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マーラと言う名前の少女は旅芸人の一座で猛獣使いをしているらしい。「ニックネームは小さな魔王さまなんだよ!」と胸を張る彼女を、桃色髪の小さな魔王さまはきらきらした目で見つめていた。
「あの時はろくにお礼も出来なかったからさ、とりあえずうちんとこ来てよ」
「え……でも、魔物をやっつけた戦士は今いないし」
「遠慮しないでほらー!」
テンションの高い少女に引きずられ街はずれの空き地まで連れてこられてしまった。それにしてもこの子よくボクの顔まで覚えてたなあ。プロのエンターテイナーというのはそういうものなのだろうか。
大きな馬車には使い道のよく分からない鉄の棒やら鮮やかに彩色された大量の旗やらの大道具が運び込まれている。どうやら撤収作業の最中らしい。屈強な男性は汗をかきながら行ったり来たりしているし、女性たちは小道具の数を確認したり袋の口を縛ったりと忙しなく動き回っている。今部外者が現れたら迷惑になるんじゃないだろうか。
ボクの心配をよそにマーラは一人の壮年の男性に駆け寄っていく。どうやら彼が座長のようだ。お使いに出されていたらしい彼女は男性に荷物を渡し、二言三言言葉を交わしてから彼の手を引いて戻ってきた。
「ねえパパこの人たち!東の荒れ地で魔物やっつけてくれたの!ほんとすっごいんだよ、すぱーんばしゅって!」
「落ち着けマーラ。そんなんだからいつも迷子になるんだお前は」
興奮した口調の娘を諌めてから座長はこちらに向き直り、深々と頭を下げた。
「先日は娘を助けて下さったそうで、本当にありがとうございました。あなた方にはどれだけ感謝したって足りるもんじゃありません」
「いえあの、そんなに畏まらないで!頭を上げてください。……それにボクは何にもしてないですし」
彼らの感謝を受け取るべきはゲートで少女を助け出したルキ、そして実際に魔物を倒したロスだ。間違っても倒れていただけのボクではない。ロスの功績を横取りしてしまうのは嫌だったが、自分がいかに役立たずだったかについて自分の口から説明するのも結構な苦行だ。隣に立つルキに目配せしてみたけれど、彼女はにこにこと笑うばかりで助け舟は出されなかった。
「またご謙遜を。剣捌きの鮮やかさについてはマーラの方から何度も聞いとります。こいつ会う人みんなに自慢するんですよ、赤スカーフの勇者様とピンクの女の子に助けてもらったーって言って」
「ははは……そ、そうですね……」
確かに赤スカーフの人は勇者様だ。それも血縁のない子孫とかいうパチモンではなく、正真正銘の勇者クレアシオン。助けられたのがボクだったとしても知り合い全員に自慢するだろう。だが、この人は何故感極まったようにボクの手を取りながらそれを言うのだろうか?割と手汗体質みたいだし二重の意味で気まずい。
ボクが次の言葉を探しているうちに座長さんの関心は別の話題に移ってしまった。
「ところで勇者様、これからはどうなさるおつもりで」
「これから、ですか?えっと、今日の所はここで宿を取るつもりです。明日一日で情報収集と補給を済ませて、明後日の早いうちに北の村に向けて発とうかと」
「そりゃちょうどいい!うちの一座も明後日出発するんです。目的地も一緒。勇者様、この馬車で良けりゃ一緒に乗ってっちゃあくれませんか?」
北へ続く草原は勾配が大きいため、人の足ではかなりの時間がかかってしまう。どうかお礼をさせてください、という彼の言葉にも押され、ボクたちは厚意に甘えることに決めた。
そのまま座長は作業に戻ってしまい、ロスの話は出来ずじまいになった。
年が近いこともあり、マーラはルキと意気投合したらしい。父親に言われるまでもなく宿までの見送りを申し出た彼女は、道中ずっと楽しそうに喋り倒していた。相槌を打つルキの花が咲いたような笑顔。ひとり重い気持ちを引きずるボクは、少女たちのお喋りが途切れたのを見計らっておずおずと口を開いた。
「あのさマーラちゃん、ほんとにごめんね。『赤スカーフの勇者様』はちょっと前からどっか行っちゃっててさ。そのうち戻ってくると思うから、その時にお礼は伝えとくね」
「え?」
何を言っているか分からない。まさにそんな顔をされてしまった。ルキがたまに見せる反応とまるで一緒だったのでボクは思わずたじろぐ。何かまずいことを言ってしまったのだろうか?
少女は少しばかり考え込み、それから閃いたようにぱっと表情を明るくした。
「あーなるほど!お洗濯してるってことかあ!」
「……うん?」
「そういえばお兄さん今日はスカーフしてないもんね。ガンガン戦ってたらそりゃ汚れちゃうかー」
今度はボクが固まる番だった。この子は一体どんな勘違いをしているんだ?
ルキが笑いながらマーラの肩を叩く。
「うちの勇者様は頑張り過ぎてるからね、たまによく分からないこと言うの。でも魔物と戦ってるときはあんなにかっこいいんだよ!」
まるで別人みたいだよね。
それだけ言って少女二人はまたお喋りに戻ってしまう。
視界が一瞬明滅する。背骨を断ち斬る重い感触、温い液体と鉄の臭い、獣の断末魔。
なんだこれは。ボクはこんなもの知らないはずなのに。
*
それからのボクは完全に上の空だった。宿泊手続きではあろうことか自分の名前を書き間違えるし、部屋に向かおうと思って何故か婦人用トイレのドアに手を掛ける。焦ったルキに手を引かれてのそのそと歩く様は、おそらく身柄確保された徘徊老人に近いものがあっただろう。
どういうことなんだ。訳が分からない。あの赤毛の少女は、ルキは何を言っている?頭の中で大嵐が起きていた。現実も記憶も願望もなにもかもがぐちゃぐちゃになって眩暈がした。
ベッドに座り込み頭を抱えてしまったボクを見て、ルキはしばらく戸惑っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「買い物は私だけで行ってくるから、アルバさんは休んでていいよ。倒れちゃったらリョテーに響くしホキューだってままならないんだから」
「ルキ……」
幼い少女の柔らかな手が頬に触れる。また心配させてしまった。自分の頼りなさに腹が立って仕方なかった。
「私のせいでもあるんだからちょっとくらい働かせて。この2か月ずーっと、野宿の度に一人で見張っててくれたんだもんね。アルバさんは頑張り過ぎなんだよ」
……一人、で?
ルキは鞄を探り、買うもののメモを取っている。食料とお水は大丈夫でー、砥石、包帯、あと歯ブラシも!そこまで確認してから彼女はまたボクの方を向く。
「歯磨き粉は2つ買っていいよね。この前と同じに、私の分とアルバさんの分」
あの日、薬局で、嬉しそうに笑っている、ルキの顔。後ろからでは決して見えない。隣でなくては見えない。硬いものが割れる音が聞こえた。
彼女の言葉にどう答えたのかは覚えていない。
気付くともう真夜中で、ルキは隣のベッドで寝ていた。寝汗が酷い。タオルを探したがいつもの場所に見当たらない。あまり音をたてないように気を付けつつごそごそとやっていると、何故か鞄の内ポケットに押し込められているのを発見した。
「うわあぐっちゃぐちゃになってる……」
タオルを掴んで鞄から引っ張り出す。ハンカチやらサラシやらと絡んでしまっているようで、すぐには使えそうになかった。ボクは溜息を吐いてから、一つずつ手に取って解していく。いつからこんなんなってたんだよ。アイロンかけなきゃいけないだろこれ。
雑多な布の中の一つに触れたとき、指先に鋭い痺れが走る。
「……え、」
ロスのスカーフだった。