101号室 センペル・アウグストゥスの奇妙な冒険5 忍者ブログ

101号室

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

センペル・アウグストゥスの奇妙な冒険5

 

 千切り取った花弁と、その内側に僅かに付着した花粉を眺めながら、トイフェルは呟いた。

「バブルの崩壊はあっという間でした。センペル・アウグストゥスは見向きもされなくなり、人々の興味は他に移った」

「……歴史の講義を頼んだ覚えはない」

 彼が言わんとすることが分からないほどシオンは暗愚ではなかった。むしろ理解していたが故に、トイフェルの語り口によってささくれ立った神経を逆なでされたのだった。

 トイフェルが指を開くと花弁は落下し、飾り気のない白いソーサーに被さる。魔族は気にした様子もなく続けた。

「それにね、この花一度絶滅してるんです。この炎みたいな模様は球根の病気で、遺伝子が破壊されているので繁殖に向かない。いっときどれほどうつくしかろうが、人々に求められようが、時が来れば顧みられることも無く亡んでしまう」

 トイフェルはそこでやっとシオンの目を見た。虚ろの底にどろどろとしたものが渦を巻く、空白とは程遠い瞳があった。

「アルバさんに似ていると思いませんか」

 シオンは答えなかった。トイフェルは新しい花弁に手を掛けた。

 

***

 

 消え去る寸前のアルバはきっとかみさまに近い生き物だった。

 体が必要とする魔力は増えているにもかかわらず、得られる魔力は減っていった。人々は飽きっぽく、忘れやすく、そして恩知らずだ。剣を振るわない英雄をいつまでも求めていてはくれない。アルバは緩やかに衰弱を始めた。

 魔法を使うようにそれとなく促しても聞き入れてはくれなかった。強制しても意味はなかったろうし、とうにバレているとしても彼の魂に仕掛けたカラクリを打ち明けるのは恐ろしかった。アルバに嫌われたくなかった。

 彼は余白の多い人間だ。何も強制せず何も拒絶せず、他人のために血を流すことを厭わない。利用され捨てられるばかりだったトイフェルの人生に初めて現れた光だった。笑った顔が好きだった。淡く光る思いはただ美しかったはずなのに、走り出した列車はもう止まれなかった。

 需要が無いなら作り出さなければいけない。そうしなければ彼が死んでしまう。

 だから、アルバに身を売らせた。下卑た欲求に晒すことで、彼の命を長らえさせようとした。

 見知らぬ人間に震える足を叱咤しトイフェルが客を呼び、選んだ。勇者というネームバリューに加え、どこかしらその手の人間を惹きつける雰囲気があるらしく、彼には女よりむしろ男の客が多くついた。必要なことなんです、あなたに死んでほしくないんです。そう何度も言い聞かせると、嫌がり逃げ出そうとしたアルバも結局は折れた。彼は優しい人間で、残酷な人間だった。痛みに泣いていたのは最初のうちばかりで、そのうち快楽に塗れた声で啼くようになった。トイフェルは安宿の扉越しに黙ってそれを聞いていて、何もかも終わってから彼の身体を清めに行った。

 とても分の悪いいたちごっこだった。日を追うごとにアルバが意識を失っている時間は延びて行き、体の末端が透けることは珍しくなくなった。討伐以来を受けることが難しくなって、それがまた彼の衰弱を加速させた。

 アルバの空白は広がっていった。何かを言おうとして結局音を紡がぬ唇、喜びとも悲しみともつかぬぼんやりとした表情、空っぽの心、そして目。虚ろな赤い目、トイフェルが魅せられたあの瞳の奥には神々しささえ感じさせるほどの絶大な空漠が広がっていた。皆、その中に好き勝手なものを見た。ある者は恋人を、ある者は妹を、ある者は勇者を、ある者は神を。彼を抱きながら泣く客もいた。彼の空白に己の理想を描いて、蹂躙し、打ち捨てて行った。かみさまのような勇者は、それでも何も言わなかった。

 

 数日前に元戦士に会ってから、アルバの体調はしばらくぶりに上向いていた。殆ど一日中眠り続けているような状態だったのが、歩き回って勝手にクエストを受けてくるまでに回復していた。叱りつけると少し困ったように笑って、たいしたことない相手ですから大丈夫です、と胸を張った。この笑顔はあと何回見られるのだろう。

 思い返せば、アルバがトイフェルを詰ったことは一度もなかった。彼を謀り、彼を汚し、彼を裏切ってきたにも関わらず、アルバはトイフェルを恨んだ様子も見せない。そして助けを求めたことも無かった。

 彼は誰をも平等に許し、誰に対しても等しく空白だった。彼の特別かもしれない人間はたった一人存在していたが、それはトイフェルではない。構わなかった。遠からず訪れる最期の日にアルバの隣で死ねたなら、トイフェルはそれで良かった。

「……本当に大丈夫なんですか?ただの獣とはいえ狼です。しばらく剣を握っていなかったのに、」

「大丈夫ですよ。凄く気分が良くて、今なら何でも出来そうなんです」

 もう夜も深い。明日の早朝に出発するため、トイフェルとアルバは床に就いた。

 

 ――爆発音。

 耳を劈く轟音にトイフェルは飛び起きた。寝る前に閉めておいた筈の窓は何故か全開で、焦げた臭いのする風が吹き込んでくる。夜空が真っ赤だった。窓から真っ直ぐ見える森が赤々と燃え上っていた。遠くてよく分からないが、幽かに魔力の気配がする。魔物が現れたのだろうか。少なくとも、今のアルバの手に負える相手ではないだろう。

「アルバさん、明日のクエストは……」

 隣のベッドに話しかけたトイフェルはそこで絶句した。アルバの寝台は空だった。トイレ、ではない。足元に準備してあった荷物と装備が消えている。開いた窓。魔力の炎。討伐対象の狼は南の森を根城としていた。

 頭の中でピースが嵌って行く音に耐えられず、トイフェルは窓から飛び降りた。裸足のまま、森へ、炎へと向かって一目散に駆け出す。近づけば近づくほど彼の気配は強くなる。轟々と赫々と煌々と、最後の輝きとでもいうように激しく燃え上がり揺れ続ける炎は、いつか荒れ地に咲いていた滅びた花とよく似ていた。逃げ出す獣どもの流れに背き森を走る。鋭いものを踏みつけ足の裏が裂けるのを感じた。知ったことか。トイフェルはひたすら焦っていた。アルバは一体何をしているんだ!

 突然、頬を嬲る熱気が止んだ。

「あ……」

 火が、消えていた。先ほどまでの威容が、蹂躙する紅蓮が幻覚か何かであったかのように、火の粉の一片すらも残さず炎は消滅していた。

 魔力の炎は水では消えない。消える条件は二つ、魔法が解除されるか、あるいは。

 術者が死ぬか。

「ああああああぁぁぁああ!!!」

 トイフェルは再び疾駆した。喉から勝手に絶叫が漏れる。信じたくなかった、彼の姿をもう一度見て、無事を確かめて、叱って、笑いかけて欲しかった。叶うことなら一度でもいいから抱きしめたかった。恐怖。抑えがたい恐怖と焦燥が軋む筋肉を動かし続ける。

 辿りついた爆心地に、生きたものの姿はなかった。

 焼け落ちた樹の残骸、焦げ付いた獣だったものたち、その脇にぽつりと落ちたささやかな鮮血。血だまりに歩み寄り、その中に浮いている丸いものを手に取った。

 球形の純白。中心には炎を湛える赤い瞳。

 抉り出されたアルバの左目だけが、そこに残されていた。

 トイフェルは泣きながら崩れ落ち、そのまま意識を失った。

拍手[1回]

PR

プロフィール

Master:かのかわ
mail:doublethink0728◎gmail.com
(◎→@)

ブログ内検索

Copyright ©  -- 101号室 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]