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アルバがその奇妙な習慣をはじめたのは、ルキとふたりきりの旅を初めて三月ほど経った頃だった。
実のない情報収集に区切りをつけて宿に帰ると、時計は八時前を指していた。寝るにはまだ早い時間だったが、もう少しこの街に滞在することになっているので明日の準備というほどの準備もない。何をしようかなあ、とルキがぼんやり考えていたところ、壁際に置かれた机に向かうアルバがごそごそと鞄を漁るのが見えた。
彼が取り出したのは紙だった。文字も書かれていなければ罫線もない、完全な白紙。安っぽく黄ばんだそれの上で踊る手は、明らかに文章を書きつけている様子ではなかった。
「アルバさん、何してるの」
「何だと思う?」
「金未来杯用の原稿?」
「違うわ」
アルバがざかざかとペンを動かすと、質の悪い用紙の中央あたりに小さな長方形が生まれた。ルキが見ているうちに、その上に乗っかるような形の四角がもう一つ描かれ、そのまた上に小さな三角が乗る。それから最初の長方形の脇にこれまた三角屋根のついた細長い円柱が二つ足された。輪郭はこれで満足したのか、今度は図形の内側に窓やらアーチを描く門扉やらが描きこまれていく。
「もしかしてこれお城?」
「おー分かるんだ」
「名探偵って呼んでよ!」
「いや別に暗号レベルで解読困難な絵を描いてるつもりはないんだけど……」
アルバは少し考え込んでから、下手糞な城の横に王冠を被った髭の人間を立たせた。今度は割合ハジマーリの王様に似ていたので、ルキはくすりと笑いを零した。それに気を良くしたらしいアルバは槍を持った兵士を何人か付け加え、それからお城の真下に四角と三角ばかりの小さな家をたくさん並べ始める。どうやら城下町のつもりらしかった。
「地図を作ろうと思ってるんだ」
「え?ちゃんとしたやつ持ってるじゃない」
「そうだけどなんて言うか、……イメージマップ?っていうの?とにかく、ボクの世界地図を描きたいんだよ」
「へー」
よく分からなかったので、適当に相槌を打っておいた。ハジマーリを描き終ったらしいアルバは、続いてにょろにょろくねる街道らしきものを引きはじめる。世界地図にしては紙のサイズと縮尺が合っていない気がして、お城が大きすぎない?と尋ねてみたら、アルバは微笑みながら答えた。
「お城は世界の中心だからね」
*
中途半端に空いた時間や蒸し暑くて眠れない夜に行き当たると、アルバは決まって例の紙を取り出すようになった。最初のうちはすかすかだった地図は手が加えられる毎に充実度を増していき、そのうち地形だけではなくてモンスターやら名産品やらの絵と簡単な文字説明まで付け加えられるようになった。一枚の用紙がいっぱいになると裏側からテープを貼って紙を継ぎ、新しい空白を自分の頭の中の世界で埋めていった。ルキが色鉛筆を貸してやったら、アルバは嬉しそうにありがとうと言った。
二人旅が半年を過ぎる頃になると貼りあわされた用紙は合計で7枚を数えるようになり、地図は一辺50センチほどのいびつな四角形になった。木々の緑や荒野の灰色の中に町並みの屋根を塗る赤が映えている。海はこれでもかというほどに真っ青だった。
アルバの画力は一向に向上の気配を見せなかったが、添えられた情報の多さで何となく描いているものを分からせるというのが中々に上手で、ルキは素直に感心していた。
まだルキと父親と母親が幸せいっぱいに笑っていた頃、三人で博物館に行ったことがある。そこで見た人間界の古い世界地図とアルバの地図はどことなく似ていた。
マッパ・ムンディ。自分の中にある世界を描く、決して正しくはない世界地図。正確な測量が技術的に不可能だったのかそもそも正しく描く気がないのかという根本的な違いはあるのだけれど。
背伸びをしてアルバの手元を覗き込むと、彼はタートルの南に道を伸ばし、その先に家並を描いていた。ルキの知らない町だった。
「アルバさん、ここは?」
「小さな農村だよ。果物も美味しいんだけど、特産は花なんだ。バラなんて王室御用達なんだってさ」
小さな、と言う割に、その村は明らかに機械都市よりも広く描かれている。この地図上の縮尺を決めるのは実際の面積ではなくアルバの心の中での大きさであると知っていたので、ルキは聞いてみることにした。
「ここで何かあったの?」
「夏に行ったらちょうどお祭りやってたんだよ。屋台とかいっぱい出てたの。ロスと一緒に見て回ったらわたあめ大使ーとかわけわかんないこと言われて全身わたあめ塗れにされちゃった」
あいつほんとひどいよなあと言いながら、アルバはとても楽しそうに笑った。何の屈託もない笑顔だった。
*
「できた」
それからさらに一月ほど経った秋の夜、アルバは唐突にそう言った。
飽きることも無くこつこつと描き足されていった大きな地図は、アルバの考える世界の果てに沿って丸く縁取りが為されている。真ん中に据えられたハジマーリの王城から長さも方角も自由すぎる道が生え、その先にこれまた色々とおかしな街だの山だのが果実のように成っていて、パステルとビビッドのよく分からないコントラストで色づけされていた。アルバの記憶を記した文字の群れが、隙間を縫うようにして並んでいた。
一周まわって芸術性さえ感じさせる一品だったが、それでもどこか温かみがあるのは作者のせいなのかもしれない。最初の城を描いてから今日までの月日でアルバは見違えるほど強くなり、勇者レッドフォックスは多くの町や村を救っていた。
「すごいね、アルバさん」
「ありがと」
ルキが褒めると、アルバは顔を綻ばせた。
「完成した地図はどうするの?結構嵩張ってるし、ゲートで私の部屋にでも置いておこうか」
「ああ、それは大丈夫」
そう言うと、アルバは地図をぐちゃぐちゃに丸めて火のついた暖炉に投げ込んだ。
ルキは一瞬呆気にとられ、それからやっと何が起きたか理解した。
「ねえアルバさん何してるの!?せっかく作ったのに!」
「仕方ないんだよ。だってあれ間違ってるし」
アルバは少し困ったような表情を浮かべ、それでも微笑んでいた。
「間違ってる、って……」
「根本的なところが」
ルキは聡い子どもで、何よりアルバをずっと見ていたから、彼が方角や縮尺のことを言っているわけではないことが分かってしまった。アルバはきっと初めから燃やすつもりでこの地図を描いていたのだろう。みんなの勇者としての空き時間を使いながら。
いつになったら正しくなるんだろうなあ、と呟く彼に、ルキは何も言えなかった。こんな回りくどいやり方でなくては怒りも悲しみも表に出せない勇者さまが可哀想で、自分では彼の正しい地図になれないのが寂しくて、ルキとルキの大事な人にこんな思いをさせているもう一人が少しだけ憎らしくなった。
温もりを放つ暖炉の中で彼の世界が灰に変わっていく。
「……ロスさん、早く戻ってきてよ」
震える呟きは、きっと誰にも聞こえていなかった。