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「あっそうだ勇者さん、取り急ぎ子宮つくってください」
悪意の塊こと家庭教師のシオンさんがそうのたまったのは、授業が一段落して茶を淹れている時だった。それまでは次回来訪の予定やら宿題のページ数やらについて確認していたので唐突な話題のフリーフォールについて行けず、アルバは一瞬呆けた。は?
「ごめん何言ってるか全くわかんないんだけど」
「カマトトぶりやがって可愛さアピールですか。はいはいかわいいかわいい」
「ねえシオンどうしたの暑さで脳味噌煮えた?」
「上目遣いですかいくら欲しいんです」
金はいらないので通訳が欲しい。一体どうしたんだこいつ?発言は死球一直線なのに表情はいつも通りなので更に意図が読めなかった。ていうか子宮?何が?なんで?
「だってあなた男ですし子ども産む器官ないでしょう。それなら設置しなくては」
「必要ないからついてないんだと思うんだけど!?」
「無くてもイケると。アレですか耳が孕むとかそういうやつですか?内耳に新しい命宿して鼓膜ぶち破って生まれるって物凄いスプラッタですよね!」
「お願いだから病院行こう!?早期発見が大事って言うじゃん!」
「早期より臓器を発見したいです!」
「もうやめて!!」
鋭角で抉りこんでくるタイプのコミュニケーション障害は一撃一撃がとても重かった。向こうの攻撃力が高すぎて突っ込みのスペックが追いつかない危険性すらある。早急に医者か芸人を召喚しないと殺されるかもしれない。
「仕方ないですね譲歩しますよ。尻貸してください」
「何をどう譲って歩み寄った」
「勇者さんの性別とか」
「それお前に決定権ないからね!?」
「……え!?」
「何その驚愕の新事実みたいな顔!」
「誤解です」
「そうだよね知ってたよね」
「あなたが何かに対して決定権持ってるわけないじゃないですか」
「そっちかー……」
「じゃあ口でいいですね」と言われ、アルバは全力で首を横に振った。本当にシオンさんはどこの国の言葉を喋っていやがるのだろう。「じゃあ」の用法ってそれでいいんだっけ。口で何するの自明じゃない述語略したら意味が分からないしあと分かりたくない。ついでになんで念押しみたいな語尾なんだ。こっち一切承諾してないのに。
「ほんとに何があったのお前……悪い魔女とかに洗脳でもされたの?クレアさんまた人質に取られた?」
「そうポンポン大事件起こるわけないでしょうファンタジーやメルヘンじゃあないんだから」
「おい伝説の勇者」
じゃあこの状況は何なのだろう。食中毒でも起こして幻覚が見えてるのだろうか?それともホラー?顔面に向かって発射されるロケット花火と言い海を成す宿題と言い夏の風物詩はアルバに絶望しか運んでこない。早く秋になあれと祈りかけたが、季節が移り変わるまで今の状態が続いたら精神的に死ぬということに気付いてやめた。泣きそうだった。
打ちひしがれていると突然右の手首を掴まれ、親指の腹に鋭い痛みを感じた。というか皮を噛みちぎられて出血した。そして、そのまま勉強机の前まで引きずり出される。手から離れたマグカップが床で砕けた。
「ねえ何してんの!?」
「拇印も血判も大体一緒ですから大丈夫です」
「ボク何に捺印させられるの臓器売買契約とかしないよ!?」
「やだなあそんな物騒なもんじゃありませんよ」
シオンはどこからか用紙を取り出し、机の上に置いた。
婚姻届。
「うおおおおお!?」
自由になる方の手で思い切り薙ぎ払った。汗と涙とたまに血の染み込んだ教科書類がばさばさと床に落ちたが構ってはいられない。今は紙より身が大事だった。
「何これ結婚詐欺?うち別に遺産とかないよ?あと夫となる人の欄にお前の名前見えたんだけど気のせいだよね!?」
「そこに気付くとはお目が高い」
「褒める前に悔い改めろよ!!」
息が切れていた。アイデンティティの八割を突っ込みに占められている勇者といえど、流石に限界が近い。このまま押し切られたらどうなるんだろう最近の闇金さんは何湾に沈めるのがトレンドなんだろうか。アルバが己の輝かしい未来に思いを馳せていると、耳の後ろあたりから重い溜息が聞こえた。
「……嫌ですか」
「い、嫌に決まってんだろ」
先ほどまでとは打って変わった静かな呟きにアルバは少しばかり狼狽えた。まるで傷ついているかのような声で、シオンは続ける。
「勇者さん、返報性の原理って知ってます?」
「え?」
「人は相手に施されたら報いなければと思うし、譲歩されたら自分も譲歩しなければならないと感じるんです。高いツボを勧められて断ったクレアが、続いて見せられた比較的低額の数珠を買いオレにぶちのめされたように」
「クレアさん何してんだ……」
「それなのにあんたは5回も連続で断り続け、オレの鼻先で扉を閉めるような真似を繰り返しているわけですよね?」
「えーっと」
「あなたには人の心がないんですか!?人権無いのは知ってましたけど!」
「どっちもあるよ!?」
なんでボク責められてるんだろう、とアルバは思った。発狂したとしか思えない申し込みの数々にオッケー出す奴がいたらそれこそ人間じゃないだろう。あとお断り回数のカウントがおかしいのは気のせいなのだろうか。
「ていうかそもそもお前の目的は何なんだよ」
「返報」
「だってまず譲歩先がおかしいよね!?何でボクの人生迷子になりそうなのばっかなの!?」
「すみません迷路より牢獄派ですもんね!」
「そこじゃねえよ自由は欲しいわ!」
「死せる餓狼の?」
「生きるから!!」
そもそも色々と段取りが間違っているというか完全に逆回しではないか。数珠が無くてもツボは買えるが気持ちが無いのに尻を貸せは明らかにおかしいだろうさっさと現代の価値観に適応してくれ古代人めそんなんじゃこれからやってけないぞどうすんだ!勇者の心には、友情と義務感めいた何かがこんこんと湧きあがりはじめていた。祈ったところで何も変わらないし戦わなければ生き残れない。手首を掴んだままの腕を振り払い、アルバは背後のシオンに向き直った。生きねば。
「こういうのには順番があんの!まずこう!」
突然の抵抗によろめく彼の右腕を、今度はアルバが引いた。しろい面には虚を突かれたような表情が広がった。
「ちゃんと相手の目を見て!」
勢い余ってつんのめってきたシオンを抱きとめ、その目を覗き込む。足音。円く瞠られた赤い瞳は燃えるように揺らめいている。なんで顔はいいくせに中身はあんなんなんだよ畜生ばーか!!
「好きです、」
「シーたん遅いよーどした、の……」
って言わなきゃ駄目なんだよ!という残りの言葉は喉に詰まってアルバを窒息死させた。精神的に。自分の状況を客観視できるようになるにつれ、凄い勢いで血の気が引いていった。今なら一切の処置なく自然体のままミイラになれる気がした。腕の中からは研ぎ澄まされた殺意を感じる。
格子戸から顔を覗かせたクレアが、シオンを抱きしめながら愛の告白をするアルバを呆然と見つめていた。
***
「えっと、シーたん、おめでとうでいいの?旅立ちのプロポーズお断りは取り戻せたんだよね?」
「ああ」
「その割になんかシャイニングみたいな顔になってっけど」
「知り合い全員にさり気なくかつ迅速に情報を広めるにはどうすればいいかと思って」
「なんで情報工作すんの?」
「NOとは言えない環境づくりだよ」
「マジかよスゲーな!!」