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頭に浮かぶ言葉は「これからどうなるんだろう」。「どうすればいいんだろう」ではなくて。
ソルは極限値の意味が分からないくせに自分の限界を見極めるのがとても得意で、ハジマーリ建国の年号は記憶できないのに言い訳の仕方はいつだってよく覚えていた。だから今回だってきちんと分かっていたのだ。自分の身の内に宿ったしょうもない力を扱いきれないことくらいは。
羽のように軽い引き金も指をかけられなくては意味がない。特別になることを夢見てはいた、けれど魔法使いになっというのに口が渇いて動かない。ソルは駄目だった。ソルは無駄だった。ソルでは駄目だった。ソルは頭が悪い。ソルには勇気がない。きっとこれからもそうなのだろう。ソルは何者にもなれない。目を逸らし続けていた真っ黒な予感が翼を生やして追いついて、にこにこしながら肩を叩いた。
これからどうなるんだろうなあ、と思った。泣き叫んで走り出したいとも誰かを口汚く罵りたいとも拳が割れるまで壁を殴りたいとも思ったけれど、結局どれも実行には移さないのだろう。あの日洞窟で迷う皆を探しに行かなかったように。レイクたちを見捨てて震えていたように。
時間の流れと誰かの意思がソルの未来を決めてくれる。仕方ないなあという顔をして、仕方ないなあと言いながら、仕方なさそうに歩いて行けばいい。ソルはレイクにもリンにもソチにもなれない。ソルは永遠にソルのままで、いつしか自分の名前は無意味と等価になるのだろう。それだけが揺るぎなく確定した未来だった。それ以外はみな真っ暗で不透明、のはずだった。
ぼんやりと温い虚ろの先に、どうしたことか壮麗たる門が建っていた。白い石で出来たそれは天使やら悪魔やら人間やらの細かな彫刻でびっしりと覆われていて、審美眼も歴史知識も持ち合わせていないソルにすら名のある芸術品であろうことが見て取れた。
近づいていく。ソルが門に、ではなく、門がソルに。選択肢を与えることもせずふたつのものの距離はどんどん縮まっていく。音はなく、風もない。ただじりじりとした圧力と胸の内を焦がす焦燥が時間に比例して高まっていって、ソルを殺そうとするかのようだった。
あと一歩で衝突するというところで、門がやっと止まった。空っぽの門扉が開き、そして彼が微笑みながら現れた。
ソルはきっと彼を知っている。明るい茶色の髪に赤い左目と黒い右目。御伽噺の魔王みたいなボロボロのマントを羽織っている。けれど、彼が何なのかは分からない。
「こんにちは、ソルくん」
彼は親しげな口調でそう言った。ソルは何も答えられなかった。
「君には選択肢が与えられている。そして、選択肢を与えられているのは君だけだ」
ソルは怯えながら沈黙し続ける。何も分からなかったし、何も分かりたくなかった。これからどうなるんだろうなあ、と思った。どれほど複雑に枝分かれした道であったとしても、ソルが辿れるのは結局のところ誰かの決めた一本だけだ。頭を抱えて震えていれば、いつの間にか景色の方が変わっている。何もかもやり過ごすこと。あらゆるものにやり過ごされること。諦めはいつだって優しくて、どうしようもなく苦くて痛い。
「ねえ、どうするの」
「わからないよ」
「君のことなのに?」
「オレのことだから。オレはどうされるの。これからどうなるの」
ひとのかたちをした何かは、少しだけ困ったような表情を浮かべて見せた。担任や友人がよくやる顔だったので、ソルはもう慣れっこだった。何も感じていない振りも含めて。
「じゃあ質問を変えよう。君には大事なひとがいるね」
ソルは素直に頷いた。レイクやリンの顔が浮かんでいた。資格とか誠意とか難しいものを抜きにして、彼らとまた笑いあえるようになりたかった。どうする、と声が聞こえた気がした。
「彼らが世界に殺されようとしているとする。助けられるのは君だけだ。どうする?」
「……え」
「生温い諦めを捨てる覚悟はある?安易な絶望に背を向ける覚悟は。油断と妥協と楽観と正気と良識を皆殺しにして、絶対に希望だけを持ち続ける覚悟はあるかな」
どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?
遠くから近くから一斉にばらばらに、ソルの声が問いただしてきた。それはきっと今までソルを素通りしていった全ての選択肢の絶叫であって、同時にソルが見て見ぬふりを決め込んできたあらゆる可能性の断末魔だった。これが最後なのだと。今この時を逃したら二度と機会はないのだと、声なき声で誰か自分が泣いている。
「――大事な人と、友達になりたくはないの」
口がからからに渇いていた。
「もし、選ばなかったら」
震える声で尋ねると、彼は優しい声音で答えた。
「残念だけど、君は君が望んでるほど馬鹿じゃない」
彼はどこからか赤いスカーフを取り出して、どうする、ともう一度だけ尋ねられた。最後通告の響きがあった。
ソルは掌に汗が浮くのを感じていた。選ばないこと。選ばないことを選ぶこと。選ばないことを選ばせられることを選ぶこと。ソルはそれに慣れ過ぎていて、カーソルの動かし方を覚えているかどうかすらも怪しかった。どうして今更になって。どうして自分だけが。選んでもいないのに、選びたくなどないのに。でも、選ぶしかない。彼は何一つ強制する様子を見せてくれない。だからソルが決めなくてはいけなかった。唇を噛み、目を瞑って――そして、手を伸ばした。
「ありがとう」
赤い布きれからは、何故か冷えた鉄の感触がした。驚いて目を開ける。先ほどまでの曖昧な笑みとは打って変わって、とても嬉しそうな表情を浮かべた彼が呟いた。
「マクガフィンってやつさ。左手の紋章であり、残されたスカーフであり、リコの花飾りで王女の愛でエターナルソードでゴールデンメタルスライムで鉄の肩当だ。我々のもので、そして君だけのもの」
門がソルを通り抜ける。ソルが門を潜る。その瞬間、胸が酷く痛んだ。
暗闇の中にいるのは最早二人だけではなかった。彼の後ろに、無限とも思われるほどのたくさんの人々が立っている。男がいて女がいて若者がいて老人がいて人と人でなしがいた。誰一人として顔は見えず、皆一様に勇者だった。彼の真後ろに立つ男の頭で青い焔が揺れていた。
暗闇は既に暗闇ではなかった。網膜を焼き尽くす光の中に草原が荒野が街が森が迷路が宮殿が海が空が永遠の空漠が次々に生まれては消え失せずに重なって広がっていく。どこまでも続いている。どこへ行けばいいのだろう、と思った。決まっている。何一つ決まっていないのだ。ソルが選ばなくては、どこへも行けない。ソルは今や全てを選べて、たった一つを成さなければいけなかった。恐怖と後悔と絶望が群れを成して襲ってきて、ちっぽけな魂を食い尽くそうとする。けれど勝手に刻みつけられてしまった希望とか言う不気味なもののせいで窒息することすら許されない。それを眺めながら、アルバという名前の勇者が夢見るように言った。
「ようこそ、勇者ソル。君の物語の幕開けだ」
どうすればいいんだろう、と思った。途方に暮れてではなく、希望に飲みこまれながら。
*
「……いでで」
目覚めると寝汗びっしょりで、ベッドからも落ちていて、ついでに何故かパンツ一丁だった。何やら物凄く濃い内容の夢を見ていた気がするが、内容は全く覚えていない。時計はまだ深夜を指している。ソルは溜息を吐いた。
明日はテストの返却だ。精神ダメージに備える意味でもきちんと寝ておかなくては。シーツの感触はいつも通りだったが、どこか遠いもののように感じられた。
ソルが次元の狭間に飛ばされる前の晩のことだった。