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地平線の彼方に太陽が消えると、魔界の空には早々に別の光が昇り始めた。月が綺麗ですねとかほざいてる余裕はなかったわけだが。
轟々と音を立てて火が燃えている。燃料も無いのに衰える気配を見せない魔力の炎は焚火というにはあまりに規模が大きく、お前はひとりでキャンプファイヤーでもする気なのかと叫びたくなるほどだった。残念ながら猿轡を噛まされたアルバには突っ込むどころか満足に助けを求めることすらできないのだけれど。ついでに後ろ手に縛られた上、足首も一まとめにされて転がされていた。
「よっこらせ」
長さ三メートルはあろうかという巨大な木杭を放り出したボロボロマントマンは、アルバの脳内で行われた色々な推論と消去法によって勇者クレアシオンその人ということになってしまった。若干若かったり墓から蘇りたてほやほやみたいな窶れっぷりだったりと細かな相違はあるもののどこぞの家庭教師さまと同じ顔をしていたので。あの男の顔を脳裏に浮かべた途端背筋に嫌な震えが走った。時を駆けるレベルで魔法を大失敗させてしまったため、戻ったら間違いなくぶっ殺される。「筋張った肉は火を通す前によく叩いとくと美味しくなるんですよー」とか素敵な奥さん的なことを言いつつやたらでかいミートハンマーで柔らかくなるまで百叩きだろう。ちなみにこのまま戻れなかったら欠食児童の手によって串刺しの後姿焼きにされる予定。どう足掻いても同一人物の手にかかることになるあたりそろそろ運命を感じそうだった。
世間の荒波に呑まれた時に身に付けた技術で肩を外したりまた嵌めたりしつつ偏執狂みたいな縛り方をされた腕を解放し、そっと取り出した小刀で足の拘束を切り裂いた。そのまま距離をとって猿轡を引きちぎる。相手が反応しきる前に必死に呪文を紡ぎ、燃え盛る火を吹き消した。握りしめた拳は震え、耳の奥で心臓がばくばく言っていた。泣きそう。
「……なにすんだ」
「こっちの台詞だ畜生!なんで出会い頭に丸焼きにされなきゃなんないの!?」
「空腹だったので」
「シンプルかつ怖いわ」
何日寝てないんだという隈を目元に貼り付け、勇者さまはアルバに恨みがましい目を向けた。歯軋りが聞こえてきそうだがどう考えたって被害者はこっちではないのか。
「っていうかお前腹減ると人食うの!?もっと健康的な食生活しようよ」
「うるせえクソ虫」
「勇者の台詞じゃねえ!」
「誰かを助けるのに理由がいるかい?」
「手段は選びたいかなあ人間だもの!」
「んな馬鹿でかい魔力抱えといてヒト名乗るのもどうかと思うぜ。大人しくオレの腹に収まってHPMP回復させろっての」
「ぐ……」
よく考えれば、この時代にいる魔力を持った人間なんておそらく魔王と勇者の二人っきりだ。何て弁解すればいい?未来の世界の人型勇者です?駄目だ絶対信じてもらえないし耳を引きちぎられるだけで済めばいい方だろう。なによりこいつ目が、目がやばい。ハイライトが全く無いのに瞳が内側の方からぎらぎら燃えている。五人くらい殺した直後ですと言われても思わず信じてしまうような狂気と渇きに塗れた輝きを放っていて、死人の如き顔色と相まって非常に恐ろしかった。それなのになぜか視線を惹き付けるものがあるあたりイケメンはどうなってもイケメンだから得だよなー将来的にアレになるんだもんなーと妙な感慨を抱いていたところ、突然クレアシオンの姿が掻き消えた。
「え……」
後頭部に重い衝撃が走った。フライアウェイしそうな意識をなんとか繋ぎとめながら振り向く。案の定蒼い焔の勇者さまが唇を釣り上げて立っていた。
「大人しく丸焼きになっとけって」
「え、んりょしとく!」
頽れた膝を叱咤して立ち上がり、飛び退きざまに地面に向けて爆発呪文を放つ。朦々と立ち込める土煙に乗じて逃げようと走り出す体勢を取った、瞬間に足に何かが巻き付いてすっ転んだ。
「往生際悪いんだよお前」
ぬらり、とでも表すのが適当な動きでクレアシオンが姿を現す。にやにやと嫌ぁな笑みを浮かべながらゆっくりと歩みを進める姿は直視するだに怖気が走り、匍匐前進での逃亡を試みたものの見事なまでに烏有に帰した。地面から生えた蔦のようなものによって脚が完全に固定されている。なにこれ。
冷たい指先がアルバの前髪を乱暴に鷲掴みにして引きずり上げる。鼻先が触れ合いそうな、呼気が頬をくすぐるほどの近さで、彼は夢見るように微笑んだ。
「新陳代謝終わるまでは優しくしてやるよ」
「ひっ……!」
女の子なら一発で落ちちゃいそうな告白だったが残念ながらアルバは女の子ではないし、被食趣味とかいう高度な変態性癖の持ち合わせもなかった。故に素直にドン引きした。
そんなこともお構いなしに鬼畜勇者は「生でもいいか」とか呟いている。駄目だよあらゆる意味で駄目だよ!
首筋に唇が寄せられ、唾液を纏った犬歯が動脈を狙う。アルバは固く目を瞑り、信じてもいない神に祈った。助けて食われる。
が、いつまで経っても肉が引き裂かれる痛みは訪れなかった。
「え……?」
目を開ける。その瞬間クレアシオンの身体から力が抜け、アルバを下敷きにして前のめりにぶっ倒れた。
「……どうすんだよこれ」
欠食極まった伝説の勇者は腹が減りすぎて意識を失っていた。
*
クレアシオンは微かな血のにおいで目を覚ました。すぐ近くには焚火が燃えていて、その上では小さな鍋がことことと音を立てている。なんだろうこれ。
どうやら自分は洞窟の中に横たわっているらしい。ごつごつとした岩壁はすぐそこで途切れ、荒野の向こうに広がる雲一つない夜空には見事な満月が輝いている。兎ですら餅ついてんのに人間様であるところのクレアシオンは一週間近くまともな飯を食っていなかった。つくづく人の世は住みにくい。腕に力を入れて身を起こしたが、眩暈に襲われてまた倒れ伏した。
「何してんの」
声のする方に目を向けると、茶髪に赤と黒の目の若い男が座っていた。誰だっけこいつ、と妙に整頓がなっていない記憶を掻き回す。なんか結構最近見た気がする。こんな魔族いたっけ?うんいた。焼いて食おうとして失敗した奴だ。なんでのほほんとした顔でここにいるんだオレをどうするつもりだまさか。
「監禁?」
「しないよ何言ってんだお前」
起きたならそれ飲みなよ、と言って、男は鍋を指差した。今度はぶっ倒れないように注意しながら覗き込むと、薄い金色に光るスープが湯気を立てていた。申し訳程度の野草やら木の実やらと、少量の肉が入っている。塩気のあるにおいが鼻をくすぐり、唾液がこみ上げてきた。
「毒でも入ってんのか」
「入れてたところでお前自力で解毒できるだろ」
「……なんでこんな真似を?かご状神経系でもの考えてそうなツラして何企んでやがる」
「脳味噌あるから!別に何も企んでないし死にそうだったから助けただけだよ」
クレアシオンは本格的に意味が分からなくなった。魔族の癖に何言ってるんだこいつ。このご時世砂場で遊んでるガキだってもっとまともな嘘を吐くだろうに。だが、選り好みしていられないほど腹が減っているのも事実だった。クレアシオンは改めてスープを見る。
「これ何の肉」
「えっと、兎」
「この辺に兎なんていないんだが」
「それなら狐ってことにしといて。とりあえずお前の魔法で何とかできないものは入ってないからさっさと飲めよまた倒れるぞ」
「じゃあ先にあんたくれよ」
「……は?」
見事な間抜け面に噴き出しそうになった。クレアシオンは身をかがめ、じりじりと距離を詰める。オッドアイの魔族は幼さの残る顔に怯えのようなものを浮かべるが、何故か逃げ出すどころか立ち上がりさえもしなかった。腰でも抜かしたか。
「魔力も体力もあんまり余裕がないんでね、変なもん喰らったら解毒の前にゲームオーバーになりかねないんだ。親切心発揮するならもう一息いっとけ」
「なに、何言ってんの」
ついに膝と膝がぶつかるほどの近さまでやってきた。相手は一向に逃げ出さない。ハーフパンツが黒く湿って血臭を漂わせているあたり、恐らく脚縛りの魔法でダメージを負ったのだろう。クレアシオンは自分の表情筋が勝手に笑顔の形を作るのを感じていた。魔族はがくがく震えながらも愛想笑いを浮かべようとして、見事に失敗した。涙を浮かべた赤い目は嗜虐心を煽り立てる色をしている。
「肉と血よこせっつってんだよ。魔力回復させろ」
「ひぃっ!?」
魔族は泣きながら我が身を抱きしめた。そんなに嫌なら戦えばいいじゃねえか何なんだ頭弱いのかクソ面白いぞこいつ。魔力の量と脳味噌の量が比例しないあたりにルキメデスの意味不明な遊び心の気配がしないでもなかったが、クレアシオンはそれを打ち消すほどの運命じみたものを感じていた。猫が鼠に感じるような。
「いやあのクレアシオンさん、あの、生きてる人間齧るのってよくないと思う」
「先っちょだけでも」
「何の先っちょ!?」
「指とか」
「ゆ、ゆびかぁ……」
あー、だかうー、だか言って滅茶苦茶に視線を彷徨わせた後、魔族はおずおずと右手を差し出し、震える声で呟いた。
「ちょっとだけなら……」
すげえぞこいつ本物の馬鹿だ!クレアシオンは声をたてて笑った。あまりの流されやすさと頭のおかしさに胸を打たれちょっと恋に落ちそうな程だった。拒否されたら気絶させてから当初の予定通り焼いて食うつもりだったが、提供してくれた謎の感動に免じてそれはやめておいてやろうと思う。愉快で仕方なかった。
好意に甘えて彼の腕を取り、人差し指を口に含んだ。少しばかりの塩分と鉄の味がする。前歯が皮膚に触れた瞬間、面白いほどに息を飲む音が聞こえた。唾液をたっぷり纏わせた舌先を僅かにくびれた関節に這わせ、それから舌全体を使って舐め上げる。奥歯で指の腹と爪を押しつぶす。固い感触。唇に指を含んだまま首を動かして歯の当たる角度を変え、爪の脇あたりにも強弱をつけて噛みついた。力を入れるタイミングで魔族はびくりと震える。それが楽しくて本題を忘れて延々やっていたら、いつの間にか指がふやけはじめていた。そろそろいいか。第一関節の後ろ、中節骨の側面に犬歯を添え、そのまま思い切り顎に力を込めた。ごり、ぶち、という音がして皮膚と肉がちぎれ、魔力を大量に含んだ体液が漏れ始める。鉄臭い。それを飲み下し体じゅうに行き渡らせながら、クレアシオンは相手の様子を窺った。
予想に反し、指を食われた魔族は喚き立てはしなかった。一瞬眉を顰めたがそれだけ。甘噛みやら舌やらで弄られていた時よりも反応が薄いくらいだった。どうやらへなちょこ系の外見に反して痛みには強いらしい。少々イラッときた勇者は傷口の周囲に軽く歯を立て、抉れた肉に舌を突っ込んだ。じゅぱじゅぱと音を立てながら血を吸っていると、また向こうの呼吸が不規則になり始める。いい気味。口の端から唾液が零れたが、気にならないほどには気分が高揚していた。
「あ、あの、まだ駄目?っていうかスープ吹きこぼれそうなんだけど」
「ふるはい」
また肉を噛みちぎると、魔族は一瞬だけ体を固くした。視線を上げ、彼と眼を合わせる。色の違う目は潤んでいるがもう涙を零してはいなかった。さっさと泣け、という思いを込めて指先を吸い上げる。どうせしょっぱいに決まっていると分かっていても、この魔族の涙の味が気になった。赤い瞳の味でもいいのだが。
非常に機嫌がいいのでスープは飲んでやろうと思った。その前にもう少しこれで遊んでおきたい。勇者は馬鹿に人権を認めていなかった。
*
先っちょだけでもとかいう奴が先っちょだけで済ませてくれた例は多分古今東西どこにもなく、お約束に則ってアルバもいろんなところを食われていた。訂正。食われている。現在形で。とりあえず気がすんだら回復してくれるという言質は取ったし負傷するのは慣れているので肉体的な諸々は許容範囲内ではあるのだが、仮にも人型をしたものをがじがじごっくんして最高に楽しそうにしている勇者さまの精神と将来がとても心配だった。後者に関してはド鬼畜サド野郎ながら心優しい戦士様のお姿が約束されているけれど、頭の方は本当にヤバいのではないだろうか。魔力が回復したらまともになってくれるのか。それならアルバの本体を齧るより先にスープ飲んで肉食ってくれと言いたい。何のために痛い思いしたと思ってんだ。
視界の端で安っぽい銀色が光る。火から下ろされた鍋の中で、アルバの腿肉が静かに冷えていた。
洞窟の外では満月が煌々と冷たい光を放つ。そこでは、己の肉を火にくべた兎が無言で餅をついている。