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ボクらは最初からボクらであって、それ以外のものだったころのことは覚えていない。だからボクらは自分たちをボクらと呼び、ひと時も分かたれることなく寄り添いあって生きていた。
「アルたん」と呼ばれたらボクらのどちらかが、あるいは両方が返事をして、お使いを頼まれれば二人で一緒に八百屋を目指した。一人が右手で買い物かごを、もう一人が左手でメモを握りしめる。空いた二本の手はしっかりと繋いで歩いていた。
「ようアルバくん、今日はなにがご入用だい」
腕にもじゃもじゃの毛を生やしたおじさんはいつだって笑っている。ボクらは一方でメモを読み上げ、もう一方で黙ってかごを差し出した。人参二本、玉ねぎとじゃがいもが三つずつ、あとはキャベツをまるごとひとつ。お金を払って、挨拶してから店を出て、一番手前の十字路を右に曲がった。今夜はカレーだから、次はお肉屋さんに行かなくちゃいけない。ボクらの足音は僅かなずれもなく一致していて、たった一人分であるかのように石畳を打ちつづけた。
ボクらは完全に重なり合っていた。鏡面を隔てる必要すらないほど近くにいたから、いつだってまったく同じことを考えていて、だからボクらの間に言葉は必要なかった。いつだって世界は静かだった。ボクらはボクらで満たされていた。
「ねえアルバくん、明日お昼食べに来ない」
ぼんやり歩いていると、花屋の子に声をかけられた。大輪のヒマワリが我が物顔で店先を占拠していて、百合や小ぶりなバラや名前も知らない色とりどりの花はその陰に隠れるようにしてバケツに突き刺さっていた。ペンキの剥げかかった椅子で足をぶらつかせる彼女は、どうやら店番を頼まれているらしい。可愛らしく小首をかしげて見せると、二つに結った金髪がきらきら光りながらふわりと揺れた。彼女の新しいお母さんは都会から来た人で、だからというわけでもないだろうけれどボクらのことを名前ではなく「あれ」という単数形の指示語で呼び、頑なに目を合わせようとはしない。そういう人と一緒にいたらなんだか疲れてしまうし、何より彼女のやり方ではお母さんには何も伝えることはできないだろうと思う。だからボクらは少し笑って、ありがとう、でもちょっと予定がね、と答えた。彼女は残念そうなのに妙に安心して見える表情でボクらに手を振った。お母さんと上手くいくといいね、とボクらは心の中でだけ呟いた。
買い物を終え、ボクらは家に帰る。町はずれの赤い屋根の家は大きな前庭がついていてたくさんの植物が植えてあるけれど、ボクらが見てそれと分かるのは変な雄蕊と雌蕊のトケイソウくらいだ。手入れが間に合わなくて好き勝手伸びている何かの蔦をかき分けて、突然飛び出してくる蜂やら虻やらを追っ払いながら、古びた木戸へと歩いて行く。母さんの待つ我が家へと。
母さんが付け合せのサラダにドレッシングをかけている間に、ボクらはテーブルに皿を並べる。四角い卓の一片だけを空けて、三枚。母さんの分はご飯を少なめに盛る。ボクらは母さんの隣に座って、ひとり分を二人で分け合う。母さんの向かい側の皿は空だ。ボクらが物心ついてからずっと。
だんだん回数は減っているけど、母さんは夜になると時々泣く。ごめんね、アルたんたちがいてくれるから寂しくないはずなのにね、と言って、ボクらに謝りながら目を真っ赤にして顔を隠してしまう。二人いることになっているくせにボクらはうまく慰めることすらできず、温めたミルクをマグカップに注いで渡し、自分の部屋に引っ込む。そして、ひとつのベッドでひとつのぬいぐるみを抱いて、二人で眠る。
朝が来ると、母さんはいつも通り微笑みながら卵焼きを作っている。
*
お城からダイレクトメールみたいな胡散臭い手紙が届いて、なにやら高貴な血筋だったらしいボクらは勇者ナンバー45番を手に入れた。ペアになった戦士はとてもとんがった雰囲気の人で、花屋の女将さんと同じ冷ややかな、異国の動物に向けるような目でボクらを見た。ボクらはそういう扱いに慣れているはずだったのに、どうしたことか今回ばかりは耐え切れなかった。そこで、二人のボクらはひとりしかいない振りをすることにした。
そうまでして戦士の顔色を窺いに行ったのは、あまりイラつかせると命の危険につながるせいだろうか。多分違う。ボクらは即座に否定した。機嫌が悪ければ確かにとてもひどい嫌がらせを受けるが、良ければ良いで今度は凄くヤバい嫌がらせを受けるのだ。じゃあなんで。もしかしたら戦士の瞳があまりに赤いせいかもしれなかった。
魔王を倒すために旅に出て、ボクらは自分たちが物凄く弱いということに気が付いた。スライムに負け、お化けりんごに負け、ニセパンダに負け、後ろからこちらの脇腹を狙う同行者に半殺しにされ。最後が特に深刻だった。ボクらはしょっちゅう地面と仲良くする破目になり、味方のはずの戦士は綺麗な顔を嫌な感じに歪めてボクらを見ていた。このままじゃ埒が明かないと気付いたボクらは、役割分担をすることにした。それしか方法がなくて、そしてボクらにはそれができたから。
ねとねとした一撃をボクらの一方がアバラに受けて、もう一方が一本しかない剣を振るって反撃する。痛いのは嫌だったけれど、ふたりしていっぺんに殴られていっぺんに倒れるより遥かにマシだ。何度か殴られて何度か斬りつけてを繰り返していたら、スライムは粘液を置き土産に消え失せた。勝ったのだ、と気付くまでに十秒ほどかかり、気付いた瞬間に後ろから頭をぶん殴られた。
「いだひ……」
「ばかばか攻撃受け過ぎです。マゾなんですかあなたは」
正直スライムにべしべしされるより今の一撃の方がダメージが大きかった気がする。加害者こと戦士はボクらの腕を引っ掴み、ずるずると荷物みたいに引き摺って行った。きらきらと梢から陽光の落ちかかる木陰で、ボクらは湿布の冷たさと包帯の締め付けを感じ、同時に少し離れたところからじっと二人を眺めていた。
*
役割分担は戦士が消えてしまってからもずっと続いた。一方が戦い、もう一方が攻撃を引き受ける。
街から依頼を受けて洞窟の魔物を退治しに行くと、奥で待ち構えていたのは血走った巨大な目玉に五本の触手を生やしたバケモノだった。ボクらはおそらく眼球そのものが弱点だろうと当たりをつけて剣を抜いたが、同時にその異様な姿に恐怖を覚え、脚がすくんでしまった。血管の浮いた触手が、ボクらの喉目掛けてうねりながら襲い掛かってくる。どうしよう死ぬぞこれ、と思っていたら、視界が急に暗くなって、気付いたら少し離れたところにしゃがみこんでいた。一瞬遅れてアバラが痛む。ゲートのおかげで九死に一生を得たらしかった。
「ありがとルキ……って額!血出てるよ!?」
「走って転んだだけだから大丈夫!それよりモンスターに集中して!」
また伸びてきた触手を今度は斬り落とし、ボクらは目玉との距離を詰めた。敵はどこにあるのかよくわからない口で泣き喚きながら、緑の血を撒き散らしている。
ルキが怪我をしたのはボクらのせいだ。戦闘に巻き込みたくなくて、少し離れたところで待っているように言ったから。ゲートの展開可能範囲から外れた場所にボクらがいたせいで、彼女は視界も足場も最悪な洞窟の中を走らなくてはいけなくなってしまった。
ボクらの一方が触手の猛攻を抜けて目玉に剣を突き刺し、もう一方は唇を噛んで俯いている。二人分の体は重く、望んだようには素早く動けないのだと理解した。この時初めて、ボクらはボクらであることを疎ましく思った。
ボクらにとって互いの姿を見つめることと鏡を見ることは同義だったはずなのに、いつの間にかその二つの間にはズレが生まれ始めていた。ボクらの一方の背が伸び、剣を振るう速さが増してきているのに、もう一方はいつでも傷だらけでちびのままだった。そしてボクらは互いに嫉妬するようになった。一方は傷薬を塗るあの手の温度を知らず、もう一方はいなくなってしまった人のために戦うことが出来なかったから。前を見据えて走る方と怯えてうずくまる方、早く見つけねばと焦る方とどうして見つからないと嘆く方。単純に二倍だったボクらの中にどんどん偏りが生まれていった。それでもボクらは互いの全てを残さず知っていて、決して分かたれることがないと信じて互いにしがみ付きあいながら、そうではなくなってしまえばいいと泣いていた。
だからこそボクらはボクらのままだった。
*
あり得ないような諸々の連続に巻き込まれるようにして、別れは密やかに訪れた。
ボクらはロスと再会し、魔王に剣を向け、それから真っ白などこかに飛ばされた。そこでルキのお母さんにたまたま出会ったのだけれど、彼女は偶然にも巨大な魔力の塊を持っていて、どうしたことかそれをこちらに突っ込んでしまった。ボクらの体がびかびかと、取り返しのつかない感じに光る。けれど、魔王と勇者ふたりぶんの魔力は、ボクらのふたりぶんには足りなかった。
ボクらは互いを見つめる。これが最後になるのだと、その時にはもうふたりとも知っていた。ここから先はひとりしか行けないのだ。二人分の体は重く、行くべきところに辿りつけなくて、手を繋いだまま剣を持てば他のものを掴めない。そうしなくてはいけないから、そうするしかないのだ。
ボクらはただ、寸分のずれもない頷きを交わした。それから一方が光に飛び込んで、もう一方はすぐ傍からじっと眺めていた。
光が止むと、ボクらは最早重なることが出来ないほどの別物になり果てていた。触れ合うだけでは伝わらなくて、瞬きだけでは通じ合えなくて、だからボクらは初めて言葉を紡ぐ。
「さよなら」
「さよなら」
その言葉は、ごめんね、とも、寂しいよ、とも、ひどいよ、とも聞こえた。ボクらはボクと彼になって、彼は泣いていて、ボクも泣きそうだった。ボクと彼は一度だけくちづけを交わしてから身を離した。ボクは彼を少しだけ嫌いで、妬ましいと思っていて、とてもとても好きだった。それでも行かなくてはいけなかった。彼よりも、ボクよりも大事な人の手を取るために。
「アルバくん、大丈夫?」
宙を見つめて押し黙っているボクに、ルキのお母さんが不安げな声を投げかける。大丈夫です、と答えてボクは振り向く。しゃがみこんだままの彼に背を向ける。歩き出す。永遠に戻らない場所に、ボクらと呼んだ片割れを取り残して。
彼がどんな顔をしているのかはもう分からなかったし、振り向いたとしてもそこには誰もいなかったのだろう。
こうしてボクはボクの弱さを見捨て、ボクらの少年時代は静かに死んだ。