「傷害罪に加えて誘拐と監禁ですか?どんだけ牢獄が恋しいんですかドン引きです」
「いやだってさ、お前逃げるじゃん」
「この状況で逃げない人間がいるとでも」
「……あ、確かに」
「お医者さんが檻付いた病院探してくれますからねー」
「措置入院しなくて大丈夫だからね!?」
一通り喚いたアルバは部屋の中に入ってきた。背後の扉は開けっ放し。不用心なことだと思ったが、それが却って「部屋から出られない」という言葉を裏付けているようで舌打ちしたくなった。どういう状況なんだこの修羅場は。
「これ。朝ごはん」
差し出されたトレイを見ると、微かに湯気を立てる白パンとバターにサラダ、カットされたオレンジ、それにマグカップに入ったコーヒーが載っていた。彩りの良い朝食もこの状況ではクソの山だ。全く食欲がわかない。
「誘拐犯の出す食事に手ぇつけるわけないでしょう」
「これには薬入ってないよ?」
「そういう問題じゃねえよ」
割と意味不明な上に出来ることが何もなかったので、とりあえずベッドに戻って布団を被って丸まった。かしゃん、と横から軽い音。恐らく部屋の中央にあったローテーブルにトレイを置いたのだろう。待ったところで食わねえっつってんだろ。
嗅がされたおくすりでぐっすり眠ってしまったせいか眠気もどこかに消えている。寝返りを打って薄目を開けると、カウチに腰かけてシオンを眺めていたらしいアルバと目が合った。彼は困ったように眉尻を下げながらも微笑んで見せた。
たまにドアが開く音がして、閉まる音がして、しばらくしてからまた開いて、トレイが置かれる音がする。シオンは昼食も夕食も取らず、時々アルバの表情を盗み見るだけだった。彼はほとんどの時間をシオンの部屋で過ごした。眠るときはカウチに横たわってブランケットを被っていた。
ハンガーストライキが三日目の夕方に差し掛かったとき、先に音を上げたのはアルバの方だった。
「ねえどうしたらご飯食べてくれるの」
「こっから出せって何回言ったと思ってます?」
「それ以外で」
シオンを監禁しはじめたくせに、アルバは自分から何をしようともしなかった。朝が来れば挨拶をしてカーテンを開け、手を付けられもしない食事を日に三度運び、それ以外の大半の時間は部屋で座って本を読んでいる。声をかければ答えるが、自分から話しかけてくることは滅多になかった。そのくせこちらを逃がすつもりはないのだという。目的が全く分からず、怖いだとかを遥かに通り越して滅茶苦茶腹立たしい。
シオンが無表情で沈黙していると、アルバがぽつりと呟いた。
「……家の外に出るのは駄目だけど、中なら歩き回ってもいいから。だからせめて水だけでも飲んで」
根本的解決を図る気が全く見えない妥協案を聞いてぶん殴ってやりたくなったが、何故か泣きそうな顔をしているアルバを見たらそんな気も失せてしまった。現在形の犯罪者のくせしてなんでそんなに弱気なんだこの馬鹿は。喉の渇きと空腹で頭がおかしくなったことにしてシオンが頷くと、彼の勇者はとても嬉しそうに笑った。
夕食はビーフシチューとブレッドだった。いつの間にか置かれていた薄青の花瓶には桃色のユリが一輪ささっている。ぽつぽつと話をしながら、ふたりして顔を突き合わせて食べた。
最近は魔物も大人しくなりはじめていて、アルバもそうそう呼び出されたりはしないらしい。完全にお役御免になったらここで――彼曰く鄙びた農村らしい――学校でも開くつもりでいるという。別に思いつめた風もなく、黒い瞳はくるくると表情豊かに動いたが、シオンをここに閉じ込めた理由を尋ねると言葉を濁してしまう。仕方がないので話題を変えることにした。
「……この食事って勇者さんが作ってるんですか」
「そうだよー。結構いけるだろ」
「道理で乳くせえ味がすると」
「もうすぐ成人するんですけどぉ!?」
「ああもう死刑執行されちゃう歳でしたっけ」
「そういう基準で人の年齢はかるのやめようよ!」
「あははーごちそうさまでしたー」
唇を噛みながらお粗末さまでしたと返すという中々器用な真似をしてアルバが空いた皿を重ねていく。部屋から出ていいと言うなら洗いものをしたところで問題はないだろう。シオンが立ち上がろうとすると、意図を察したアルバが手で制した。
「デザート持ってくるから待ってて」
これは流石に買ったやつだけど、と言って出て行ったアルバは、生クリームを添えたシフォンケーキを持って戻ってきた。シオンが受け取った皿には何故か蝋燭が一本刺さっていた。
*
自由に歩き回るのを許された家は二階建てで、さほど広くはなかったが日当たりが良くなかなか快適な住み心地だった。アルバはたまに依頼を受けて出て行くが、丸一日家を空けるようなことは滅多になかった。日中は買い物に出たりトレーニングしたりしながらもシオンの傍でほとんどの時間を過ごし、話をしたり黙って読書しながら寄り添っていたりする。夕食はダイニングで取り、夜は同じ部屋で眠る。彼がいつもカウチやら床やらで寝るので「ベッドで寝たくないんですか」と尋ねたら、「部屋の大きさ的に二つは入らなかった」と答えられた。自分の部屋があるくせにそこで休む気はないらしい。九割九部冗談と嫌がらせでベッドを半分あけてやったところ、特に躊躇いも見せずに潜り込まれたので逆にシオンが混乱した。残念ながら、監禁ものエロ同人みたいな展開は一切なかったが。
「残念ながらって何だ畜生!」
「うわっシオンどうしたの!?」
「……何でもないです。帰ってたんですか」
「今さっきね」
いつの間にか後ろに立っていたアルバがぱたぱたと駆け寄ってきて、シオンの手元を覗き込んだ。
「ロールキャベツ?食事の用意とかボクがやるからいいって言ってるのに」
「気分転換くらいさせてくださいよ。監禁ストレスで発狂したらどうしてくれるんです」
「軟禁じゃん」
「同じですよ。今日のデザートなんですか」
「ミルクレープ。蝋燭はオレンジだよ」
アルバは毎日ケーキやらプリンやらを買ってきて、それに毎日違う色の蝋燭を立てる。甘いものは好きだからいいのだけれどやはり目的は不明だった。
「あ、そういえばクレアさん来るのって明日だっけ」
「昼過ぎって言ってましたけど」
「了解ー。お茶菓子買ってきといたから。ボク隣町で剣砥いでくるから、ゆっくりしてもらってね」
人のことを閉じ込めたくせに外部との接触を断たないどころか水入らずで楽しんでと言わんばかりだった。本当に何がしたいんだこいつは。
最悪なのは、この意味不明な状況をあっさり受け入れてしまっている自分の精神だった。
*
「――という現状だ」
「ねえシーたんダッシュ二本並べられてもオレ全然分かんない」
「絆で察しろ」
「なんで拳握ってんの!?」
「殴った衝撃で脳に直接叩き込むという高度な魔法だよ」
「マジかよスゲーな!」
「まあ嘘だけど」
「げぶふぉ!?」
テーブル越しにアッパーを決めたらクレアは見事にひっくり返った。床に傷がつくから椅子を倒すのはやめてほしい。腹が立ったので、クレアの紅茶に隠し持っていたハバネロの粉末を混入しておいた。頭を押さえながら座り直した馬鹿は全く気付いた様子がない。
「いてーよシーたん……そしてやはり何も伝わらねーよ……」
「オレが突然この家に閉じ込められ毎日あの人と二人きりで過ごしあの人のためにメシを作り同じベッドで寝ているということだけ押さえとけば大丈夫だ」
「新婚さん?」
「拉致被害者だボケ」
「っていうか現状になんか問題あんの」
「恐ろしいことに一切ない」
「あーじゃーもうよくね?そのままハッピーエンドでいんじゃねーの?」
妙に投げ遣りな言い方に引っかかるものを感じて睨みつけると、クレアの目が見事に泳いだ。
「……何隠してるんだお前」
「いやーあのーここ来たのって二月半くらい前なんだよね?」
「さっさと吐け」
「駄目だ言えねえよアルバくんに怒られちゃうし!」
「お前もグルかクソ野郎」
「痛い痛い痛い小指ピンポイントで狙って足踏み潰さないで!あの、あれだ、多分頼めば村の中くらいは歩き回らせてもらえるししばらくしたら軟禁も終わると思うから!」
「しばらく?」
「えっと……計算間違ってなかったらあと二年半くらい」
謎の期間設定に関してもう少し問い詰めてやろうとしたが、紅茶を一気に飲み干したクレアが激しく咳き込み呼吸困難を起こしてぶっ倒れ、意識の回復を待っているうちにアルバが帰ってきたので不発に終わってしまった。
*
クレアが言った通り、村から出ないという約束をしたところアルバはあっさり外出を許可した。夜には帰ってきてもらえると嬉しい、という命令というよりは懇願を添えて。村人たちには、シオンは病気療養中の親戚だと言ってあるらしかった。
物心ついたころから働いていたせいか、体が自由になるのにぶらぶらしているというのは性に合わない。何か出来ることは、と探して、村に一軒しかない雑貨屋に雇ってもらうことにした。腰を痛めたという年老いた店主は、若い店子を大層喜んでいた。
「あんたフリューリングさんとこの人だろう?あの坊ちゃんにはみんな世話になっとるからなあ」
「……そうなんですか」
「この村にも魔物が出るようになってな。畑が荒らされるようになって困っとったんだけれども、あの子がやっつけてくれたんだよ。まるで勇者さまみたいだったなあ」
まるで、というあたり、この村には勇者アルバの名声は伝わっていないらしい。伝わっていないところをわざわざ選んで引っ越したのか。それでも村人に好かれているというのが彼らしいと思った。
商品の陳列や会計を真面目にこなしていたら、そのうち商品の仕入れや値引き交渉まで任されるようになった。よそから来た若者に熱を上げる村娘たちが頻繁に買い物に来るようになり売り上げも上向いてるようだ。夕食の席で告げても嫉妬の気配も無かったので、別にどうでもよくなってしまったが。
おおいシオン、と名を呼ばれ、彼は帳簿から顔を上げた。そろそろ配達の時間らしい。荷車に積み込む商品の中に、「火気厳禁」の赤い文字が貼り付けられた小ぶりな箱がひとつだけあった。
教会のはす向かいに立つ菓子店に配達に訪れるのは初めてのことだった。シオンが行くまでもなくアルバが毎日何かしら買ってくるので、そういう意味では縁深い店なのだが。
目の届くところに車を置いて店内に声をかけると、恰幅の良い女性が顔を出した。シオンは伝票に従って火気厳禁の箱を手渡す。女店主はにこやかにそれを受け取った後、なぜかこちらの顔をまじまじと見つめ、それから声を立てて笑いだした。なんだこの人。シオンが呆然としていると、彼女はなんとか息を整えて話し始めた。
「いやあごめんね、あんたアルバくんの従兄弟だろ」
「ええ、まあ」
「この箱の中身結局全部あんたのとこに行くのに、本人が配達に来たと思うとなんかおかしくてさ」
箱の中身。伝票には蝋燭と書いてあった。アルバが何故か毎日デザートに突き刺してくるちゃっちい蝋燭が入っているらしいと今になって合点がいった。
財布を開けて代金を取り出しながら、女が続ける。
「いい子を身内に持ったもんだねえ。あんたずっと病気してたんだって?今まで誕生日なんてできなかった分毎日祝ってやりたいだなんてね」
「……え」
初耳だった。それじゃあまさか毎日の食後の甘味は。
「それにしても蝋燭千本っていうのはびっくりしたけど。一日一本ずつにしてもらってもすぐなくなっちゃうわ」
千本。誕生日。アルバに連れ去られた日付。「計算が正しいならあと二年半」。いろんなところに飛び散っていたいろんなものが手を繋ぎ、頭のおかしな一つの答えを指し示した。
シオンは代金を受け取り、先ほどまでの倍の速さで荷車を引き始めた。さっさと配達を終わらせてクレアに手紙を書かなくてはいけなくなった。ふざけんなあの野郎ぶん殴ってから飯奢ってやる。それと、ルキも呼ばなくてはいけない。
*
速達で送った手紙の返信は速達で来た。全ての元凶が親友様だったことも含め、完全にシオンが予想した通りの内容だった。
その日の夕食はカルボナーラスパゲティで、食後にはシュークリームが用意されていた。蝋燭は青。皿を片付けるために立ち上がったアルバは、突然腕を引かれて驚いた顔をした。
「ちょっと座ってください。話があるので」
「え、なんでそんなシリアスっぽい顔してんの」
「シリアスっぽい話するからに決まってんでしょうがド阿呆」
「……まじかー」
叱られるのを待つ子どものような顔で、アルバは椅子に腰かけ直した。どうやらこちらの言わんとすることに見当がついているらしい。話が早いのはいいことだ。
「クレアから聞きましたよ」
「うわあ。全部?」
「一から十まで全部です」
『お前の誕生日に何あげればいいだろうってアルバくんに相談されたんだよ。シーたんのお陰で魔力制御できるようになったしたくさん恩があるから、それこそ眠っててスルーしちゃった千年分まとめて祝えるような何かありませんかーって。そこでオレさ、「アルバくんが一緒にいてあげるのが最高のプレゼントだと思うよ」って答えちゃったんだわ。あとシーたんツンデレ野郎だからちょっと強引なくらいじゃないと受け取って貰えないかもって。サプライズも勧めたかもしんない。そしたらアルバくん、「分かりました誕生日千回分一緒にいます」ってにこにこしながら言ってたの。よく分からないまま頑張れよーって送りだしたらシーたん誕生日の夕方に拉致されちゃってたマジごめん』
馬鹿か。
シオンの感想はこの一言に尽きた。
「突っ込みしかできないクソ勇者がボケの領分に手を出すからこんな意味不明な事態に陥るんです。内臓とか搔き出しながら反省してください」
「血なまぐさっ!」
「反省してください」
「ご、ごめんなさい……」
アルバは面白いほどに項垂れて見せた。表情を消すのに必死でテーブルの下の右手に力が入る。握りしめられた紙が小さく音を立てた。
「5か月もオレのこと閉じ込めて楽しかったですか?」
「いや、あの、割と」
「へー。楽しかったんだー」
「そうだよ楽しかったよ!っていうかお前だってまんざらでもなさそうだったじゃん!」
「逆切れですかドン引きです」
「ううう申し訳ありません……」
「……こんな気の狂ったマネしといて、『千年の誕生日分』が終わったらどうするつもりだったんですか」
「ちゃんと外に出すつもりでした」
「ふうん。オレの純情弄んどいてたった三年弱で捨てる気でいた訳ですね」
「すっごい人聞きが悪いんだけど」
「傷ついたんで責任取ってください」
「あー……また檻の中かあ……」
「監獄のプロを家に帰してやったところで何のダメージにもならないしその程度じゃオレの心の傷は癒えません。もっと身を粉にして償ってくださいよ」
「えっ何奴隷にでもされるのボク」
「似たようなもんです」
少し皴になった紙を卓上に出し、彼の方に向きを直す。魔界の文字で書かれた書類の名称を何度も何度も読み返してから、アルバは途方に暮れたような顔でシオンを見た。
「ごめんなんか視神経がネズミ的なものに齧られてたっぽいんだけど病院行ってきていい?」
「まさかとは思いますがこの『ネズミ』とはあなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか」
「目の前の紙の方が狂気を帯びてるんだけど!?婚姻届としか読めないけど色々おかしくない!?」
「凄いですね!そんな難しい字が読めるなんてまるで脳味噌入ってるみたい!」
「直喩部分いらねえよ!っていうか何なのこれお前ボクのこと好きなの!?」
「はい」
きゃんきゃん吠えていたアルバはその一言で一瞬にして停止した。シオンはついに噴き出した。鈍すぎだクソ野郎面白いツラしてんじゃねえよ。
「オレを閉じ込めたくせにすぐ放り出す気でいたことへの賠償と、あと残り約850年分の誕生祝いで丁度いいでしょう。あんたください」
無の状態から徐々に回復し始めたアルバが、あ、だかう、だか切れ切れに唸っている。これは多分押してればそのうち流されて落ちるだろう、この人が恋愛に免疫のない馬鹿で本当に良かった。シオンは笑い続ける。
この檻から2年8ヶ月と25日なんて僅かな時間で出てやるつもりはなかったし、出してやるつもりもなかった。