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あんぱんの海で溺れていた。
茶色の肌の光沢も眩しく上に乗ったゴマの香ばしい香りをばらまきながら、数えるのも馬鹿らしくなるほどの大量のあんぱんがあんぱんがあんぱんが視界を埋め尽くしていて、視界の外の妙な柔らかさも多分あんぱんで、むしろ溢れかえるあんぱんに圧迫されて身動きが取れなくて狭いし息苦しいし非常に暑いし割と絶望的な気分だった。しかもあんぱん共はただその存在によって早すぎた埋葬を気取るのみならず、アルバの聴覚まで侵しつくそうとしているらしい。曰く、「ボクの顔をお食べ」。四方八方から大音響3Dサラウンドで連呼されるが丸いあんぱんのどこが顔でどこが体なのか分からない。混乱していると、目の前のあんぱんがめきめきという音を立てて目玉を生やしはじめた。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。チョコで描いたようなかわいらしいのではなく解剖学の教科書に載っているような見事な、しかもちょっと血走った眼球がふたつリクエストにこたえるかのようにして現れたはいいが、残念ながら瞼は作ってくれなかったために見事なまでにグロ注意。口も同じ感じでばりばり出来上がっていくものの、こちらも唇がなく健康的な白い歯とピンクの歯茎剥き出しだった。忘れ物多すぎだよドジっ子かよ全く可愛くねえよ完全なホラーだよ。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。悲しいことに最初のいっこが百匹目のお猿さん的な何かだったらしく、「顔」が完成すると同時に他のあんぱんどもも一斉に同様の超変身を開始してしまった。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。ボクの顔をお食べ。滅茶苦茶気持ち悪いがなんせ溺れているので逃げ出せもしない。
このままだとアンパン食わされて死ぬマンになりかねない。アルバが怯えていると、突然上の方から白い手が生えてきて首根っこを引っ掴まれた。そして、有無を言わさずに苦しく恐ろしい海の外に引っ張り上げられてしまった。
*
アルバが目を開けると、すぐそこにシオンの顔があった。というか何故か鼻を摘まれ口を塞がれていた。息出来ねえ。なにこれ。とりあえず手首を掴んで外すと思い切り舌打ちされた。
「え……あれ、あの、今日カテキョじゃないよね」
「ご挨拶がそれですかコミュ障め」
檻の中は薄暗く、枕元のランプだけが頼りなげに光を投げかけている。身を起こして時計を見ると一時半を指しているわけだから見事に深夜だしおはようにしても早すぎるし寧ろなんでシオンがいるのだろう。アルバが困惑していると、水の入ったコップが手渡された。
「どうぞ」
「……何混ぜたの微妙に甘い匂いするんだけど」
「クロロホルム嗅がせると後遺症の危険があるからっていうオレの気遣いです」
「睡眠薬!?」
「そーれ一気一気」
「むぐうっ!!」
後頭部を固定されて無理やり口の中に液体を流し込まれた。どばどばと侵入してくる非合法くさいブツは気管にまで入り込む。溺死の危険を感じたアルバが思い切り払いのけると、シオンの手を離れたコップは床に転がって割れ、残った中身をぶちまけた。辛うじて飲みこまずにいたものを咳き込みながら吐きだす。シオンはまた舌打ちをした。
「なんで叩き起こしといてもっかい昏睡させようとしてくんの意味わかんないよ!?」
「魘されていたので」
「え、あ、ありがと」
あの気色悪い悪夢から救い出してくれたのはこいつだったのかーという感動で一瞬流されかけたアルバだったが、相手があからさまに馬鹿にした様子で鼻を鳴らしたので正気に戻った。良く考えなくても再び意識落とそうとしたことの説明には全くなっていない。あんまりよろしくない予感がする。
「ねえシオンその手に持ったバールのようなものは何かな」
「バールのようなものじゃないですバールです」
「どっちでもいいよ!?」
「よくありませんバールはバール社の商標ですから。他社がこの名前で売り出すと裁判沙汰です」
「ありがとうまた一つ賢くなったわそれでその鉄筋入った壁もぶち壊す凶器でお前は何をしようとしてるんだろう」
「文脈読んでくださいよー」
「うわぁい!!」
アルバは反射的に身を躱す。振り下ろした一撃でベッドが砕けた。
「なんで避けるんです。片付ける人間の気持ち考えたらどうなんですか」
「お前は寝起きに撲殺されそうになる人間の気持ちを考えて!?」
「仕方ないでしょうあんた無駄に頑丈なんだから」
「ら」の音で第二撃が襲う。いやらしいフェイントまで混ぜてきたのでアルバは前髪を何本か持って行かれた。元勇者さまは割と本気らしい。冷や汗が止まらない。
「ほんとに何なのお前!?偽物とかじゃないよね!?」
「見事な節穴アイですね!抉って捨てちまえ」
「うん間違いなく本人だわ」
避けても避けても次の攻撃が襲い掛かり、寝起きのアルバはついに壁際まで追い詰められてしまった。後がない。魔法にでも頼らないと死ぬか死ぬよりひどいことになりかねない。やばい。
「ほーう攻撃魔法ですか。このオレに何ぶっ放そうっていうんです」
「とりあえずお前と距離とれるよなものだよ!」
「そんなに嫌ですか」
嫌に決まってんだろ馬鹿野郎と叫ぼうとしたが、出来なかった。その言葉にはどこか縋るような響きがあった。
「……アルバさん」
よく分からない様々なものが絡まった声に気を取られた一瞬で距離を詰められ、まずいと思った時には頭部に滅茶苦茶重い衝撃を感じていた。一気に暗くなる視界と薄れる意識の中、最後に聞いた言葉は「あっやべえ出ちゃった」。何が出たんだよ聞きたくないけど!
*
ごりごりごりごりという全身に響く振動があった。アルバが目を覚ましたそこは狭く息苦しく真っ暗でついでに折りたたまれた体と頭が痛かったが、幸いなことに顔の付いたあんぱんは居なかった。ごりごりごり。たまにがたんと大きな衝撃が走り、空間全体が揺れる。唯一動かす余地のある手でまさぐると、アルバを閉じ込める壁はぬるいプラスチックのようなもので出来ているのが分かった。一部だけ細長い布とざらついた金属質な感触。ああこれキャーリーケースに詰められて運搬されてるわ。
疲れ果て、喚きたてる気も起きなかった。このまま山にでも埋められるのかもしれなかったが、多分死にはしないから土掘って這い上がればいいだけの話だ。時計がなく周囲の景色を確かめる術も無いけれど今は恐らく朝だ。気分がとっても重いから。
突然振動が止み、狭い空間が傾いた。というか多分動きが止まってキャリーケースが真っ直ぐに立ったのだろう。こんこん、と外側から箱を叩く音がする。なんだろうと思っていると、しばらく間を置いてまた叩かれた。もしかしてノックか。入ってるに決まってんだろ畜生。アルバがノックを返すと、じいいい、という音がして頭の上からだんだんと光が広がっていった。ジッパーが開けられ、新鮮な空気が流れ込み始めた。
「おはようございます勇者さん。ひでえツラですね」
「誰のせいだよ」
「誰のせいなんです?」
「言わなきゃ分かんないのかよ……」
中途半端に開いたケースの外から覗き込む赤い目は笑っているようでもあり、別の何かが混ざっているようにも見えた。
一瞬光が消え、なんだなんだと思っていると急に横倒しにされる。ジッパーが勢いよく進む音がして、今度は蓋が完全に開いた。シオンは右手でアルバを引き起こし、水筒を手渡した。
「飲みものです。酔うとアレなので固形物は我慢してください」
「ボクまだ運搬されるの……?」
「はい。隠蔽用の封魔符が空間にしか効かないので」
「逃げていい?」
「駄目です」
アルバはまだ空間転移を使えない。樹木が生い茂り鳥の鳴き声と生き物の気配に満ちた森はどうやら魔界のようだったがそれ以上のことはまるで分からず、シオンとの鬼ごっこに勝てる保証もなければ帰り道も定かではなかった。仕方がないので、おふだがべたべた張られた黒いキャリーケースに座って水筒の蓋を開ける。中身は冷たい紅茶だった。
「ほんとにひどい顔ですよね」
「ボクもイケメンに生まれたかったよ」
「……ちゃんと飯食ってんですか」
「ぼちぼち」
暴行犯兼誘拐犯に体調を心配されるというのは割とよく分からない状況だった。ぼんやり景色を見ていると、シオンが髪に手を突っ込んできた。少々驚いてそちらに目をやった。彼はなんとも言えないような顔をしていて、そのままアルバの頭をぐしゃぐしゃとかき回し始めた。犬にでもなったような気分で目を閉じる。割と気持ちが良かった。
「でろでろも出てないしたんこぶもありません。凄まじい回復力ですね」
「魔力さまさまだよホント」
「本気で言ってるんですか、それ」
「半分くらいはね」
「……殴りますね」
急に離れていった手に名残惜しさのようなものを感じていると、また頭に衝撃。バールすごいや!
夢を見れば悪夢で毎日昼過ぎまで体が重くて、ついでに家庭教師には殴られて詰められて運ばれる。ボク何か悪いことしましたか、という内心の問いには当然答える者もいないまま、アルバの意識はまた闇に呑まれた。
*
「起きてください」
揺り動かす手は冷たくて、きっと夢の中と同じ色をしている。右肩に置かれた掌に自分の左手を重ねると一瞬動きが止まり、そのあと手の甲を思い切り抓られた。
「いでででで!」
「寝ぎたない男は嫌われますよ」
「強制的に寝かしつけた男が何言ってんだ!」
「エンジンかかったらかかったでやかましいんですけど」
頭をはたかれ、ぐきりと音がしそうな勢いで首を横に向けられた。尚も言い募ろうとしたアルバは、眼前に広がる景色に言葉を全て奪われてしまった。
海だった。
真っ赤に燃える夕日がどこまでも広がるわだつみに抱かれながら、その莫大なひかりで海面に炎の色の輝きを投げかける。二人が佇む崖の上からは、白い砂浜の端と、空と海の全てが橙に染め上げられる様がよく見えた。潮のにおいを孕んだ風ときいきい鳴く海猫の声は薄まったり濃くなったりを繰り返しながら、遮るものないこの世界の際限ない広さを伝えているようだった。
「……すっご」
「半年ぶりの娑婆の空気はいかがです?」
「悪くはない、かも」
「あのジメッとした洞窟に引きこもってればそりゃ具合も悪くなりますって」
「知ってたの?」
「気付かない方がおかしいですよ」
「はは、ありがと」
アルバは誘拐犯を見た。夕日を頬に受けたシオンはまなざしを揺らすこともせず、じっとアルバを眺めていた。沈黙も波音に洗われてなにか綺麗なものに変わっていくような気がした。すかすかと心に空いていたちいさな穴たちが温かい液体で埋め立てられていく。アルバは軽く笑って、わざと深刻ぶった口調で告げた。
「気分障害に苦しむ人間に夕日見せるのってよくないらしいよ」
「大笑いしてやりますから泣きついていいんですよ?」
「ストックホルム症候群じゃあるまいし。なんでルキとかヤヌアさんに頼んでくれなかったの」
「言わなきゃ分かりませんか」
「言ってくれないんだ」
「はい」
回りくどすぎる優しさと面倒くさい独占欲にどう答えればいいのかよく分からなかったので、アルバはとりあえず彼の白い手を引いて、そっと唇を合わせた。至近距離で赤い目が瞬き、黒く長い睫毛が幽かな風を起こす。自由な方の手で鳩尾を殴られ、怯んだ隙に舌を入れられた。
日はゆっくりと暮れていく。溺れているような気がした。