101号室 亜麻糸の火、きみの愛(未完) 忍者ブログ

101号室

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亜麻糸の火、きみの愛(未完)


i.

 

 水曜は三時から街の集会があって、アルバの家からは必然的に母親が出席することになる。十を超えたばかりの子どもがひとりで留守を任されるのはこの日だけだ。いい子にしてるのよアルたん、といういつも通りの言葉に続いて、扉が閉まり、錠が落ちる音が聞こえた。それからたっぷり十数える。一、二、三。スコップはいつも通り納屋にある。四、五、六、七。先週は西の花壇の辺りを掘ったから、今度は東の方にしよう。八、九、十!アルバは弾かれたように立ち上がって、庭へと転がり出て行った。

 夏の太陽は燦々と照っていて、頭の天辺がちりちりと焦げるような感じがした。帽子をかぶってくればよかったかな。ちらりとそんな思いが頭を過ったが、手が足が体がここを離れるのを嫌がっていた。赤茶けた煉瓦の手前辺りにスコップを突き立てて、右手首を軸にして重い土を持ち上げる。ざくり、ざくりと叩きつけるような切り刻むような音を立てて、庭に小さなクレーターが生まれていった。むっとするような土のにおい。アルバはその中に飛び込み、さらに掘り進めていく。どこまでも、どこまでも、決して届くはずのないところに手が届いてしまうまで。

「……ふええ」

 三十分ほど腕を動かすと、穴はアルバの腰まで埋めるほどに深くなった。表面はぱさぱさと砂っぽかった土も湿り気を帯びた黒いものに変わっている。けれど、それだけだった。ごろごろとした石ころの他は何も出てこない。もしかして、ここには埋まっていないのかもしれない。アルバは泣きそうな気持ちになった。今までは必ず見つかっていたのだ。さほど広くはない庭のどこを掘っても、まるで最初からそこを選ぶのを知っていたとでもいうように「それ」はひょっこり現れていた。それなのに、今日に限ってまるで出てこない。もう色々なところが痛くて肩がきちんと上がらないし、それに母親が返ってくるまでにこの大きな穴を埋め直さなくてはいけない。諦めた方がいいのだろうか。

 投げやりになってシャベルを思い切り突き立てた時、赤土とは違う、何か固い手応えを感じた。

「えっ、えっ!」

 もしかして、もしかして!アルバは疲労も忘れ、猛烈な勢いで手を動かす。ごろごろと転がり出てくる意地の悪い礫岩かもしれない、でもきっと、いや、絶対!

「あったぁ……!」

 どろどろの塊から纏わりつく粘土を払い落とすと、澄んだ水色のガラス瓶が姿を見せた。太陽に翳すとまるで魔法でもかかっているように微かに虹色に輝いて、中に閉じ込められた古い羊皮紙が踊るように転がった。胸の奥の方を甘くするような素敵な幸福感に包まれながら、アルバは穴の外側へと這い出す。庭を元通りにして、瓶を水で洗って、眠くなるにおいの木でできた栓を抜いて、それから手紙を読むのだ。見たこともない、そしてきっとこれから顔を合わせることも無いだろう彼から、たったひとり自分へと宛てられたこの手紙を。

 空でも飛べそうな気持ちをそのまま力に変えて、アルバは懸命に手を動かした。手紙の文字は多分アルバよりも下手糞な上に、どうしたことか時々とても難しい言い回しが混ざっている。辞書を引いてみると古とか廃とか付いているような。そのくせ書いてあるのはわくわくするような物語ばかりなものだから、まるで秘密の暗号を読み解いているみたいな気分になるのだった。今度はどんなお話をしてくれるのだろう。蜃気楼の島のはなし。首が三つあるドラゴンをやっつけたはなし。妖精の森のはなし。腰に糸を括りつけて迷路に入ったはなし。魔法の林檎のはなし。全ての冒険に先だって、彼はいつでもひとつの言葉を書き記していた。

 『いまここにいるアルバへ』

 生きる時が重ならなくても、たとえ世界が違っていたって、その一行だけでアルバと彼は出会い続けている。

 彼はどんな顔で笑うんだろう。シオンという名前の差出人のことを思いながら、アルバはせっせと穴を埋める。

 

ii.

 

 あちらのネイティブではない人間があちらの言葉で文章を書くためにはこちら語とあちら語を変換する辞書が必要な訳だが、その辞書自体があちら語で書かれていた場合には物凄く利用が困難となる。気になる言い回しがあったとしても文字から異なるせいでまず索引が読めないからだ。手紙を書くよう頼まれたときに当然その旨は伝えたのだが、「古語で書かれた現代語辞典なんてあるわけない」と切って捨てられた。フィーリングでなんとかしろということらしい。とりあえずぶん殴った。

 クレアシオンの手元には羊皮紙と羽ペンがある。ルキメデスが書庫兼実験場としていた地下室の空気はひんやりと重かったが、手紙を書く場所として利用し始めてからは以前のような嫌悪感は薄らいでいた。

 どんな話を書こう、と思案する。正直なところ、クレアシオンの旅は血腥くてどす黒くて血と臓物に塗れている。総体として見たとき子ども向けではないどころか大人さえ嘔吐不可避なここからどうやってきれいなエッセンスを抽出するか。嘘は書くなという厳しい縛りが課せられているせいで毎回非常に悩ましかった。頭が痛い。

 眉間を揉みながらうんうん唸っていると、何か軽いものが頭に当たった。すこんという間抜けな音を立てて落下してきたのは、いつもと同じく丸めてリボンで括った便箋だった。相変わらずのふざけたやり口に舌打ちを零しつつ、クレアシオンはそれを開く。『いつかどこかにいるクレアシオンへ』の書き出しに、少し口元が緩んだ。

 しかし、読み進めるうちに彼の表情は消えていく。残り数行というところでついに手紙から目を離し、呆然として天を仰いだ。低い天井はシミだらけだ。これが無くなるというのは、ちょっと想像しがたいものがあった。

「……ふざけやがって」

 赤い目の青年は消え入りそうな声で呟いた。白く薄い紙をぐしゃぐしゃに丸めて切り裂いてから灰になるまで焼き尽くした。書かれてしまったことは変わらないが、読んでしまえば変わってしまうような気がしたから。理解と納得と受容は全て異なるものだった。

 タールの沼の如き胸中に、意趣返しとでもいうべき考えがぼうっと浮かび上がった。あるいは細やかすぎる抵抗で、もしかしたら決して聞こえない愛の告白。次の手紙には、馬鹿で愚劣でどうしようもなく優しい魔法使いについて書いてやる。

 黒く長い睫毛が、彼の白い頬に影を落とす。ペンが静かに文字を綴る。インクの黒い水面は凪いでいる。シオンと言う筆名のクレアシオンは、これから必ず出会うことになるという子どもに向けて絶対に出会ったことのないあの男の物語を紡いでゆく。祈るように。悼むように。

 時代という縦糸と世界という横糸の間を滑るようにして、一方通行の手紙たちは繋がっていく。

 黒いリボンが机の上で揺れ、それから消えた。初めから何もなかったかのように。

 

iii.

 

 あっけないものだなあ、とアルバは思う。まさか世界がこんなに簡単に終わるとは。

 燃えるでもなく凍るでもなく、あらゆるものがあらゆるものに喰われていく。それは消失ですらなく、失われたことを誰にも理解されぬままに存在することをはじめに遡ってやめてしまう。全知全能の神は自殺できるのかというお話。うまくいきすぎたせいで必然的に失敗してしまったということ。状況は絶望「的」とかいう形容詞を使うのも不適切なくらい絶望そのものだった。なにせ今もって目の前には何の変哲もない日常が広がっているというのに、実のところこの世界にはアルバひとりしかいないというのだ。気が狂っていると言われた方がまだましだったが、残念ながら医者なんてものはもういない。というか、いたことすらない。ヤヌアもヒメもフォイフォイもルキも初代魔王も、それから彼も存在しないし、存在することはないし、存在したこともない。アルバも彼らを知らず、そもそもそんな人々の存在を思いつきもしない。ということになっている。非常に面倒くさいことになっていた。

 瞳と同じ色のリボンを取り出して最後の手紙に括り、中空へと放り投げる。そのままそれは滑るようにして見えない糸の隙間を落下していく。届くだろうか。届いているといい。確かめる術は無いのだけれど。

 最後の仕上げとしゃれ込む前に、今度は自分宛ての手紙を処理しなくてはいけない。アルバはゲートを開く。湿気を吸って重くなった羊皮紙の束は、指先の感覚だけで探り当てることが出来た。汚い文字と不自然な言い回し。こんなものを書く奴が家庭教師なんかしていたのだと思うと、自然と笑いがこみあげてくる。声を上げてしまおうかと思って、やめた。そのうち嗚咽に変わるのが目に見えていた。

 指先に火を灯す。優しい思い出が、彼の紡いだことばの連なりが、最初から存在しなかった庭の土の残り香が、残らず炎の内に消えていく。アリアドネを気取って糸を垂らしてやるつもりはさらさらなかった。他の誰がアルバであろうとも、この胸の内にあるものだけは、彼だけは絶対に譲り渡してはやらない。この自分がそれこそ地獄の底まで持って行くと決めている。

 何もかも灰になった。アルバは顔を上げ、最早彼自身と等価になった世界を見据える。笑っていなくちゃいけない。希望を決して絶やさぬように。息を吸い込み、最後の酸素で肺を満たす。そして、声帯が震える。

「――さあ、勇者するか」

 その瞬間、全ての秒針が凍りついた。

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