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その手は瑕疵である

 

 空腹であった。

 巨大な山猫型の魔物は瞳を黄金に輝かせ、アルバの喉を狙って踊りかかった。身を捻って爪と牙を躱す。半身になって体重を移動させ無防備な腹部を下から突き刺した。絶叫。赤黒い液体が滴り落ちて背の低い草原を濡らす。魔獣は悶絶しながら仰向けに崩れ落ちる。剣を抜くと、また血が噴き出してアルバの頬を汚した。盲滅法に振り回される爪を避けつつ、その喉元に狙いを定める。血濡れの剣を振りかぶる。魔獣が刮目し、金色が揺らいだ。そして振り下ろす――前に、声が響いた。

「飛び退け!」

 アルバは反射的に、寧ろ本能的に、投げかけられた命令に従った。山猫の体の下に魔方陣が出現。一拍遅れて、アルバが立っていた場所に紫色に光る毒の霧が噴き出した。

「只でさえ素早い上に麻痺毒を使ってこちらの動きを止めてくる魔物です。言われる前に思い出してくださいウスラマヌケが」

「分かってるよごめんって!」

 アルバは叫ぶが、その声が届いていないことを知っていた。

 まだ動けずにいる魔物に向かって、簡易式の爆薬を投げつける。閃光。爆風。皮膚を焼かれる耳障りな声が響くが、目的はダメージではない。爆発の衝撃で大気が攪拌され毒霧が晴れていく。踏み込む。突き刺す。今度は、頸に。壊れた笛のような音と共に空気混じりの断末魔と動脈血が溢れ出し、アルバの身を耳を目を汚していく。末期の痙攣じみた足掻きも、頸椎を切断する鈍い感触が過ぎればぱたりと止んだ。終わったのだ、と思った。アルバは膝を付く。其処此処にできた血溜まりとあまりに重い尻尾を、暮れゆく太陽が更に赤く燃やしていた。腹が鳴った。

「クエスト完遂お疲れ様ですゴミクズ勇者さん。さっさと街に戻らないと夜行性の魔物に集られますよ」

「……そうだね」

 届かないのは耳が無いからだ。彼には目も無く、体も、恐らくは心も無い。ただ、捨て置かれたようにして唇だけが浮いていた。

「どうしてこんなんなっちゃったんだっけ」

 急かされたにも拘らず、アルバは未だ立ち上がらない。西日に焼かれた頬は熱く乾いていた。じっと、見つめる。彼を失った当初は、ロスは未だ完全な形でアルバの前に立ち現われていたはずだった。皮肉気な笑みを浮かべ突き刺すような赤い眼をして、男は何一つ変わらず其処に居た。言葉すら交わすことが出来た。それをこんな化物じみた形にまで縮めてしまったのは、偏にアルバを襲う空腹のためだった。

 食ったのだ。

 最初に手を付けたのは機械に覆われた左手だった。膿んだ傷のようにして浮かんでいるであろう紋章が目の裏にこびり付いて寝ても醒めても離れなくなり、その腐りかけた臭いを嗅ぐたびにきゅうきゅうと腹が鳴き喚くようになった。ある日ついに我慢の限界にまで達し、お願いだから頂戴と泣きながら縋りついてみれば、幻覚は拍子抜けするほどあっさりと手を差し出したのだった。舌の上で転がす間もなく無心にばりばりと食らった。思い出を飲みこんで、アルバは僅かに一瞬だけ満たされた。

 アルバにしか見えないロスに食らい付き食い荒らし、血の味すらしないそれらを自己暗示によって嚥下し続けた。胴も脚も耳も残さず。けだものの如くに噛み付き、引き千切り、それでいて母に縋りつく乳飲み子のような哀れさを漂わせる少年に、彼の生み出した幻は温度の欠けた眼差しを送っていた。その赤い目に手を伸ばしたときだけ、男は尋ねたのだった。いいんですか、と。何を聞かれているのか薄々理解してはいたが、頭の中まで浸食して掻き回すような飢餓感には抗えなかった。むしゃぶりついて、零れそうな涎の中で転がしながら咀嚼した。只管にロスの名を呼びながら。

 アルバは唇を見つめ続ける。それが最後に残ったロスだった。

「……おなか、へった」

 口に出してしまえばお終いだった。視界が狭まり耳鳴りがして、胃壁を焼くような空腹感が唾液を伴ってせり上がってきた。もうそれ以外見えなかった。真っ赤な草原を這いずりながら距離を詰めても、薄い色をしたそれは少しばかり端を歪めただけで逃げる素振りすら見せなかった。アルバは口を開ける。伸ばした内臓色の舌は小刻みに震えており、怯えを滲ませながら男の唇のあわいを撫ぜた。喘鳴のような呼吸音。口づけを請うような懸命さで以て、食らい付いた。唇の味は密かに甘かった。

「……あ、」

 これでロスは無くなってしまった。けれど、足りない。空虚に哭いていたのが腹でなく胸であったと気付いたとして、今更何が出来るはずも無かった。

 腕を食い、脚を食い、頭を心を目を口を食い、ロスの残した全てはアルバの中に消化された。剣を振るえるようになり、捕捉されない立ち回りを理解し、旅の知識も胆力も注意力も身に着けた。強くなった。それなのに、ロスがいない。ロスが足りない。本物のロスが欲しいのに、ロスはここにない。耳の中では例の馬鹿げた激励が反響し続けていた。

 アルバの胸に空いた風穴は窮乏の悲鳴を上げ続けていた。さっさと見つけ出さなければ気が狂うのではないかと思った。日が沈み、夜が訪れようとしていた。

 ルキの足音が聞こえてきた。飢えに食われる少年は、勇者に戻らなければならない。

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