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くらやみの瞳と君の幻

 

 目玉を抉り出したいとまで思ったのは初めてだったかもしれない。緊張に頬を染めて少々震えながら握手を求める子どもを、戦士のロスは殴り飛ばした。大理石の床にまだ幼い身体が転がり、金属の胸当てが衝突して耳障りな音を立てた。74組の有象無象の視線が煩わしく、彼は小走りで広間を去った。番号だけでペアを決めたのは大きな間違いであった。金でも詰めば今から相手を替えられるだろうか。それともいっそ子どもを放り出してこのまま街を出るべきか。報告書などいくらでも誤魔化しが効くし、彼は子守りよりも一人旅の経験の方が豊富だった。心臓の周囲に蟠る黒いざわめきはしこりとなって肺に溜まり、それから胃に落ちて不快な酸を噴き上げ始めている。粘膜がぬらぬらと溶け始めているようだった。

 足音が聞こえた。軽い連なりだった。親を追う子のようにして見たくない姿が駆けて来る。

「おい、待って!ボクお前に何かした!?ていうか置いてかないで戦士!」

 拳の当たった頬を庇っているのか奇妙に籠った口調ではあったが、それでも声は快活な少年のそれだった。詰問する口調にはしかし鋭さが欠けていた。先ほどの仕打ちを忘れてしまったような馬鹿な大らかな朗らかな。形容詞の全てがその音の柔らかさと懐かしさの内側に残酷な針を持っていた。胃痛は愈々嘔気にまで変わっていた。振り向いてはいけないと分かっているのに彼の体は彼の統率の外側にあった。不快なほどに滑らかに動く踵は彼よりも少年の声に従うことを選んでいた。脳と肉体の連結が途切れており精神が置き去りにされていた。曇りきった瞳の中に茶色の髪の毛だけが焼き付き、瞬きさえもできなくなった。その色は年老いた紙魚の如くにぶくぶくと太り、彼の神経を食んでいた。音を立てて。がりがりと。クレア、とその名を口にした。食道を越えてせり上がる胃液を飲み下すのに必死だった。

 

*

 

 彼は子どもの名を呼ばぬよう細心の注意を払っていた。惰弱なからだと空の頭には不似合いこの上なかったが、勇者という称号は非常に便利ではあった。目を合わせるのを避け続けた。勘違いするのが恐ろしかった。外見に関して言うならば、子どもと親友は少しも似てはいなかった。クレアはもっとはっきりとした顔立ちだったはずであり、何よりこれほど小さくはなかった。青いひとみはいつでもシオンの上にあり、ずっと先の方を見ていた。クレアはシオンを救い上げた。取り戻し贖うべきもので、どこか遠くで眠っているもだった。夢に食われる気がしていた。数多の相違をたったひとつの相似が殺し、墓の下に戻れない檻を築こうとしていた。罪に赦されようとする捻じれた構造がいつまでも彼を追っていた。

 木陰を風が吹き渡った。雲一つない快晴だった。子どもは使い走りに遣った。一人にならなければ気が狂ってしまいそうだった。

 笑った顔がいけないのかもしれない。口調が似ているのかもしれない。考えまいとする度、思い出の中の青年が鮮やかな色で目の前に立ち現われる。クレアはいつでも笑っており、そして血を流して半身がない。失ったものを忘れるな、彼でない声がそう言っている。微睡む権利など与えられてはいないのだ。似てもいない子どもにクレアを被せてみたところで彼は帰って来はしない。間違うな、間違うなと何度も何度も言い聞かす。それに夢中で、近づいてくる小さな影に気付かなかった。

「ただいま」

 さんざめく陽光を背にして、子どもの顔は真っ黒だった。夏の光を弾き、柔らかな髪の輪郭だけが茶金に輝き彼の目を刺した。クレア、と声が漏れた。

「たまに呼んでるよね、その名前。友達?」

 名を間違われた子どもは、しかし怒るでも訝るでもなくそう言った。力なく首肯すると、そっか、と短い応えが返った。

「ボクもお前と友達になりたいな」

 子どもは少し背を屈め、買い物袋を差し出した。座り込んでしまった男よりも、その視線はまだ高かった。

 戦士のロスは勇者アルバの顔を見た。光を呑み干し、何もかも塗りつぶしてしまうような黒いひとみがそこにはあった。

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