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他人の手に愛の挨拶

 

 働けど働けど我が勉学楽にならずぢっと手を見る。一時期よりは剣胼胝も小さくなり、一方で幼いまろやかさを失いつつある何の代わり映えもしない手だった。日に当たっていないせいで不健康な白さがある。爪を切った方がよいのだろうか、とアルバは思った。そうしたら殴られた。

「よそ見とは余裕ですね。次から1問間違うごとに膝の上に10キロの分銅1つずつ乗っけてくんで精々頑張ってください」

「ちょっそれ拷問」

「教育的指導ですよ」

 体罰教師はしゃあしゃあと宣い、教科書の解説に戻る。拳を受けた後頭部が重い。右手を伸べてそこに触れる。少し膨らんだ感触と、血が集中した箇所特有の熱の籠りを掌が感じ取る。指先に触感。当然、頭の皮膚の方も触れるものを認識していることになる。

「……勇者さん?」

「シオン、あのさあ」

 握手しようよ、と言ったら今度はアッパーが飛んできた。目の前に星が散った。

10キロじゃ足りないとは欲しがり屋さんですね。脳味噌が塩麹漬けになってるとかそういう感じですか」

「ふんわりと美味しくしたところでなんの得もないわ……とにかく頼むよ、お願い」

 不愉快そうに眉を寄せ、赤い眼に苛立ちを浮かべて睨めつけるは顔はチンピラも逃げ出す剣幕だった。アルバは少しばかり泣きそうになったが、縋るような気持ちを込めて見つめ続けた。一分近い沈黙の後、大きな舌打ちひとつに続いて「好きにしてくださいド馬鹿野郎」という声が投げられた。

 許可が出たのを幸いとして、アルバは彼の左手を取った。そこに自分の左手を重ねる。薄い皮膚の纏わりついた指はうつくしい長さで直線と曲線を描いていた。その肌色が他よりも少しだけ濃いことをアルバは知っていた。そして、少しだけ冷たいことも。

「……左手でするんですか」

「うん。好きにしていいって言っただろ」

 シオンは何故か不満気だったが、何を言われようとこれは譲るわけにはいかなかった。アルバにとってはこの左手でなくてはいけなかった。指を曲げる。ゆっくりと力を入れ、彼の左手を、彼のものでなかったはずのその手を握る。僅かな間があって、それからしっかりと握り返された。

「この手って、クレアさんがくれたものなんだよな」

「ええ、そうですね」

「今はちゃんとお前のものなの。痛かったり重かったりとかは」

 短い沈黙が広がった。アルバがそっと窺うと、冷血非情の体罰教師は何故だか呼吸に失敗したような表情で視線を彷徨わせているのだった。色素の薄い頬に少しばかりの赤が浮いていた。

「シオン?」

「……昔は引きずるくらい重かったですし、引き千切りたくなるくらい痛かったこともあります。それでも、今は平気ですよ」

 低く穏やかな声を追って、聞き取りうる閾値の小ささで以て「あなたのおかげで」という言葉が落ちる。アルバがその意味を取るより早く、万力の如き凄まじい力で手を握り締められた。骨と筋肉の絶叫を神経が聞き取っていた。

 狼狽える生徒の顔に嗜虐心を満たされたのか、シオンは満足そうに息を吐く。真っ白になるほど力を込めた指が少しずつ解かれ、最後にはほとんど皮膚が密着しているだけという微かな繋がりにまで弱まった。それでも、手が離されることはなかった。

 アルバは笑みの形をつくり、よかった、と呟いた。

「こうやって手が繋げて、本当によかった。クレアさんに感謝しないとね」

 この左手がなければ何も始まらなかった。アルバとロスは出会わず、クレアシオンの旅は終らず、アルバは勇者にならなかった。二人が友達になることもあり得はしなかった。

 言い終わると同時に左手の温度が無くなった。疑問を感じる間もなく、今度は上半身全体に重さと圧迫が加わる。シオンの頭はアルバの肩のあたりに載っていて、表情を窺うことは出来なかった。抱きしめられているのだと気付くために少しだけ時間が必要だった。

「……じゃあ、オレにも感謝しといてくださいよ」

 耳元で響く声は少しだけ震え、熱っぽかった。

「そうだね。ボクがこうしてここにいるのはお前のお陰だから」

 両断された肉体を繋げたのは彼だった。消え失せた魂にそこにいるのだと嘘を吐き、ロスの名を殺して蘇らせたのも。シオンの左手はアルバの背に触れていたが、死にぞこないの勇者には上手く感じ切ることが出来なかった。

 上半身の感覚が失われ始めたのは、全てが終わり、城の牢屋に投げ込まれたころだった。昼食後のコーヒーを飲もうとした時に妙な重さに驚いて、手に取ったカップを取り落した。囚人服はびしょ濡れになったが殆ど熱さを感じず、流石のアルバもこれには違和感を覚えたのだった。

 魔界の牢屋に移され家庭教師を付けられた時には既に、感覚のずれは気のせいで片付けられる範疇を超えていた。痛覚が鈍くなり、触覚が失せ、上手く呂律が回らなくなった。医者に係っても異常は見つからず、治療の仕様も無かった。身体強化魔法に適性があったのは幸運だったのだろう。必要最低限の神経を魔力で無理やりくっ付け直し、目敏い男を騙そうとバラバラのまま繋がっている振りをした。視るために目を。水を飲むために喉を。微笑むために顔面を。彼の手を取るために、腕を。頭が空だとしょっちゅう罵られているけれど、アルバは今もって脳味噌の繋げ方が分からない。もしかしたら、とうの昔に頭蓋から外れてどこかに落ちてしまったのかもしれない。想像すると少しばかり切なかったが、それでも世界平和には何の影響もないのだった。

 ずれは日に日に大きくなる。臍のあたり横一直線を境目にして、アルバの体は遠ざかって行く。そろそろ小手先で誤魔化せる限界を迎えることを、勇者はきちんと感じ取っていた。気が緩んでしまったのだろうなあ、と思う。役割を果たし、彼を救い、全身全霊でもういいやと思ってしまったのか。そのせいで時間で出来た箍までが緩み、継ぎ直されたはずの肉体がまた分かたれようとしている。

 流石に少しばかり不安になった。半身の感覚を完全に失うというのはアルバにとっても想像の及ぶ状況ではなくて、だからこうしてシオンに尋ねなくてはならなくなった。次の一歩を、戻れない一歩を踏み出す前に。

「本当にありがとな」

 遠くない未来、アルバはアルバを見失う。それでも構わないと思った。自分が見えなくなったとしても、シオンがその左手で触れるのであればアルバはいつだってそこに居る。彼が託されたのと同じ腕で以て、勇者として剣を振るい続けられる。自分の輪郭を肩代わりすることになる左手が彼のものであることに、紛れも無い嬉しさを覚えていた。アルバはシオンが好きだった。

 肩に回された左腕を、優しい他人の手を撫でた。抱きしめる力が強くなり、アルバは呼吸効率の低下によって自分の存在を確認した。

 机の上の教科書は悼むようにして黙している。開かれているのは、傀儡魔術の応用編だった。

 

 

※プロットは六谷さんにいただきました

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