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「じゃあ、ボクのしあわせをあげる」
一瞬呆気にとられてから、いいの?と聞いた。見ず知らずの人間にどうしてこんなことを言えるのだろう。子どもは躊躇いもなく、いいよ、と答えた。
「だからそんな顔しないで。ね、ボクも辛くなっちゃう」
不気味の谷。
ヒトに良く似たヒトならざるものに対し、人間は言語化しがたい恐怖感を覚える。
人間に擬態するタイプの魔物が徹底的に忌み嫌われる一因にはこれがあるだろう。連中はとにかく不気味だ。顔は体のつくりは人間そのものだというのに何かが決定的に違う。よく観察すれば、その「何か」は些細な関節の稼動だったり表情筋の痙攣であったりするのが分かる。分かったとしても、不気味で、恐ろしいのだ。
シオンはそういうものに恋をしてしまった。
いつから彼が好きだったのかは覚えていない。千年の眠りから叩き起こされた後の旅程は道筋もゴールも示されていたが、気付いた時には持てる力全てでそれを引き伸ばし少年との日々を満喫していた。手のかかる面倒くさい子供だと思った。だが、アルバはシオンの冬の世界に突然落とされた光の塊だったので目を逸らすことは不可能だったし、手を伸ばすのも欲しがってしまうのも必然だったのだと思う。その過程で彼を直視してしまった。
最初はちいさな苛つきだった。殴ろうが罵ろうがあの少年は結局何もかも許容してしまう。自分に怯えているのかと思ったが、他の誰に対しても同じ態度でいるのに気付いたら勝手に手が動いて彼の手首を折ってしまった。泣き叫ぶ少年の声は今でもシオンの耳奥に残っていて、思い返すたびに背筋が震えるような愉悦と同量の自己嫌悪を連れてくる。アルバに許される他者が妬ましくてならなかった。許してしまうアルバが憎かった。どんな形でもいいから彼の特別になりたかった。今思い返してもあまりに幼い独占欲だと思う。けれど、数時間後には何事もなかったように世間話を振られてしまった。
半ば意地になって痛めつける程度を上げていった。大きな骨は殆ど全て折り治療はしたりしなかったりした。血を吐くまで腹を殴った。爪を剥ぎ歯を抜いた。縊死と溺死と失血死の寸前まで追いやった。
痛覚は間違いなくあるのだろう。拳を振り上げたときに次の瞬間の痛みを予期して閉じられた瞼の痙攣、酸素を求めて喘ぐ唇の幼い曲線、鈍い音に一拍遅れて溢れ出す涙の軌跡、そういうものの全てをシオンは記憶している。耐えがたい理不尽を叩きつけられた無力な子供の顔。なのに彼は変わらない。いっそ殺してやろうかとも思ったが、アルバを失うくらいなら自分が死んだ方がましだった。
方向性を変えたタイミングはいつだったか。雨音の響く安宿の寝台で、押し倒してから一発殴って動きを封じそのまま碌に慣らしもせずに犯した。混乱が大きかったのは痛みと恐怖で満足に悲鳴も上げられない彼でなく間違いなくシオンの方だった。達成感と征服感と幸福感と罪悪感と、何もかも塗りつぶす絶望。適当に抜いてやって性に疎い子供をからかう程度のつもりがどうしてこんなことになったのだろう。ズタズタに傷つけながらも確かに大事にしたかったのだ。暴力の延長で彼を汚したくはなかった。どれほど歪んでいたとしても、シオンは彼に恋をしていたから。
流石に翌朝は口をきいてくれず、子供は全ての後始末を自力でしたようだった。知識も殆ど無いくせに。
ちらちらとこちらを伺う視線と何か言いかけてやめる様を視界の端に映した時には激しい苦痛を覚えたが、一方で心のどこかには言い尽くしがたい安堵があった。ついにアルバの心に爪痕を残せた、彼の何がしかになれたのだと。だが、それも単なる幻想だった。
アルバが口を開いたのは床に就く直前だった。
「あ、あのさ戦士、ボクお前に何かしてた?それともよそで何かあったの?」
「……別に何も。天気のせいでちょっと機嫌悪かったぐらいです」
「嗜虐的なデリケート加減だなあ……まあ、何もないならいいんだけど」
じゃあお休み明日は晴れると良いね、と言い残して布団を被ったアルバを見て、シオンは流石に呆気にとられた。何故自分を罵らない。行為の理由を詰問しないのだ。
「よかった、ってあんた、それで終わりですか。気にしてないんですか」
「してるに決まってるだろ!あんまり言いたくないとこ痛くて今日何も出来なかったし」
足を引っかけて捻挫させたときと殆ど同じ反応だった。何かが壊れる音が聞こえた。
「……痛くなければ別にどうでもいいってことですよね、それ」
声を立てて笑ってやろうかと思った。シオンは立ち上がってアルバの寝台に向かい、掛布団と下衣を剥ぎ取る。狼狽える少年を押さえつけ彼の耳元で囁いてやった。
「今日からはとびっきり優しくしてあげますから」
傷を癒し痛覚を麻痺させ嬌声と涎と涙以外出なくなるまで徹底的に追い詰めた。気を失ったアルバの体を清めてから、シオンは独りで吐いた。
それからは箍が外れたように頻繁にアルバを抱くようになった。少年はすぐに魔法も薬もなしで快楽を得られるようになり、ドライオーガズムを覚えた。シオンが後ろを弄り続けたために挿入されなければ射精できないように作り変えられてしまった。淫蕩の味を覚えた体が疼くのを知りながら幾夜か放置しておくと、さも恥ずかしそうに顔を赤らめ目を逸らしながらシオンの袖を引いてくるようになった。
体は完全に屈服していたというのに、それでもアルバの中にシオンはいなかった。
アレは一体なんなのだ。ヒトによく似たヒトならざるもの。彼からは希釈された異形の気配がする。
ルキと出会う頃には既に、シオンの中にはアルバに対する抑えようのない恐怖が生まれていた。人間らしさが無いわけではなく、むしろその逆だ。だが間違いなく彼のこころは壊れていた。出力と入力は一見何の問題もないのに、そのくせ内側は伽藍洞なのだ。
アルバには幸福という観念が欠如しているようだった。自分の幸せにも他人の幸せにも平等に無関心で、ただ怒りや悲しみの気配から不幸というものの存在を察知しそれを癒そうとする。意味が分からなかった。
そんな風に生きてゆける人間などいるのだろうか。しかし、そんな人間を好きになって平然としていられるほどシオンが強くないのは確かだった。
彼への恐れは日を追うごとに増していったが、彼を慕う心も消えることはなかった。捻れの位置にある二つのベクトルは相殺も干渉もせずに悪戯に伸びて行きシオンの精神をずたずたにかき回す。彼の心に自由はなかった。
もう嫌だ。助けてくれ、いい加減オレを見てくれ。
アルバのいない白い世界はある意味での救いですらあった。
それなのに再会は数時間で訪れる。シオンの心が平静でいられたのはそのたった数時間だけで、アルバの顔を見た瞬間に息を潜めていた全てが噴出してしまった。
一年の間自分だけを追ってきた、と彼が言い、シオンは逃げられないことを悟る。どう足掻いたってシオンはアルバを愛していた。予定調和の再度の離別後も彼が投獄されてからも、どう足掻いたってシオンだけがアルバを愛していた。
*
教材と土産を手に洞窟に向かうと、入り口で見覚えのある男に遭遇した。
「あんたは確か……」
「あ、えええあの、はい、」
トイフェル・ディアボロス。魔王討伐の立役者でクレアの恩人だが、あれ以来顔を合わせるのは初めてだった。アルバから名前を聞く頻度は比較的高いのでよく訪れてはいるのだろうが。
「……てが、手紙持って、あの、届けに来ただけなので!オレもう帰」
記憶に違わぬコミュニケーション不全ぶりだった。それにしたって怯えすぎではないのだろうか。クレアを遠ざけたり係留地に魔界の辺境を提案したりしてアルバと他人の接触を限界まで減らそうとしているのが他ならぬシオンであるとは言え、城からの使節を問答無用でぶちのめすほどに切羽詰っているわけではない。
「うちの勇者さんに何か言われたのか」
「いいいえ!その、こここ個人的、な話とかは全然、しな、しませんです」
「……ほう。何故?」
「えっと、いやちょっとあの人怖いというかその、」
怖い?
シオンのどこかに引っかかるものがあった。城で幽閉されていた期間も合わせればアルバとトイフェルの付き合いは半年近くになるはずだ。それだけあっても会話を厭う程の恐怖を感じるというのは彼の人見知りという気質故か、それとも。
「魂の魔法使い、あんた何が見えてるんだ」
*
魂が壊れている。
絶え間なく感じていた恐怖は言葉にされてしまえばあっさりしたもので、いっそ気分は晴れ晴れとした。目の前が一気に開けたようだった。
こころなどというわけのわからないものではなく魂なのだ。有形で可視で置換可能なものであることは手にした父のそれで思い知ったではないか。
壊れたなら直せばいい。足りないなら作ればいい。作れないなら奪えばいい。シオンの能力と血筋はその自明の理に簡単に沿って見せた。
一人から抽出できる幸福の量は恐ろしく少ない。加減を間違えば人間は簡単に狂い死ぬし、運よく生き残ったとしても彼のような形のいいゾンビに成り果てる。アルバと救った世界に不必要な波風を立てるつもりはなかった。
それに、亀の這うような速度であったとしても確実に進捗はあるのだ。
「待っててくださいね、アルバさん」
恋する男は笑う。シオンがガラス瓶を太陽に翳すと、角に溜まった魂の欠片が鮮やかに輝いた。