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何があったわけではない。逆に、何もないから不幸せなのだ、と言った。
理解できなかったようで子どもは首を傾げてしまう。狐色の髪が光を弾いた。
「執事長ーお仕事だぞー」
アレスの声が埃の降り積もった部屋に響き渡った。十数年前まで使われていた武具置き場だったか。地下牢の陰のここを見つけ出す嗅覚とサボタージュへの執念はある種の賞賛に値する。
「足跡残ってんだからいるのは分かってんだってば。ほら出てこないと持参した黒板を針で引っ掻くぞ」
「ひいいやめてください」
積み重なった木箱の裏から執事長が顔を出した。ピンポイントで掃除したのか服や髪に埃は無い。無駄に器用な男だった。
「これだけ使用人いるんだから誰か他の人やってくれますって……機能不全起こるギリギリのラインを見定めてその僅かに下くらいの仕事をするのがオレの信条なんです」
「分かるわー。大臣テンパってんの見るとちょっと心が晴れるよね、でも」
アレスは小さな箱を掲げる。
「あんたにしか出来ないことをヒメちゃんがお願いしてんの。要するにいつもアレ」
「えー……」
「魔界在住の勇者アルバ宛に宅配便ね」
トイフェルは目に見えて嫌そうな顔をした。毎回のことだが、アレスはその度に疑問に思う。別にそこまで重いものを持たせているわけでもないのだが。
「よく分かんないんだけど何でそこまで嫌がるのかね。公然とサボれるし特別手当出てんじゃん。ていうか私にもちょうだいよ」
「意味分かりませんよあげませんって。サボれるのは確かにありがたいですけど」
「じゃあ何で。アルバくん嫌いなの?」
これはないだろうなと思いつつアレスは言った。アルバはとにかく気負わず付き合える人間だ。失言は流してくれるし適度に明るく面倒見もいい。トイフェルみたいな人間にはうってつけですらある。
だが曖昧な母音を呟いて目を逸らした執事長を見るに、原因はそこにあるらしかった。
「……マジで?何かされたの?」
「いえ、そういうことではないんですが」
「うーん……あの子あんまり人に嫌われるタイプじゃないと思ってたんだけど」
「嫌ってるというか……」
眉間に皺を寄せて逡巡して見せたトイフェルは、オフレコでお願いしますね、と前置きしてから重い口を開いた。
「……彼、魂がおかしいんですよ」
「え?」
どういうことだ。魔力の塊を体に突っ込まれたせいなのだろうか。
「それが原因ではないと思います。出会った当初から、何というか、欠けていたんですよね」
「欠けてる……って?そしたらどうなんの?感情がなくなるとかそういう」
「なくなったり、制御できなくなったり、あとは人格に著しい偏りが出たり、です」
「……接してて違和感覚えたことないけどなあ。あいつ物凄く普通の子じゃん」
「オレも具体的にどんな影響が出てるかまでは分かりません。ただ、その普通すぎるほど普通っていうのが、ちょっと」
トイフェルはそこで一度言葉を切ったが、アレスの無言の催促に負けて言を継ぐ。
「――化け物が人間の振りをしているみたいで、怖くて仕方ないんです」