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ボクは勇者だ。勇者はみんなの希望だ。みんなの希望が弱くちゃいけない。また世界には危機が迫っているのに、こんなところでへこたれている暇なんてない。何度そう繰り返しても、涙が止まる気配はなかった。重い左腕を、そっと動かす。壊れたように水を垂れ流し続ける赤い目に触れる。ぶっ壊れた頭はおかしな方向に走り出していた。目玉があるから泣いてしまうんじゃないのか。それならいっそこんなもの、
第五話:ボクらの太陽
ぱちん、と音を立ててニッパーが赤いプラスチックを切り落とす。緩やかな曲線を描くパーツのひとつがランナーを離れ、深緑のカッターマットに落下した。
ギターは適当に弾けるけれど、プラモ製作が趣味というのは出まかせだ。好きとか嫌いとか以前にやったことがない。いい機会だからと一つ作ってみることにはしたものの、どうやらチョイスを間違えたらしい。明らかに初心者向けではないパーツ数に腕がだるくなりはじめていた。ぱちん。
四角い外枠とパーツ本体を繋ぐ細い部分はゲートと言うらしい。ボクはその名前にちょっと笑った。最初はランナーの近くを切ってパーツを分離し、それからパーツのぎりぎりにニッパーを入れてくっ付いているゲートを切り落とす。そうすればプラスチックに掛かる負担が減り、変色しにくくなるのだという。世の中にはまだ知らないことがたくさんある。ぱちん。ぱちん。
「あでっ」
ゲートはいつの時代も変わらずボクを痛めつける運命にあるらしい。切り離した際に勢いよく飛んだプラスチックの破片が目に入り、ボクは小さく呻いた。後ろでロスが噴き出す音が聞こえた。
「いいザマですね勇者さん!」
「びっくりしたわ……突然飛んでくるんだもん……」
「プラスチックが『今からそちらにお伺いしてよろしいでしょうか』とか言う方がびっくりですけど」
「ホラーだよそれ」
「C」のランナーのパーツを全て切り離したボクはいったん手を止め、組み立て説明書を開いた。右側のページの下の方。これは左脚になるようなので、右脚の部品と混ざる前に組んでしまった方がいいかもしれない。耐水ペーパーに手を伸ばし、ゲートの分離痕を磨き消していく。
組み立て図があるということは分離復旧の仕方がわかるということだ。とうに原型を見失ってしまっているボクは、それを少しだけ羨ましいと思った。きっと自分を含めて誰一人覚えていないから。
アルバ・フリューリングは外付け可能で継ぎ接ぎまみれで、そして組み立て式だ。長い時間を過ごすうちににボクは外側からたくさんのものを取り入れて、もともと持っていたほとんどのものを捨ててしまった。髪を灰色にしたのは何のためだったろう。目の色が赤でも黒でもなくなったのはいつ?ああアルバ、あなたはどこまでアルバなの。勇者っていうのはなかなか維持費のかかる職業なのだった。
「それにしてもなあ……なんでシオンこのタイミングでいるの。折角頑張ってキャラ作ったのに」
「素の言動に戻したせいで顔と性格がバラバラ殺人みたいになってますけど」
「顔知ってるやつの前で一匹狼系中二病ごっこはほんとに無理」
別に声帯を震わせる必要なんてないのだけれど、ボクはあえてそれを選ぶ。一瞬一瞬流れを変える思考の海を切り出して、自分の位置を確かめるために。あるいはメンテナンス。もしくは、メンテナンスごっこをすることで自分が正常であるための努力をしていると予防線を張るため。対話という形式を取って日記帳に妖精の迷路を書きつける。
勇者はみんなの希望だ。希望。希望って何だろう?一時期図書館に寝泊まりして哲学書を読み耽るまで追い詰められたこともあったが、分からないを通り越して具合が悪くなってきて何かあるとすぐ吐くようになってしまった。シオンにバレて罵倒されながら全力で蹴られ続けたその日、ボクはようやく悟った。考えるだけ無駄だと。とりあえずカッコよくて強くて負けないで世界の平和を守ってれば希望だ。
ボクはガンガン魔物と戦った。そのうち世界に次なる危機が訪れて、次の次なる危機が訪れて、次の次の次なる危機が訪れた。まおゆうパワーでとうに人間をやめていたボクはその全てに参戦したのだが、敵もどんどん進歩していて剣が突き刺さらないどころかどっかのギリメカラみたいな物理反射野郎まで現れ始めた。一番いい装備が欲しくてもボクには天使も悪魔も憑いていない。仕方ないので、魔力を使って自分で作った。そして、ふと気づく。装備じゃなくて一番いい体を作ってしまった方が早いんじゃないか?
空を飛ぶために翼を生やすこと。足音を聞き分ける耳を付けること。酸に融けない腕をつくること。ひとりに耐えられるようこころの形を変えること。顔をカッコ良くすること。文字にしてみると噴飯ものの酷さだが、最後というのは勇者としてなかなか大切だ。勇者は「みんな」にとってカッコよくないといけないわけだけれど、「みんな」の感性は時代によってがっつり変わる。個人主義で冷淡で孤独な時代が求めるのはレッドフォックスみたいな泥臭い勇者ではなくて、個人主義で冷淡で孤独なスラッとしたイケメンなのだった。内面的にも外面的にも、共感と自己投影が可能でなくては希望とはなり得ない。ぬとぬとした緑色の亜人が暗黒大魔王を食い殺す物語は、いくら面白くたって明日を生きる糧にはならないだろう。
いらないものを捨て必要なものをくっつけて、変形させ合体させ一番素敵な勇者物語を編纂する。適当なパーツを適当なものから拝借して魔力で繋ぐ。断章取義。そうこうしているうちに、ボクは組み立て式になってしまった。
乾いてきた耐水ペーパーを湯呑の水に浸す。左目に違和感がある。ロスがぽつりと呟いた。
「ねえ、勇者さん」
「なに」
「オレのこと好きですか」
「あーうん好き好き」
「……オレに実体あったらあんた今ごろコロンビアネクタイ状態ですよ」
「セルフ処刑かよ……」
「シオンのことはどうなんです」
ボクはいったん手を止めて、座った状態のまま振り返った。赤いスカーフを着けたロスは冷蔵庫に凭れ掛かって、仏頂面で腕を組んでいる。彼が尋ねてくるということは、ボクは尋ねられる必要があるということだ。意図が分からないなら無意識の中に沈んでいるか分からないフリをしているだけ。
「……別に嫌いじゃないよ」
「それだけ?本当に?」
「それだけ。本当に」
「じゃあ何で毎日のように一緒に飯食ってるんですか?なんでただのアルバだったころみたいに振る舞って馬鹿話して笑ってるんです。大会応援に行く準備までしてるくせに」
「お前に似てるから思わず、だよ。二人称まで一緒だから、どっちに話しかけられてるのか分からなくて邪険にするのもめんどくさい」
「……言い訳してないでさっさと認めればいいじゃないですか。自分の脳味噌に住んでる幽霊に飽きてきたから本物のシオンと遊びたくなったんだ、って」
「飽きるとか飽きないとかそういう話じゃないだろ!それにあいつはボクの知ってるシオンじゃない」
「魂は同じですよ」
「生まれ変わりだとしても記憶は継承されない。よっぽど特殊な魔法を使えば話は別かもしれないけど、この時代にそれが出来る人間なんていないんだから」
「あなたがいるじゃないですか」
「何のために?」
「自分のために」
「ボクの目的は勇者だ」
左目が瞬きする度にしくしくと痛んだ。さっきので角膜でもやってしまったのだろうか。立ち上がって姿見を覗き込むと、案の定白目が真っ赤になっていた。とっかえたばっかりなのになあ、と思って、シオンの言葉を思い出す。よくよく見れば確かに瞳の色を間違えていた。偽装がふとした拍子にバレるのは十分以上に学習したので、換えてしまった方がいいだろう。
親指、人差し指、中指を伸ばし、瞼越しに眼窩に沈める。そして一思いに眼球を引き抜いた。ぶちぶちぶち、と千切れる音。慣れているのでもう痛みも躊躇いも流血すらも無かった。引きずり出した出来損ないの目玉は魔物の死体よろしく光りながら消えてゆく。空っぽになった穴に手を当てていると視神経が繋がる感触があって、すぐに膨らみが戻ってきた。色を確かめる。これなら大丈夫だろう。
「……安定のバケモノですよね。あんた一体何者なんですか?」
ロスの姿は鏡に映らないので、表情を伺うことはできない。けれど、その平坦な問いはボクの中から拾ってきたものだ。だから、ボクも予め用意されている答えを拾ってきて唇に乗せる。
「ボクは勇者だよ」
そして、勇者はボクだ。それ以外の定義はない。
人間的な無限定に無機質な限界を設定すること。狭い檻は同時に堅牢な壁であり、その中で道に迷うことは絶対にない。ボクは勇者だ。勇者でなくてはいけない。みんなの希望。陰りのある太陽なんて誰にも必要とはされない。
「ボクはロスが好きだ。ボクにはお前だけいればいい」
それだって贅沢だ。だからあんまり欲深に高望みをしちゃいけない、それって勇者らしくないじゃないか。
ただのアルバではいつか壊れてしまうから、ボクは知らないボクを継ぎ接ぎしてみんなの勇者であり続ける。
彼に貰った力と命で、彼のいた世界を守るために。